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「子供のケンカに大人が口をだしてはいけない」理由

子供同士のケンカほど、大人が嫌がるものはありません。

兄弟ゲンカ、お友達とのケンカ。

「どうしてケンカしているの!」
「どっちが悪いの?」
「さあ、謝りなさい」


大人というものは、早くケンカをやめさせたくてどちらかに謝らせようとします。

それが、片方が泣いている場合
「泣かせた方が悪い」と、
大人は一方的に怒ってしまいがちです。

私にもそんなことがあります。


小さい子
女の子

年下や守るべき方に、ついつい肩入れしてしまいます。


でも

果たしてそれは
双方にとって正しいのでしょうか?

そんな疑問をもったのは
リアル中学一年生の話を聞いたからでした。


ケンカ=悪


それって本当?


・中学生女子の仲間はずれ


私の過去の話。

中学生の時。
当時、私は仲良し三人組で遊んでいました。

お姉さんでピアノが上手なRちゃん。
面白くて人気者のMちゃん。

私はMちゃんを独占したくて
何かとMちゃんにべったりしていました。

すると当然

Rちゃんを仲間はずれしてる形になってしまい、
MちゃんとRちゃんに嫌がられてしまいます。

三人組、解散です。

いや、はっきり言えば私が放り出されました。


そりゃそうですよね。


放り出されてはじめて、
自分の独占欲に気づきました。
そして、ピアノが上手なRちゃんへの
嫉妬にも気づきました。


その後、休み時間は1人で本を読んだり、
隣のクラスのお友達と遊んだりしていました。


しばらくして
同じクラスの他のグループの子と仲良くなりました。


めでたしめでたし。


ん?


そうではなかったのです。


・先生からの呼び出し


私が新しく入ったグループには
リーダー格の女の子Yちゃんがいました。

その子がある時、休み時間に教室に戻るときにこう言ったのです。

「Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん、Dちゃん行こう!」

私以外の名前を呼んで
みんなを引き連れて行ってしまいました。

「え?私は・・・」


私の名前だけ、呼ばれることなく
まるで、「あなたはついて来ないで」
そう言われたかのよう。

そこには、「ぽつんと取り残された私」がいました。



そんなことがありつつも
徐々に私はそのグループのDちゃんと仲良くなり、やがて他の友だちみんなと仲良く遊ぶようになりました。


するとある日、先生に呼ばれたのです。

「MAKIさん、ちょっとこっちに来て」

ある部屋に友達と一緒に呼ばれました。
その部屋には、グループの子がみんな呼ばれていました。

そして先生の隣には
リーダー格の女の子Yちゃんが寂しそうに座っていました。


先生が口を開きました。

「MAKIさん、あのね、
Yちゃんがあなたに仲間外れにされたっていうんだけど本当なの?」

 

えっ?・・・

私は自分の耳を疑いました。

「私がYちゃんを仲間はずれにしたって、何?」

「先生、何を言っているの。」

突然のことに、頭が真っ白になりました。



先生は私が仲間はずれにしたと思ってるの?
だから、Yちゃんが先生の隣に座ってるんだ。
私、怒られるの?なぜ。




頭の中でいろいろな言葉がグルグルとかけまわります。


私が考えている間も、先生は


「仲間はずれは悪いことでしょ?」
「Yちゃんが可愛そうだと思わないの?」

そう話し続けます。


私は悲しくて悔しくて涙が出そうになりました。
でも、ここで泣いたらいけない気がして、
自分の言いたいことはちゃんと言おう!
そう思って口を開いたのです。


「先生、私は仲間はずれなんてしていません。
それよりも、私だけが名前を呼ばれずに
仲間はずれにされたことがありました’」


私の口から出たのが謝罪の言葉ではなく
予想外の言葉だったので

その女の先生はハッとした顔をして
私や他のみんなの顔を見回しました。


そして

「今、MAKIさんの言ったことは本当ですか?」と
友達に聞いたのです。


他の友だちは「そうです、MAKIさんの言う通りです」と返答しました。


その後のことはよく覚えていませんが
先生がYちゃんにも、それが本当なのか確認したんだったと思います。


その次の日、Yちゃんは学校を休みました。


・中学生の私が思った思春期のケンカの深い闇


30年以上も前のことなので
間違って覚えていることもあるでしょう。


しかし、この出来事で私が忘れられないこと。


それは「ケンカの仲裁は難しい」ということ。


子供のケンカに安易に大人が首をつっこみ
どちらが悪いか白黒をつけるつけることが
最善策とは限らない、ということです。


今回お話したことについては
私の行動がベストだったのか、私は今でも悩みます。

私がもう少し別の言い方をしたら、Yちゃんは学校を休まなくてもよかったんじゃないか

そう思うからです。


しかし、あの時の私には「自分自身を守ることで精一杯」でした。

何から守ったのか?


それは大人から向けられた「不信感」。


「この子は他の子を仲間はずれにしているかもしれない。これはいじめではないか?」

という疑惑の目で自分が見られた時
大人を信じちゃいけない、そう思いました。


大人は私達子供の全てを知っているのか?
なぜ、声の大きい方ばかりの味方をするのか?
なぜ、子供のケンカに口をはさむのか?


ケンカに口をはさむなら、常に両者にとって
中立な態度をとるべきだ。

そう思ったのです。


先ほどの女の先生は
私を疑っていたわけですが
私の言い分を聞いてくれました。

だから私は、大人は信じてもいい。
そう判断しました。


でも、ケンカの仲裁に入った大人がみんな
同じような対応をするとは限りません。


もし思春期のケンカにより
大人が子供を信じることができず
事実とは異なった解釈をして子供を傷つけてしまったら・・・。


ささいな事で子供は傷つきやすいもの。

一度芽生えた不信感は、すぐにはなくならない

大人になった今、そう思うのです。

だからこそ、思春期の子供のケンカの仲裁には
偏った色眼鏡をかけずに、対応しなければならないのです。


・こんな大人になりたい


「でも、泣いてるんだから可哀想でしょ!」
「とにかく仲間はずれはダメよ」

もし、私があの場でこんなことを言われたら
私はきっと、先生をにらみ返して反旗をひるがえしたことでしょう。


泣いてる人が正しくて
泣いてない人が間違ってるなんて

どうしてわかるの、と。


あの子もつらいけれど
私だってつらいんだって
気づいていましたか、先生。


私は外からみたら

「何も考えていない能天気な
空気の読めない女」
かもしれませんが

そんな私ですら
内心悔しくて悲しくてたまらない時があります。


人間には
「素直にすぐ泣けるタイプ」
「泣けないタイプ」がいます。


泣いたらみんなが気づいてくれますが
泣けない人、自分の意見を声に出して言えない人は
気づいてもらえません。


人知れず、心で泣いている子供がいるかもしれない


この事を、大人は忘れてはいけないと思うのです。


・ケンカの理由はそれぞれ違う


子供がケンカをしている場合
大人は安易にそれを解決してはいけないのだと
思います。

なぜなら、ケンカの原因は単純なものではないからです。


オモチャをとった
嫌な言葉を言った
叩いた蹴った


それは表面的なケンカの原因であって
せの根っこにはもっと解決すべき問題があるのではないか。


お兄ちゃんのオモチャがカッコいいから
遊んでみたいけれど、貸してくれないから
力付くで奪った弟

新しいオモチャが大のお気に入りで
壊されたくないから、弟には貸したくない兄



貸しなさい
やめなさい


そう言うのではなく


お兄ちゃんの大事な物だから
大切に扱おうねと伝える。

両方の気持ちをくみとる関わり方。



ついつい乱暴な言葉を言う子供には

「あなたのその言葉は、
相手の気をひくことには成功するけれど
それを言われた人は嫌な気持ちがするだけで
あなたを好きにはならないよ。

自分が言われて嫌な言葉は言っちゃいけないし
自分は大丈夫だと思っても、相手が嫌だといったらやめないといけない」


言葉が人を傷つけるということを教える。


ネガティブな言葉をポジティブな言葉に変える


わかりにくいコミュニケーションの取り方ではなく
「好き」が伝わるコミュニケーションの仕方を
大人は教えるべきだと思うのです。


もし大人が、
コミュニケーションの仕方を知らないならば

子供と一緒に学んでいけばいい
ただそれだけ。



「今さら恥ずかしい」なんてことはありません。
人はいつでもスタートラインにたって走り出すことができます。


失敗したらそこからやり直せばいい


その姿を子供に見せること
それが子育ての生きた教科書になるのだと思います。


羽海野チカさんのマンガ
「3月のライオン」に同じような話がのっています。

第5巻から。

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中学生女子のせつない人間関係。
ぜひ合わせてご覧ください。

私は自分の姿と重ね合わせ
号泣しました。


・ケンカが人を成長させる


中学生時代のことを思い出すと
今でも胸がチクチク痛みます。

なぜなら、私にはYちゃんの胸の内を知らないからです。

私には私の主張があるように
Yちゃんにも彼女の主張があったはずです。

でも、あの話し合いの場で彼女の真意を聞くことはできませんでした。

私はYちゃんと仲良くしているつもりでした。
でも、彼女にはそうは映っていなかったのでしょう。

だから、彼女は仲間はずれにされた、と思った。

どこかでおきたすれ違い。
埋まらない溝。


もし、大人がケンカの仲裁に入る時は
子供同士が気づいていない、そんなすれ違いや溝を見つけて
修正してあげることが大事なのかなと、思います。


雨降って地固まる

当人同士が真剣に心の内を吐き出し
そして、自分自身の至らなさに気づき
歩み寄る姿勢をとる

ケンカはそのための手段なのかもしれません。

そんなことを、中学一年生の話を聞いて思いました。


・最後に


私はケンカをすすめている理由ではありません。


ケンカをしてはいけない、けれど
時にはケンカが必要な時もあります。

喧嘩両成敗。

大人は決して余計な口をはさまず
じっと両者を観察する忍耐力、洞察力が必要なのだと思います。

しゃしゃり出ることが、子供の成長を阻むことになる。

そう自分に言い聞かせたいと思います。


そして・・・

子供のケンカも夫婦のケンカも一緒。


夫にケンカをふっかける前に
この記事を読み直そうと思います。

夫婦喧嘩は犬も食わぬ

ですもんね。


(^_^;)


MAKI

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