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ペットロスに罹りました 3

久しぶりに記事を更新したと思ったらまたか?と思われると思われますが(日本語が変なのは気にしないで下さい)、3年連続で猫を亡くしました。
多頭飼いしている訳ではありません。常に2匹体制です。それでもこうも続くものかと慮ると、私はもしかしたら呪われた飼い主なのかも知れません。
ふざけていません。真剣に、もう私には猫を飼う資格がないんじゃないかと感じてしまうくらいに心は混乱しています。

前回、あの後で保護猫団体の代表に報告に行った際に、「新たな子を迎えてはどうか」と提案をいただき、その際に、最も人馴れしていなくて、譲渡会でも人気の出なさそうな、生後8ヵ月の三毛猫を迎えました(今回亡くしたのはその子ではありません。念のため)。我が家でなら、家族になる楽しさ、幸せをしっかり与えてあげられるという自信があったからです。
でも今、少しの進歩こそ見られましたが、家族としての全幅の信頼関係を紡ぐまでにはまだ遠い状態です。警戒心が強く、なかなか心を開いてくれていません。ちなみに私は、年末に左手に整然と4ヵ所、結構深い穴を開けられました。

その懐きにくい三毛が、唯一心を開いてベタベタに甘えていたのが、18年間我が家で暮らしてきたキジトラ(オス)です。その様子はまるで恋人のようであり、爺ちゃんに甘える孫のようでもあり。
人間には見せないような表情で、尻尾を高く直立させ、挙句腹を見せて転がったり。
妹分を二代にわたって(ウザがられながらも)面倒見てきたキジトラ18歳も、老いてようやくやってきたモテ期にまんざらでもない様子で。

密会現場を激写!

このキジトラ、まだ子猫(推定生後3ヵ月)の頃に、埼玉県で木から降りられなくなっていたところを保護され、動物病院の貼り紙(当時の里親募集情報は貼り紙が主流でした)が縁で我が家にやってきました。
その数日後に、初回に登場したキジ白メス(当時推定生後1ヵ月)が神奈川県のとあるマンションの軒下で迷子になっていたのを里子に迎え、兄妹のように育てるつもりでした。
が、その目論見は、兄ちゃんの妹への度重なるセクハラと、これまた妹のスケベ兄貴に対する倍返しの繰り返しで、最後の最後まで成功しませんでした。

キジトラ兄貴、それでも心根は優しく、すっかりビッチに育った妹の罪をかぶって人間に怒られ、何もしていないのに妹から先制攻撃で牽制され、殴られても反撃せずに、額から流血しながらもじっと耐える姿は健気そのものでした。それはまるで、人間社会での男女関係の縮図のようでした。
兄貴は男の馬鹿で情けない部分をすべて持ち合わせていて、妹は女のズルくて小賢しい部分をこれまたすべて持ち合わせていて。。。

ソーシャルディスタンスとはこのことか

心優しいキジトラ、人間に対してはベタベタの甘えん坊でした。スキンシップが大好きで、喉を鳴らしながら「んう~~」と撫で撫でを要求する様は、老いてもなお変わらずでした。特に冬場は膝の上から降りてくれず、よく腕の隙間に頭をうずめて寝落ちしていました。

気遣い上手で、思えば人間と猫との意思の橋渡しをしてくれていました。初代妹分のキジ白の悪さを仲裁してくれたり、運動障害のあった二代目妹分のよちよち歩きを支えてくれたり、三代目妹分の三毛には、まるで人間語を通訳してくれているようでした。
家族の一員としての自分の立ち位置、役割をきちんとわきまえ、兄貴分として、実にいい仕事をしてくれていました。

老いてからは目が見えなくなっていましたが、無理しない範囲で積極的に手探りで歩き回り、上下運動も巧みにできていました。
多少の認知症が入ってからは夜鳴きもし、部屋から人間がいなくなると、近隣に響き渡る大声で「ご近所の皆様!私はこの家で虐待に遭っています!!飼育放棄に遭っています!!!」などと、根も葉もないことを嘯いていました。

人懐こく愛想がよくて、来客や工事業者の作業員の足元に擦り寄って仕事の邪魔をしたり、工具箱を物色したり。

一年中換毛期で、夏毛と冬毛でまるで別人のように姿が変わったり。


18年、一緒に過ごした思い出は枚挙にいとまがありません。その間に私も齢を取り、病を患い、生き方も大きく変わりました。共に成長し、共に年老いてきました。

昨年末に三毛が家族に加わり、今年に入ってから、動きが少しずつ減り、寝ていることが多くなってきました。それでも定期的な血液検査の結果は、甲状腺に多少の異常数値が確認できるものの、その他は全くもって問題ありませんでした。
時々発症する膀胱炎も、毎回きちんと治っていました。

2月1日は、私の腹の上でいつものように、「んう~んう~」と唸りながらごめん寝していました。
その直後から突然食欲が落ち、目に見えるように痩せていきました。老化で猫は痩せるものですが、あまりにもそのスピードが顕著でした。歩き方がたどたどしくなり、尿失禁も。

「あと10年生きるんだもんな、区から2回表彰されような」
いつも声をかけては、そう信じていました。むしろ自分をその言葉で励まして(現実から目を背けて)いたような気がします。


過去2回の経験で、覚えたこと。こうなってしまったら、猫は、早い。

「もう、このまま、暖かいおうちで、安らかに」


その結論が正しかったのか、間違っていたのか、やはりまだ、わかりません。
息絶える直前、断続的に数回、短く「んっ」と声を上げました。もしかしたら安らかではなかったのかも知れません。その声は、「あともう少し、ここにいたい」という懇願だったのかも知れません。


その亡骸は小さく軽くなっていましたが、遺骨は大きくしっかりしていました。
もしかしたら、手の施しようがあったのかも、知れません。


三毛は、以前より鳴かなくなりました。相変わらず人間との距離は縮まりません。


私は、またも、間違えてしまったのでしょうか。
まだ、猫を飼う資格、三毛を手元に置いておく資格はあるのでしょうか。。。

今まで唱えてきた「ペットロス正義論」は、私の単なる空想だったのでしょうか?

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