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「創造というスペースを持つことが、人生の力になる」作曲家・ピアニスト 三村 磨紀予さん

多様なジャンルを横断するクロスオーバーな表現力を生かして、オリジナルの世界観を構築し、福岡や東京を中心に幅広いスタイルの活動を展開されている、作曲家でありピアニストの三村 磨紀予さんにお話を伺いました。


​《三村 磨紀予 (渡辺 磨紀予) プロフィール》
自作曲の演奏を中心に、即興演奏、コンテンポラリーダンスなどのアートとのコラボレーション、子供のためのコンサートなど、幅広いスタイルでのライブ活動を行うと同時に、三味線や尺八などの伝統楽器の作品をはじめ、室内楽作品など、現代(いま)を生きる作曲家としての音楽を追求し発信している。世界の民族音楽やジャズ、現代音楽などからインスピレーションをうけ、ジャンルの枠を超えた独自の音楽スタイル、唯一無二の音楽観を構築している。
2014年三村磨紀予 feat.kohzan (山崎箜山) のCD『Oru』をA-HEAD RECORDSより発売。 2017年7月より、詩人の渡辺玄英、彫刻家の阿部守とともに「美術」「文学」「音楽」の3つの世界 からなるパフォーマンスアートユニット『二時の会』を結成。二か月ごとにライブを行っている。
作曲家グループ邦楽2010メンバー 九州沖縄作曲家協会会員 福岡女子短期大学非常勤講師。東京音楽大学作曲芸術コース卒業。 作曲を三村恵章 有馬礼子 三木稔に師事。

「生み出すこと」の価値

記者:三村さんは現在、どんな夢やビジョンを持っていらっしゃいますか?

三村さん(以下敬称略):最近、以前と考え方が変わったところがあるのですが、創作活動を行う上で、かならずしも逆境ってマイナスなことではないなと思うんです。それと、何かを「得ること」より「生み出すこと」に幸福感がある、ということを最近強く感じるんです。
人間は「何かを得たい」という価値観に縛られて、そこに苦しむことは多いと思いますが、音楽を通して「生み出すこと」の面白さや素晴らしさ、そこから得られる感動を共有できるような、場や出会いを提供できたらいいなと思っています。

記者:逆境というのは、例えばどんなことですか?

三村:もちろん、日々生活している中でぶつかる様々な問題もそうですし、私の取り組んでいる分野である芸術音楽自体が、一般的には「あまり理解されていない」状況があるので、それでもこの仕事をやり続けていること自体が、逆境でもあると思います。
しかし、自分にとって悪いと感じる出来事や状況から得られる経験も、苦しいですがかけがえのないもので、とても価値のあるものだと最近感じるようになりました。そして、そのような経験からしか得られない感性もあり、すべてが生み出す力になると最近強く感じています。

「ナイズされていないからこその、日本人らしさを大事にしたい」

記者:今後の目標や計画があれば教えてもらえますか?

三村:ひとつは、今やっている「トリトリオ」というグループの音源を、多くの人に聞いてもらえるようにレコーディングして創ることです。
「トリトリオ」は、私が創作を続けていける人生を支えてくれている本当に大切な仲間ですね。このグループがなかったら、私は音楽を続けてこれなかったかもしれないと思います。自分のやりたいことを理解してくれて、どんなに大変な時期でも一緒に形にしていくことができるので、本当に感謝しています。

そしてもうひとつは、それとは対照的なクラシックのコンテンポラリーの作品も、楽譜を含めて多くの人に広めたいですね。
最近、「オンドマルトノ」(古い電子鍵盤楽器)というフランスの楽器の曲(作品)を初めて創ったのですが、私は世界の楽器を使って、日本を題材にした音楽をやることで、日本の音として世界に出したいし、逆に世界の音楽を日本の楽器でやりたい、という思いがあります。

記者:どうしてそう思ったのですか?

三村:そうですね、日本の今のスタンダードな音とは何か?を考えた時に、やはり他の国にナイズされている感じが強いなと感じているんです。自分は海外に出て行っていないからこそ、ある意味ナイズされていない。だからこそできる、日本人らしさや日本人のアイデンティティを大事にした、率直なものをやりたいな、と。これは学生時代からずっと思っていることですね。

洗練されていることを求めている人が多いけど、洗練されていないことも同時に大事だと思うんです。そのままに自信持とうよって。「そこ」が魅力的だったりすると思うんです。

記者:なるほど。邦楽器の作品も多数発表されているのは、そういう背景からなんですね!


トリトリオのメンバー(左からピアノ:三村さん、パーカッション:円谷さん、バイオリン:手塚さん)


「出来事のすべては、創造のためのアトラクション」


記者:その目標に向けての活動指針や、活動内容を教えて下さい。

三村:心がけているのはアカデミックな芸術作品と、ライブでできるような曲の両方を必ず発表すること、ですね。

あと、現在力を入れているのは、コンテンポラリーダンスや、文学作品の朗読とのコラボレーションです。これは、とても学びになります。

自分の中にはないものが入ってきて、新しいものが引き出される感じ。
その感覚は他のものがいらなくなっちゃうくらい面白い。この面白さをみんなに体験してもらえるようなこともやっていきたいですね。
創造というスペース(部屋)をひとつ自分の道具として持っていると、良い意味で現実に掴まれないし、周りと比べたりすることも減ってくる。そして、自分にとってお良いことも悪いことも、創造のための道具、ひとつのアトラクションになってくるんです。

記者:なるほど、それは面白いですね!


「父から受け継いだのは、自分に妥協しない厳しさ」

記者:では、三村さんが先ほどの夢をもつようになったきっかけは何だったのですか?

三村:そうですね、うちは父が作曲家、母もピアノの先生で、もともとピアノが家にあったので、4、5歳の頃にはごく自然にピアノを弾いて、曲をつくっていたんです。その頃から創作が面白いということを明確に感じていて、
ピアノが上達すればするほど、自分のイメージを形にできるチャンス、人と共有するチャンスを沢山もらえたから、将来もずっとそれを続けていきたいと思い、ピアノと作曲の道を歩んできました。
そんな中で、私が22才の時に父が急死したんです。今までの人生で、あれほど予想外に起こった出来事はないですね。いきなり今まで生きていた世界とは別の世界に落とされて、一気に不幸になっちゃう。本当にショックでした。当時は、私自身、本当に一生懸命に作曲やピアノと向き合っていた時でもあったのですが、そんなことには関係なく、不幸はいつでも誰にでも起こるんだ、と感じました。その後、失うことの恐怖が強くなった時もあったけど、その恐怖を手放していかないといけないと思う時もあって・・・。

記者:それは本当にショックが大きかったでしょうね。そのあと、どのように昇華されたんですか?

三村:起こったことの意味をずっとずっと考え続けて、そして考えないというところに行き着いたんです。考え続けると、いろんな人を恨んだりしたくなってしまうけど、そこを見ていたら辛くて生きられない。だから、変えていこうと。 
理由とか原因を探すのではなく、生み出す方向に変えていこうところに到達したんです。15年くらいかかりましたけどね。

記者:そうだったんですね。
お父様はクラシックの現代音楽の作曲家で、80年〜90年代にはとても精力的に活動され、指導もされていらっしゃったそうですが、お父様から影響を受けたことはどんなことですか?

三村:一番残っているのは、父から受けた教育の中での厳しさですね。自分に嘘をつかない、絶対にサボれないという感覚を育てられたと思います。

例えば、この曲をつくるためにもっとやるべきことがある、もっと追求すべき部分があるのに、「ここまででいいや」って思ってしまったら、絶対に父にもバレるし、自分でもわかるんです。「もっと本当に追求したら、こうじゃないだろ」って。
だから、「絶対に自分に妥協せずにやる」という厳しさは、ずっと自分のなかに残っていて、それだけは今後もやめたくないなと思っています。

編集部:三村さんのそのプロ意識は、お父様から受け継いだものでもあったんですね。本日は、貴重なお話をありがとうございました。

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三村磨紀予さんの情報はコチラ↓↓

https://makiyomimura.jimdo.com


◼︎編集後記

記者を担当した牧野です。三村さんの曲とピアノは私も大好きで、初めて聴いた時、一瞬でファンになってしまいました。即興の力強さや色鮮やかさが素晴らしく、また曲を聴いて美しすぎて涙が出るという初めての経験をしたのも、三村さんのライブでした。今後の更なるご活躍を心から楽しみにしています!

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人たち”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36



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