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器用貧乏が怖かったとき。


駆け出しのフリーランスの編集&ライターだったころ、幸いにお声が掛かり、私はやれ美容、健康、ファッション、社会、政治、金融、語学、教育……といろんな分野に足を突っ込んでいた。
独立前の出版社時代も、もうちょっと違う分野の雑誌をいくつかやっていたので、それを合わせると私の守備範囲はもっと広くなる(投資ものだけは一度トライしたものの、本当に苦手で楽しめなかったので、次の話が来てもお断りをしたのだが……)。

なぜこうもいろいろと手がけていたのかと振り返ると、ある出版社が初心者向けのムックシリーズを出していて、ビギナー目線の企画が必要だったからだ。編集部も、その分野に初めて触れる読者の気持ちが知りたかったのだろう。初心者目線で語るのに、若く体力のあるフリーの編集者が呼ばれていたのだと、今になって思う。

とにかく無我夢中で頑張った。もちろん各分野、もんのすごく勉強して企画を立てる。初心者だったから自分の疑問を素直にぶつけて、ストレートに表現していくと、どんどんと企画ができていく。
記事は自分が書いたり(最終的には監修のチェックが入るよ)、もっと突っ込んだ内容には識者にインタビューに行ったり、執筆依頼をしたりしていた。
正直、楽しかった。次は、どんな分野のオーダーが来るのがワクワクした。


でも、30代前半。がむしゃらにやっていたのが落ち着き、あるときそんな自分がふと不安になってきたのだった。
「器用貧乏になるのが怖いんですよね……」と、私は言った。「将来のことを考えると、『私はコレ!』っていう専門分野に絞り込んだほうがいいんじゃないだろうかって、このところよく考えるんですよ。でもじゃあ、どれに絞ろうかと思ってもピンと来なくって……」
そのときこれは半ば愚痴で、私はすぐにそこで結論を出そうとは思っていなかった。なんとなく、漠然と思っていたことを口に出してみたのだ。
「私の死んだ父も器用な人だったんですよ。器用貧乏でした。なんでもいろいろとこなして、仕事の守備範囲をどんどん広げていって……それが事業の失敗の原因の一つだったと思うんですよねぇ」
と、私は続けた。父は広告業界にいて、広告制作会社を設立していたのだった。私と同じ仕事ではなかったのだが、やっていることは似たようなものだった。
「だから、やっぱり一つのものに絞って、専門性に特化すべきかなぁって、最近よく思うんですよ」
でも、どこに特化するのかわからないから、困っているのだ。

すると、それまでじっと私の話を聞いていたその人は、そこですごいことを言い出したのであった。
「じゃあ、ちょっとお父さんに聞いてみるね」
「は?? 聞いてみる????(私、死んだって言ったよね……)」
ぽかんとしている私をよそに、彼女は私の後方斜め上に目をやった。そして、ウンウンと小さく頷いている。
「は?? は??」 
私も慌てて自分の後ろを振り返るけれども、そこはただのオフィスの一角。その人は、目線を戻してから私にこう言った。

「あのね。あなたのお父さん。本当のところ、なんで失敗したかわかる?」
わ、わからない、本当のところはわからない、と首を振る。
「うん。彼はね、『不安』だったんだよ」
「不安……?」と、私。
「今やっていることだけで、この先食べていけるか不安になって、どんどん手を広げていったの。これもやります、あれもできますって。あなたと逆」
「そ、それはどういう……」
「あなたはどんどんと仕事が来て、それを楽しくやって、気がついたら守備範囲が広がってったでしょう? でもあなたのお父さんは不安だったから、自らどんどんと範囲を広げていったの。同じようなことしているみたいだけれども、根っこが『楽しい』のか、『不安や恐怖』からやっているのかで、結果は全然違ってくるんだよね」
「…………」
「あなたはさ。仕事ぶりを見てると、なんていうかスーパーっていうか、デパートっていうか、何でも屋じゃない? で、今、楽しいでしょ? なら、それでいいんだよ」
「はぁ。何でも屋……(ちょっとフクザツ)」
「ここでね。あなたが将来の『不安』に駆られて、守備範囲を一つに絞り込んで行ったら、それこそあなたのお父さんと同じになっちゃうんだよ。とにかく、何をやるんでも、動機が『恐怖や不安』だと何やってもダメなの」
「…………!」

彼女が父と本当に話したのかは、わからない(そんな能力のある人だなんて知らなかった!!)。
でも、なんだか腑に落ちたのだ。そうか。そうかもしれない、と。

もう、それからは「器用貧乏」なんて怖くない。
半ば流れに任せて、楽しめることを楽しんでやっていこうと決意した、不思議な月曜の昼下がりのことでした。  


( 信じるか信じないかは、あなた次第!)




ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️