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英語の通じない世界 (旅の英語・その3)


このところ英語ばかりにフューチャーしていたけれど、先に述べたとおり英語をしゃべれる人は世界人口の20%。残り80%とは英語以外のコミュニケーションが必要とされるのだ。そういった場合はどうするか。


英語を使わずに旅をしたといえば、モンゴルの相当な奥地、ロシアとの国境近くを馬に乗って旅している最中のことだった。
現地の少年を道案内に雇っていたのだが(彼は英語を少し理解する)、初日、太陽も沈み始めたので今晩はどこで泊まるのかと尋ねたら、少年はやっとポツンと現れた通りがかりの家をノックして、家人と何かを話していた。どうやら「旅の者ですが、今宵一晩、宿をお借りできませんか」とお願いをしているらしい。なんだか日本昔ばなしのようだ。
結果、即OK。遊牧民の彼らは、客人をもてなすのはお互い様という習慣があるらしく、お金も払わない私たちを盛大に歓迎してくれた(最後には感謝の気持ちでお金を渡したけれども、あまりお金って普段は使わなそう)。

辺境に居を構えているその家庭は、テレビも電気もなく。もちろんまったく英語の話せない人たちであったが、本当にジェスチャーでどうにかなった。その家の子どもたちとも、たくさん楽しく遊んだ。みんなで心温まるおいしい食事もいただいた(羊の内臓をチョップして炒めたものと、ボーズという羊肉の餃子)。翌朝には、身振り手振りでこちらから感謝の気持ちを十分に伝えられたし、向こうも私の頭を撫で、子どもと私を交互に指差して、子どもと遊んでくれてありがとう、と伝わった。

その馬の旅の道中に立ち寄ったある村では、村人10人ばかり押し寄せて変な外国人(私のことだ)を取りかこみ観察する。そして当時の私は歯列矯正をしていたのだが、私の歯についている針金を指差しながら、口々に何か言っていた。
旅をしている最中に私は、モンゴルの人々が医者のことを「ドクトル」と呼んでいるのがわかったので、「ドクトル、ドクトル」と連呼すると、「あぁ(こいつは何かの病気でこうなったのね)」と潮が引くように納得した。
まぁ、間違ってはないよね。彼らは水晶のように固いチーズを食べていて(本気で前歯が欠けると思った)、めちゃくちゃ歯並びがよかったので、歯列咬合の悩みなんて皆無なんでしょう。謎の病気で歯にハリガネを巻かざるを得ない気の毒な外国女、それが当時の私だった。

しかし野生のトナカイが闊歩しているようなモンゴルの奥地だって、英語がカタコトでも話せる人というのはいるものだ。賢いその道案内の少年がそれだ。
喋れる彼はビジネスチャンスを掴んでいた。こんな奥地で芽生えたツアリズム。旅している最中も、彼は一生懸命私から英語のほかに日本語までも学ぼうとしていた。この先ここに日本の客は来るのかなぁ、来るといいなぁ。と思いながらいろいろと日本語を教え、彼は大事にメモを取っていた。


いやいや。記憶をたどれば、まったく英語を喋れる人に出会えなかったことも多々あったっけ。先にも触れたが、この世の中。英語が母国語である国のほうが圧倒的に少ないのだから。

でも、そんなとき最強なのは紙とペン! 
トルコの街角で、デカデカと「船」の絵と「Üsküdar」という地名を写した紙を掲げて立つ。ガイドブックにはカタカナで「ユスキュダル」と読み方が書いてあったのだが、その通りに読んでも何だか通じなかったからだ。発音悪くて変なところに行ってもいやだしね。

それだけで人づてにその Üsküdarという船着き場の方角を教えてもらったり、最終的には優しい人たちに連れて行ってもらったり。こうして、なんとか移動というのはできるものだ(しかし決して怪しいと思った人に付いて行ってはダメです)。


船を案内してくれたおじいさんは、一緒に船に揺られている間に、「トルコ海軍にいて佐世保に寄港したことがある。それは19××年のこと(細かい数字は忘れた)」といった会話をジェスチャーだけでしてくれた。もちろん私は「ようこそジャポーン!」と言っておじいさんと、ブンブン握手。

さらに順序が逆になったが、その船に乗る直前。
私は景勝地に向かって徒歩で歩いていたら、トルコの小学校の遠足バスになぜか乗っけてもらい(小学生の遠足バスでは悪さもあるまい)、お菓子まで分けてもらったり、みんなの歌を聞いたりしてその観光名所まで連れて行ってもらった。言葉も通じなかったのに、とても楽しかったことよ。最後に私は目的地で降りるとき「テシェキュル エデリム(ありがとう)」とだけ言って、頭を下げたら、先生も子どもたちもすごくいい顔をしてくれたっけ。


なので、やっぱりジェスチャーは有効だ。
ニワトリのものまねで肉料理を出してもらったり、酔っ払いの真似をしてお酒を出してもらった。受話器のポーズで電話のできる場所、眠るジェスチャーで宿屋を教えてもらえた。ヒマラヤの奥地では、スプーンで食べるジャスチャーをして住人から食料をわけてもらったこともある(お金払ったよ)。
買い物だってメモ帳や電卓に数字を表示し、さらに低い数字を書き込んで、もっとまけてくれよだとか、ジェスチャーでこれにオマケにつけたらどうかだとか細かい交渉ができるものなのだ。はるかシルクロードの時代から、そのように交易がなされたのかしらと思うと嬉しくなってくる。


ちなみに。漢字文化圏の人たちとは筆談ができる、という話があるけれど。あくまでも私の実感としては、中国や台湾の人となら50%の確率でまぁまぁどうにか。うまくコミュニケーションができるときもあれば、まったくチンプンカンプンにすれ違ってしまうときも多々ある(中国語で「手紙」は「トイレットペーパー」という有名な笑い話があるように)。
韓国、ベトナムの方々はあまり期待しないほうがいい。いや、韓国人のお年寄り以外は、ほとんど無理だと思ったほうがいい。でも戦争中に強制的に日本人に教育されているから、無理に聞かないほうがいい。

筆談といって思い起こせば、20年前の中国では海外渡航が厳しく制限され、外国に行ける中国人はほとんどいなかった(1997年に解除)。たとえ首都の北京にふらっと行ったとしても英語を喋れる人はなかなか、いや本当に全然いなかった。せいぜい学校の先生や一部のエリートぐらい。当時の北京もこれが首都かとびっくりするぐらい、のどかな街だった。すごい数の中国人が自転車で行き交い、車の数は少なく、ビルなんかもポツポツ程度。
私はある店先の看板にある「手工水餃」が水餃子、そしておそらく手作りであろうと察し、メモ帳にそれを書き写して、店のおばさんにズイっと突き出して注文。「アイヤー外国人が来たよ!」と騒がれたが、キタキタやっぱり水餃子。いやいや、皮がもっちりとしておいしいこと! その感動をどうしても伝えたく、会計時には「美味」というメモを提示してみると、ニヤッと笑ってくれて(中国の人は文化的に客商売でも笑わない人が多かったので、ちょっと嬉しかった)、「歓迎再来」とか書いてくれたっけ。どこへ行くにも、注文するのもすべてメモ。あの頃の中国は筆談とジェスチャーで渡り歩いた覚えがある。
そんなことも、同じ漢字文化圏ならではの楽しい思い出だ。中国や台湾の人に会ったら、あえて熟語を並べての筆談をトライしてみるのも一興かもしれない。


また、ガイドブックの巻末などに簡単な用語集があれば、「トイレはどこですか」「お腹が痛いです」「駅はどこですか」など、その現地語の文字を指差すことで、人々とコミュニケーションを図ることもできる。
私個人としては使ったことはないのだけれど、何ヶ国語かの会話が掲載されいる本や電子辞書も売られているし、不安な人は持っていってもいいよね。
海外通信仕様になっているのならiPhoneのアプリや、携帯型翻訳機(POKETALili)などを駆使してもいい。ホント便利な世の中だと思うし、これからも進化していくのでしょう。
(でも人前で電子機器を使っているうちに盗まれないようにね! 本は一番盗まれにくいという面で、安全である)


それでも何か大きなトラブルが起き、そしてそれを細かく説明するややこしい事態に陥ってしまった場合。そんなときは、無理に外国語やジェスチャーで渡り合わなくとも、保険会社(海外旅行保険、掛けて行こう!)やカード会社(旅行保険が付帯しているカードの場合)に速攻電話だ。盗難や病気などのトラブルは、そこの現地オフィスのスタッフが助けてくれる。特に保険会社の電話通訳サービスは頼れる味方だ。

またそれでものっぴきならない事態は大使館や領事館に即ヘルプ。解決に向けての情報提供やサポートをしてくれる。安心してください。そこには日本語がある。なので渡航先の大使館番号は事前にチェックしておくといい。


トラブルでいうのなら、例えば釣り銭をごまかされたり、買い物で法外な値段をふっかけられたとしても、苦手な英語で闘うよりもむしろ日本語で「またまたぁ、そんなふっかけて〜」だとか「やるよね〜」だとか言って笑い返せば、ウッとなって和解することは多い。無駄に喧嘩をしないのも手である。
それでも相手が引かないときは、これまた英語で怒鳴っても腹に力が入らないもの。日本語で「ちょっと! ごまかさないでよ!」とか「あんた! 警察行く⁉︎」などと、心を込めて日本語で言い放つほうが効果的なのだ。

なので何かトラブルが起きて、英語のレベルを落としてくれなかったり、現地語を貫こうとする空港や税関の職員や警察官がいて、もうにっちもさっちもコミュニケーションが成立しなくなったとき。
「わからんもんは、わからんのじゃ!」と開き直り、日本語で堂々と対応すべし。オドオドと慣れない英語で汗をかいているほうが、いろいろと怪しまれるというもの。肩をすくませて気弱になっていると、相手はもっと威圧的になるかもしれない。
そんなときには菅原文太さまを召喚し、ドスの効いた日本語で「何言ってんのかわからんのじゃぁ! こちとら日本人じゃぁ!」とがなってみよう(うそです。もうちょっとマイルドでいいです)。とにかく、日本語で自分について真摯に話し続けて、相手が諦めるか、通訳を呼んでくれるか、優しい英語にレベルを落としてもらうかの持久戦に持ち込もう。

あるいはよっぽどの奥地でなければ、たいてい石を投げれば日本人観光客に当たるというもの。年間1600〜1700万人前後の日本人が海外に行くのである。その人の語学レベルが自分より高ければ、加勢してもらうのも手だ。「日本人ですか? 英語話せますか?」と、声をかけてみよう。そんな質問ができる図太さも、生き残るためのスキルなのだ。


( その4へ続く! ) 


ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️