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仮病にのる

世間では「うつは心の風邪」と言われることがあるが、これは製薬会社が新薬の販売促進のために作ったキャッチコピーであり、うつは実際には風邪とはいいがたい。長期化しやすいし、人生に深刻な影響を与える。ライトなものではないのである。
むしろ仮病こそが「心の風邪」ではないか。それなりに毎日学校や仕事に行っているのに、ある朝突然「今日は行きたくないなぁ」と思う。これをサボりと思ってはいけない。いや、サボりかもしれないが、「サボりたい」と思っている時点で、あなたはいつもと違う。あなたの心は炎症を起こし、発熱している。
つらいのは、心の発熱を体温計で測れないことだ。医療人類学では、欧米ではうつは精神面での変化として表れるが、日本を含めた東アジアでは身体面の変化として表れやすいと語られている。私たちの文化は、体にしっかりと症状が現れるまでは、病人として扱ってもらえず、休養に入ることが難しい。しかし、体に症状が現れたときには、かなり厳しい状態になっているわけだから、本当はそれ以前のところでケアが開始されるべきなのに。
病気にならないために一番重要なことは、心と体をカチンコチンに鍛えることではない。硬すぎる鉄はポキッと折れやすい。そうではなく、病気がまだ小さいうちに発見し、こまめにケアを受けることこそが王道である。
そう考えると、仮病こそが最強の健康法だとわかる。心の発熱を繊細にキャッチし、大げさな演技で体調不良をアピールする。そうやって、休養と周囲のケアを調達する。そもそも体調不良を演じていると、だんだんと本当に苦しい気持ちになってくるものである。実際に発熱していなくても、熱が出たような気分になってくる。そうなるとシメたものだ。あなたの心に蓄積した疲弊が、体を損なうことなく、発散される。
逆に言うならば身の回りで切りを使っている人を見かけたらその演技に乗ってあげるべきだ例えば子供が風邪を訴えているならエビデンスの提出を求めるのではなく脚本に沿って契約を演じてあげる心配してあげ休養を撮らせてあげるこういうことだ目には目を演技には演技を気病休のは彼氏ようなのであるそうじゃないと心の風は心の反映までこじれてしまって長期療養を余儀なくされてしまう後遺症が残ることだってある。
逆に言うならば、身の回りで仮病を使っている人を見かけたら、その演技に乗ってあげるべきだ。たとえば子供が風邪を訴えているなら、エビデンスの提出を求めるのではなく、脚本に沿ってケア役を演じてあげる。心配してあげ、休養を取らせてあげる。こういうことだ。目には目を、演技には演技を。仮病を癒すのは、仮治療なのである。そうじゃないと、「心の風邪」は「心の肺炎」にまでこじれてしまって、長期療養を余儀なくされてしまう。後遺症が残ることだってある。(pp.161-2)
東畑開人『心はどこへ消えた?』

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

いきなり長文引用から入り、申し訳ありません。

もう言いたいこと全て東畑さんが言ってくれているので、ごちゃごちゃ書く必要はないのですが。

仮病に罪悪感を覚えてしまう方にとっては、とても救いとなる言葉なのではないでしょうか。

仮病は心の悲鳴なのです。

「これ以上はヤバい!休んで!」

という。

とにかく、死なないでいることが大事。

だから、どうか、仮病にのってあげてください。

欲しいのは「休養と周囲のケア」なのです。
ほんとうに。そうなんです。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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