見出し画像

鬱病虐待サバイバーが自家焙煎コーヒーショップを開業するまで②

私が生まれた古都京都

私は夏の終わりに京都に生まれた。2300グラムほどの低出生体重時児だったらしい。私の誕生を楽しみにしていた祖父は、私が生まれる前にトラックに轢かれ亡くなってしまったのだが、そんな祖父が生前に市内のはずれに買った一軒家でわたしは両親と祖母、姉と妹に囲まれて育った。


京都は四方を山に囲まれた盆地で、夏は猛烈な湿気に苦しめられる。その湿度は何か見えない膜が体にまとわりついているのかと錯覚するくらいだとてつもない。それに盆地だから当然のなのだが、どこにいても遠くにうっすらと山が見える。物心がついて自分であちこち出かけるようになってからは、いつでも付き纏ってくる山にわたしはどこか閉塞感すら感じていた。

それでも私は京都の夏が好きだった。毎年夏が近づいてくると陽射しが日増しに強くなり、草はいきいきとその緑を濃くする。汗をたらたら流しながら歩くと、湿った土の匂いが立ち昇ってくる。夏の日差しを浴びるとわたしも光合成をしているように生きるエネルギーがわいてくるのだ。

夏はお祭りがたくさんあるのもよい。
7月は日本三大祭りのひとつ祇園祭が開催される。祇園祭の少し前、祇園囃子の練習する音がきこえてくると私はわくわくと夏祭りへの期待で胸を膨らませる。

千年以上の歴史を持ち、無病息災を祈る祇園祭ははまるまる1ヶ月間つづく。その間に京都の街中には山鉾という巨大なやぐらのようなものが立ち並ぶ。釘を使わずに作られた伝統的な山鉾には提灯がたくさん括り付けられていて、日が暮れるとそれらがぼんやりとオレンジ色に灯る。コンコンチキチン、コンチキチンと祇園囃子の鳴り響くなかで眺める夜の山鉾は息を呑むほど美しい。

宵山と宵々山と言われる二日間は通りが歩行者天国になり屋台が連なり観光客で埋め尽くされる。そして祭りの締めくくりは山鉾巡行だ。青空の下で巨大な山鉾を引いた人たちたちが練り歩る姿は圧巻である。インドアのわたしは暑そうだなぁなんてクーラーの効いた部屋でテレビ中継をぼんやり眺めるだけなのだが。


家から数分にある地元の神社も、毎年春と夏に小さなお祭りを開く。りんご飴、綿菓子、みたらし団子に、射的、ベビーカステラ。サンダルを引っ掛けて祖母の手に引かれながらお祭りを楽しんだ。日が落ちて気温が少し下がり暖かく湿った空気のなかで、ぼんやりオレンジ色の照明に照らされたいくつもの屋台にあちらこちらと目を引かれながら、ほてった頬を夜風がなでる。舞台上で獅子舞が踊り、蜘蛛の糸を散らす。

毎年いつも買っては食べきれないりんご飴を懲りもせず冷蔵庫にしまい、お風呂に入って布団に潜る。眠りにつくまで遠くから祭囃子が聞こえるのだ。明日もお祭りがあればいいのに、と思いながらそっと目を閉じる。

そんな伝統と文化が生活の中にひしめき息づく京都の街は、希死念慮に包まれた行き場のない青春時代の私を、そのみなぎるその生命力でただただ圧倒してくるのだ。

夏は暑く、冬は寒く、娯楽欠ける住みづらい街だが、やはり京都の街の景観と四季は美しい。
市内は794年平安京の時代の「条坊制」によって区画整理されたため、南北と東西の通りが垂直に交る碁盤の目のように美しく張り巡らされている。京都の通り唄を覚えているとほぼ道に迷うことはない。

その反面道幅が狭く車道は一方通行が多いので、車乗りにとっては不便極まりないだろう。自転車があると小回りが効いて良いが、繁華街は通ることができず、道路端には自転車と昔の荷車である大八車禁止マークの看板が掲げてられている。今時大八車はないだろうと思うが、恐らくこれも観光客に向けられたウィットに富んだ京都ジョークである。


京都人は自分たちの歴史ある街とそこにルーツのある自分たちに誇りを持っている人が多い。根っからの京都人はやはりメディアで言われるような観光地特有の裏表がある府民性で、礼儀作法に厳しく言葉の裏に隠れた意図を読み合う必要がある。
そのねばっこい人間性と、娯楽のなさから横行する人の悪口噂に嫌気をさしつつも、離れてみるとやっぱり京都の文化の中で生まれ育った自分に屈折した誇りを抱いてすらいる。嫌な思い出がありすぎた街だが、やはり私のルーツは京都であり、いまだに愛憎入り乱れた想いを抱いていることは否定できない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?