イマイチSF映画「さよならジュピター」
はじめに
古い SF 映画を紹介しても、どーせみませんよね?
今更、ネタバレも気にしなくて良いし。
という事で、イマイチSF映画の全てを語るシリーズを立ち上げます。
「NHK 100分で名著」という番組があるが、そのノリで
初回は、小松左京原作のSF映画、「さよならジュピター」です。
小松左京と言えば、日本沈没 復活の日 首都消失
世の中は Star Wars の1,2,3作目封切後 という時代です。
以下 wikipedia を元に、説明追加します。
どんな映画?
『さよならジュピター』(英題:Sayonara Jupiter[6][注釈 3])は、1984年に公開された東宝と株式会社イオの提携による日本のSF映画(特撮映画)およびその原案をノベライズしたSF小説。
同時進行は、2001年宇宙の旅と同じ。
概要
地球に接近するブラックホールを、木星を爆発させることにより軌道を変更させようとするプロジェクトを軸に、さまざまな人間模様を描く。
人類生存のために木星改造~破壊へと向かう技術者グループと、自然との共生主義を謳う宗教団体のメンバーにも関わらず、教祖を愛するが故にその気を引くためテロリストと化してしまう女性の一派の対立劇に、お互い愛し合っているにも関わらず皮肉な対立をする主人公とヒロインの要素が加わり、光線銃によるアクションなども盛り込まれたが、映画作品としての評価は非常に低く、後年にDVD化されSF映画ファンからyoutubeを含めた解説等で「いろいろ詰め込み過ぎて破裂した」と、各方面で酷評されている[要出典]。
小松が執筆した小説版は、初期の映画の脚本を基にしたノベライズである。登場人物や地球の未来社会も綿密に描かれており、映画よりもこちらの方が評価され、1983年にSFファンの投票によって決定される星雲賞の日本長編部門賞を受賞している。
そーなんですよね。原作小説はちゃんとまとまっているのですが。
あらすじ
西暦2125年、太陽系外縁の開発に着手していた太陽系開発機構(SSDO)は、エネルギー問題の解決と開発のシンボルとして、2140年の実現へ向けて「木星太陽化計画」(JS計画)を進めていた。
①「火星の極冠の氷をとかしたところ、ナスカの地上絵にそっくりの地上絵が発見された。それは太陽系にやって来た宇宙人からのメッセージのようで、それを解く鍵は木星の大気内にあるようだ。」
②「彗星源探査に行くことになった。ここ数年、冥王星軌道の外から来る彗星が異常に減っている。無人探査機を2機飛ばしたが、2機とも消息を絶った」こっちは大事。
その後、英二はミネルヴァ基地の説明会で、長距離貨客宇宙船「TOKYO-III」でミネルヴァ基地の調査団としてやって来た、長らく音信不通だった恋人マリアと再会を果たすが、彼女は過激な環境保護団体「ジュピター教団」の破壊工作グループのメンバーとなっていた。
マリアもどーでも良い様な。ジュピター教団がおかしいけど、今思うとリアル
天文学者・井上を乗せて彗星源探査に向かっていた長距離高速宇宙船「スペース・アロー」が謎の遭難を遂げる。原因はミディアム・ブラックホール(太陽の質量の十分の一程度)との接触によるものであり、しかも太陽に衝突するコースをとっていることが判明。
月の対策本部にて、英二が提案した。「木星太陽化のプロセスを応用して急激な核融合反応を起こし、木星を爆発させてブラックホールに衝突させ、ブラックホールのコースを変更させる」。太陽系を救う方法は、それしかない。英二に与えられた時間は2年だった。
私の結論
大体無理な計画。しかも、自分から言い出す。典型的な SF の一ジャンル。PJ モノとでも言いましょう。ちゃんと自動で木星をぶつける仕組みを、二年で作る本田チーフ。しかし、最後に教団テロリストに邪魔され、ギリギリまでメンバと対応するが、間に合わないので本田チーフのみ残って犠牲となります。
木星は無事ぶつける事が出来、ブラックホールの起動はわずかにそれて地球も被害は出るが、全滅とはならず、人類を救った本田チーフ。合掌。
最後にチームメンバが木星軌道上に残った小惑星に、本田チーフの墓を建てて終わり。バックにユーミンの VOYAGER が、バーンと流れます。
キャストのネタ
本田英二(JS計画調査主任):三浦友和
僕らの本田チーフ カッコいいというより、理想的なリーダー像アニタ(ジュピター教団)[注釈 6]:小野みゆき
最近見ないですよね。もう還暦なのか 小野みゆき - Wikipedia井上博士(天文学者)[注釈 14]:平田昭彦[注釈 15]
言わずと知れた、東宝SF映画の不滅のエース 惚れる
何と本作が遺作 作中の死にっぷりに涙目
ムハンマド・マンスール(彗星源探査本部):岡田眞澄
ファンファン大佐? オールド SF ファンにはマグマ大使でおなじみ
スタッフ
小説
原作:小松左京
ブレーンストーミング:豊田有恒、田中光二、山田正紀、伊藤典夫、高齋正、川又千秋、鏡明、横田順彌、井口健二、高千穂遥、野田昌宏
連載時の連名:豊田有恒、田中光二、山田正紀
最終原稿作成:小松左京
映画
製作協力:東宝映像株式会社
製作:田中友幸、小松左京 ※その後東宝の社長になる偉い人
音楽:羽田健太郎 ※マクロスの劇伴で有名
特技監督:川北紘一 ※ゴジラずーッと撮ってる特技監督
総監督・原作・脚本:小松左京
主題歌など
「青い船で」松任谷由実
製作
製作の経緯
1977年、アメリカではSF映画『スター・ウォーズ』が公開され、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』のヒットも手伝って、日本ではSFブームが巻き起こった。『スター・ウォーズ』の日本公開は1978年となり、日本でもヒット間違いなしと言われており、この公開前に日本でも『スター・ウォーズ』に便乗したSF映画が各社で作られた。東宝では『惑星大戦争』、東映では『宇宙からのメッセージ』である。
まあ、どっちもひどい。全くお勧めしない。
日本でも『2001年宇宙の旅』に匹敵する本格SF映画を作りたいと念願していた小松は、改めて本格的なSF映画をということで、東宝と合意[33]。
小松は1977年暮れから、当時の若手SF作家を中心に集合をかけ16回に及ぶブレーン・ストーミングを行なった[35][33]。参加したメンバーは、豊田有恒、田中光二、山田正紀、伊藤典夫、高齋正、川又千秋、鏡明、井口健二、横田順彌、高千穂遙らで[35]、スタジオぬえの加藤直之、宮武一貴がイメージ・スケッチを描いた[36][37]。
日本SF陣の総力を結集したイメージ SF ファンとしては、大期待!
1979年に木星に接近したNASAのボイジャー計画による最新の探索データが取り入れられ[38]、また、ハードSFで知られるSF作家の石原藤夫にも声がかかり、映画に登場する天体の軌道計算を実施。当時出始めの8ビットCPUのパソコン(マイコン)で行なわれ[37]、その結果は木星の質量でブラックホールの軌道を変えたとしても、ブラックホールの影響を吸収しきれず、地球の公転軌道が大きく変わってしまうというものであった。いくつかのシミュレーションがあり、条件によってなんとか人類の生存が可能な状況になるものもあった。
日本沈没で電卓を買った、小松先生らしい。
映画化に先駆けて、映画の初稿脚本を原作としたノベライズを1980年から週刊サンケイに連載
連載中の1981年、小松は本作制作のために、株式会社イオ(個人事務所)を設立し、本作を東宝とイオの共同制作とする[41][34]。小松は脚本執筆のみでなく、総監督として現場の指揮も執ることになり、映画化の全般に責任を負う体制を敷いた。
株式会社イオ(小松左京事務所) (iocorp.co.jp)
イオではストーリーボードをはじめとした映画製作資源の時系列管理一元化を支援する目的で、パソコンが積極的に活用された[43]。この当時一般的だったパソコンとはCUI・スタンドアロンBASIC言語によるソフト開発・HDDは無くストレージはカセットテープ記録のみ、というようなものであったためフルスクラッチ開発は素人にはハードルが高く、小松は「俺もさすがにパソコンは使えないか」と落胆したというが、ソード社の簡易開発環境PIPSには高次の機能をまとめた独自コマンドが多数用意されていてプログラマでなくても開発できるということがわかり、結局これを導入することで事務局スタッフでも管理システムを自主開発し運用することが出来た。
撮影
劇中のコンピュータのディスプレイとしては主としてCRT(ブラウン管)モニターが使用された。これは毎秒30コマであるのに対し、撮影用の映画フィルムは毎秒24コマである。両者のコマの周期が違うために、このままではモニター画面にちらつきが生じ見辛くなってしまう。これを避けるために、CRTモニターが写る場面では、フィルムを毎秒30コマにして撮影し、映写時に24コマに戻すという方法が取られた(スローモーション撮影と同様の手法)。当然、俳優の動作が実際より遅く見える事になるが、撮影時に俳優に普通より速く動作してもらうことで対応した。
特殊撮影
日本の特撮映画では初めてロボットアームを使用してモーション・コントロール・カメラによる撮影を行った[出典 11]。日本には映画撮影用の専用機はなく、ロボットはアマダ製の工業用(「アボット」の愛称)を流用した[33][注釈 19]。
その一方で、日本特撮の伝統芸である「吊り」によるミニチュアワークも随所に見られる。
当時まださほど精度の高くなかったCGも積極的に使用された[43][1]。モニタ表示画面の殆どはパソコンで製作したものだが、撮影当時、世界に数台しかない三菱総合研究所所有のスーパーコンピュータ「Cray-1」で製作された物も一部含まれている[注釈 22]。
NASA所有のボイジャー探査機の画像デジタルデータを基に、日本映画で初めてCGを実景として使用したものである。
特撮用の木星の模型などは、NASAのJPL(ジェット推進研究所)でスチール写真に落とす処理を行ったボイジャーの撮影データがそのまま用いられた。
おまけ
計画のシンボルマークは占星術・天文学で使われる木星と太陽の惑星記号を組み合わせたもの。同時に計画目標年とされる西暦2140年を表している。
主人公の名前、本田は自動車メーカーのホンダから。小松はスポンサーや車両提供などを密かに期待していたらしい。
ボイジャー1号の観測によって木星に輪があることが発見されたため、本作においても輪が描写されている。羽田さんのピアノのBGMとともに一瞬輪がきらめくシーンは、当時最新の観測成果が反映された印象深いカット!
テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する「第3新東京市」の名は、本作の宇宙船「TOKYO-III」にちなんでいる。また、劇場アニメ『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』では挿入歌として「VOYAGER〜日付のない墓標」が使用された[51]。
おまけ2
2001年宇宙の旅を意識してます。オマージュ?
まとめ
凄い映画が出来るはずで、日本 SF 界の総力を挙げたのですが、私が映画館を出た時には気が遠くなっていました。「ああ、もうこれでSF映画はB級娯楽作品の烙印を押されたな」と。Star Wars は SF ファンにとっては「キワモノ」だったのですが、「2001年宇宙の旅」との決定的な違いには、打ちのめされました。
元々、ユーミン(松任谷由実)のファンだったので、時々 VOYAGER を聞くのですが、その都度本田チーフの苦労と、この映画を思い出します。
PJ が如何に難しいかを、本田チーフが苦労する映画の内容と、この映画を作り上げた小松左京先生の苦労を思う訳です。
本田チーフ、小松先生(平田さん)お疲れ様でした。1SF ファンは、決してあなたたちを忘れません。
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