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山本直樹 『定本レッド 1969-1972(全4巻)』

昨年11月から4ヶ月連続で新装版全4巻として13巻分をまとめて収録した『定本レッド 1969-1972』を読了した。

4冊揃った3月から一気に読もうと思ったが、あまりに悲惨な痛々しい内容のため途中で止めては1週間後にまた少し読んでと、なんだかんだで1ヶ月半かけて読み終わった。

1969年から1972年のあさま山荘事件までの連合赤軍およびその母体となった2つの新左翼団体をモデルにしている。
一応フィクションということになっているが、関係者の証言などを基に事実に忠実に描かれているらしい。

物語は基本的には2つのグループとそのメンバーの視点から時系列で出来事が淡々と描かれていく。

2つのグループとは、
・永田洋子を中心とした日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(作品中では赤城容子と革命者連盟)
・森恒夫および植垣康博らが中心の共産主義者同盟赤軍派(作品中では北盛夫と岩木泰広の赤色軍)
である。

この作品が描く連合赤軍の一連の事件についてはほとんど知らない。
リアルタイムでも記憶にうっすらとあるのは、最終巻で描かれるクライマックスのあさま山荘事件くらいだ。
当時8才。
テレビでは何日間も昼夜を問わず、この報道ばかりやっていたことをなんとなく覚えている。
今もYoutubeでは当時の報道を一部観ることが出来るが、当時8才の子供にはもちろん何が起きているのか全く理解していなかった。

山間の別荘を取り囲む武装した警官隊、クレーン車が大きな鉄球で別荘を破壊するシーン、別荘に突入する警官隊、煙幕、発砲音、それら一連のシーンをアナウンサーが興奮した口調で実況する音声。
テレビで終始映されるそうしたシーンを見つめる親、何かとんでもなくよからぬ事が起きているんだろうと思ったことはうっすらと覚えている。
いや、もしかすると後年になって当時の話をしている番組で見た記憶かもしれない。

また、彼ら連合赤軍系過激派(細かい派閥や分類はさっぱり理解出来ていないので間違えていることは重々承知)関連で同じようにイメージする映像としては、第1巻にも出てくる1969年に起きた東大安田講堂の占拠事件を頂点とする一連の学生運動や、後年の成田空港開港に関連する反対占拠運動など。
いずれも時の権力に反対する左派の過激運動としてぼんやりと記憶されている。

連合赤軍、ヘルメットとタオルのマスクで顔を被った人たち、共産党過激派(おそらく一部の偏ったイメージだとも承知している)、火炎瓶、煙幕、デモ隊

そうしたネガティブなイメージが映像とセットになって強烈に刷り込まれているためか「共産党=左翼=反政府運動=怖い」という短絡的なイメージになっているのは、時の権力者と報道機関の「教育」の賜物かもしれない。

そんな幼少時のぼんやりとしたイメージを持ちながら自身も大学生になった。
1980年代後半。
学生運動はすっかり表立っては行われなくなっていたが、かろうじて当時の残党たちが、入学式や学園祭など学生が集まる時になるとどこからか出てきて活動していた。
関西では当時特に京都の同志社大学は酷かった。
入学試験会場となった校舎の正門前でヘルメットとタオルで顔を隠した学生達(本当に学生だったのかは不明だが)がマイクと拡声器で必死に何かを訴えていたがさっぱり何を言っているのかは分からなかった。

関西大学に入学した僕も入学式後のガイダンスで登校した時に彼ら(同志社大学の彼らと同じグループなのか、主張は同じなのかなど具体的なことはさっぱり分からなかったが)と遭遇したことがある。

同志社大学と比べて関西大学ではそんなに活動は活発ではなかったのか、肩身狭そうなほんの数人のやはりヘルメットとタオルで顔を隠した学生が、部活動やサークル勧誘の学生達に紛れてビラを持って近づいて来た。
二年浪人して入学していた僕はとっくに成人式を迎えていたので、新入生とはいってもおそらく彼らと同世代だった僕は彼らと対峙してもさほど物怖じすることもなく、政府や大学側を一括に権力側としてそうした権力側に対して何かの憤りや怒りを持っているということにシンパシーを感じなくはなかったが(実際、当時「朝日ジャーナル」や「話の特集」などの反体制と言われた雑誌を愛読していたし、セックス・ピストルズやクラッシュなどのUKパンクムーブメントにもガツンと頭を撃ち抜かれていたので、ノンポリとはいえども心情的には左側の反権力側には立っていた)、
ヘルメットやタオルで顔を隠しているという彼らの姿勢、卑屈さや薄暗さに何故かしら怒りを覚えて、
「お前らなぁ、主義主張があってそうやって運動してるんやったら、タオルで顔なんか隠さんと堂々と顔出してから来いや!せやないとお前らなんかの言うことなんか誰も聞けへんぞ、あほんだら!」
と一喝したことを今でも覚えている。
今から思えば、自分も若くてあほでした。
気性の荒い相手だったら、ソッコーで拉致されていたかもしれないのに。

そんな、1980年代に青春時代を過ごした僕らの世代は、かろじて学生運動の世代の残り香がある時代で、だからその反動として、ひょっとすると今の若者たちよりもかえって政治に対しては後ろ向きになっていた(ように教育された)世代かもしれない。
「政治のことを声高に言う輩はろくなもんじゃない」

だからではないが、この『定本レッド』のオリジナルコミック版がKindleで1巻だけ無料で読めるようになった時に読んだ時に、これまで読んだことのないその話や作劇に魅了されて、しっかりと記憶に残っていた。
そして、この時代の若者の話を、今こそしっかりと読んでおかなければいけない、そう思っていた。

冒頭から、登場人物には①②③。。とナンバリングされている人物たちがいて、彼らはやがて警察の銃弾だったり、仲間内のリンチだったりで命を落としていく運命にある若者たちが最初から明らかにされているのだ。
そして、途中途中の日付でそれぞれの登場人物について、
「◯月◯日 (氏名)XXXXで逮捕されるまで(または、絞殺されるまで)あと◯◯日」
とカウントダウンされていく。
そんな描き方をされたマンガ(小説であっても)はこれまで読んだことがないので、いつかしっかりと全部読んでおきたいと思っていた。

そして2022年11月から太田出版より全巻まとまった形の新装版として出版されるということで、毎月1巻ずつ購入して読みはじめたという訳である。

読んだ結果、一言で表現するのは難しいけれど、正直彼らがどうしてそこまで自分たちを追い詰めていき、ドツボにはまって行ったのかその心情は全く理解することは出来ないけれど、
10代20代の若い頃に自分も、何かちょっとしたきっかけでそうした活動に身を投じてしまったとしたら、訳も分からずに。気がついた時にはもはや後戻り出来ない状況になってしまっていて、人を殺めることに手を染めてしまう、そんな可能性も無いとは言い切れないだろうな、と思った。
同調圧力なのか、集団催眠状態なのか、熱に浮かされたというべきか、
とにかくそういうことは自分の身には起きないと決して言えないところに怖さがある。
特に高学歴で頭でっかちになっていて、すごく狭い価値観の中で理想だけを語っているようなそんな真面目な若者だからこそ、極端から極端に簡単にはまってしまうんだろうと思う。
オウム真理教などのカルトがドツボにはまっていくのと全く同じだ。

最初はそれなりに崇高な理想や主義・主張があったのかもしれないが、やがて自家中毒を起こして、ドツボにはまっていく。
そして、気がついた時には、明日にでも「総括」という名で他のメンバーと同じく殺されるかもしれないことが分かっていても、その中に戻っていってしまう。
本当に愚かだけど、どうすればいいのだろう?
真面目過ぎずないように、少しくらい不真面目な方がよくて、あまりひとつことを思い込み過ぎないように、視野を広く持つように
そんな事、言ってもなぁ。
真面目な若者こそ餌食になってしまうって悲しいな。




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