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016善光寺参り②

こんばんは。

先日に引き続き、善光寺参りについて、お話させていただければと思います。

善光寺の御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島の百済を経由して552年の仏教伝来の折り伝えられた日本最古の仏像と言われています。遠い旅路を歩み、日本にやってきた仏様は苦難に見舞われます。なんと、崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派によって水路に捨てられてしまうのです。

そこを信濃国国司の従者として都に上っていたが信濃の国へとお連れし、お祀りされたことが善光寺の縁起と言われています。それ以来、約1400年の長きに亘り、無宗派のお寺として、男女貴賤の区別なく全ての人と阿弥陀様の結縁の場として、広く信仰されています。

さて、今回はそんな善光寺にお参りに行きまして、特に印象に残ったお戒壇巡りについてです。お戒壇巡りとは、御本尊のある瑠璃壇の真下を通る真っ暗な回廊を進み、途中の「極楽の錠前」に触れることで、阿弥陀様と直接ご縁を結べることができると言い伝えられています。
 
私は、阿弥陀様との直接のご縁を結べることを願い、意気揚々と階段を下りて歩き始めました。しかしながら、2~3歩進むとほとんど見えず、さらに数歩進むと真っ暗になり、ほとんど何も見えません。夜の家は外からの灯りが入ってきますが、お戒壇は本当に真っ暗で何も見えないのです。
 
右手で触れている壁はとても冷たくて、方向感覚も失いましたが、冷たい暗闇の中を唯々一歩ずつ進んでいくしかありませんでした。しばらくすると、突如として現れた柱と曲がり角に、軽いパニックになりました。
 
お戒壇は死後の世界を疑似体験する場であり、一度死んで地獄に落ちたのちに、阿弥陀様のご縁によって、この世に再び生まれ出るという話もありますが、あながち間違いとは言えないように思います。
 
そんな中で、唯一便りになるのが、人の気配でした。前から後ろから、ほんのわずかですが、音がしまして、パニックになりそうな心を少しだけ落ち着かせてくれました。道綽禅師は「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」と言われましたが、この永遠の繋がりこそが、この世界を生き抜く智慧の一つなのかもしれません。

そしてなんとか、錠前と思われるものを触れたのですが、正直なところ、阿弥陀様とのご縁よりも早く逃げ出したいと気持ちが強かったです。

だからこそ、暗闇を抜けて出口の明かりが目の前に現れた時の安心感は、格別のものでした。私には、それが阿弥陀様の私を包み込むの光明のように思えてならなかったのです。

阿弥陀様とのご縁すら素直に喜ぶことも出来ない私だからこそ、必ず救われるのです。

合掌。南無阿弥陀仏。


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