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003納骨を終えて

こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか。
 
先日、一周忌の法事・納骨が無事に終わりました。母が亡くなり、後を追うように祖母が亡くなったため、今回は二人の納骨を行う、少し変わった形となりました。
 
生物には、必ず死というものがあり、必ず亡くならなければならないというのは、ごくごく当たり前のことです。
 
しかし、骨壺の中の骨は、私の知っていた母や祖母の姿とかけ離れており、あまり実感が沸きませんでした。母の遺骨を納骨していると、関節の膨らみの骨がありました。それは、小学校で見た人体模型を思い出させたのですが、どうにもそれが母であることを理解できません。一年が経ち、納骨を終えたのですが、未だに何処かで幸せに暮らしていて、また会えるのではないかと考えてしまいます。
 
私自身は、生物学者でも、科学者でも、哲学者でも、宗教学者でもありません。そのため、神や仏、私が信仰している阿弥陀仏が実在するのか分かりません。
 
しかし、また会いたい、幸せであって欲しいという思い、願いが、私に念仏を唱えさせているのではないかと思います。それが、阿弥陀さまのお力なのかもしれません。
 
 
合掌。南無阿弥陀仏。

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