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死んで、骨になって。。。でも、まだ、その先があるよ、っていう話です。

このところ、死んだらどうなるか、ってことを、よく考えているんだけれど。。。

まあ、体力的な衰え、気力的な減退、自分が年寄りになったんだなあ、という実感。。。そういう、もろもろが、そろそろ「死」への準備をしないとね、って促しているのかもしれないねー。。。

今日の聖書の言葉。

信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。
ヘブライ人への手紙 11:22 新共同訳

自分の場合、中学時代に愛犬が死んで、隣家に住んでいた祖父が死んで、それがトリガーになって、死の問題を短期集中でガーッと考えて、仏教経由でキリスト教を求道して、クリスチャンになった、という履歴があるんだけれど。。。

イエスは死んで復活した~イエスに結ばれている自分も復活する~これで死の問題は解決~ハレルヤ♬ っていう中学2年生の単純な信仰でもって、このまま自分、死ねばいいかなー、って思って来た。。。

で、たぶん、その単純なまま、行くんだろうなー、って予想はしているんだけれど。。。

しかし、中2の時よりは、もっとディテールを意識するようになるよね。

だって、どんどん肉体も精神も衰えて行くじゃん。。。骨と皮になるじゃん。。。息を引き取るじゃん。。。火葬されるじゃん。。。墓地に納骨されるじゃん。。。

その骨が、じゃあ、イエスの再臨の合図のラッパと共に、いったい、なにがどうして、どういうふうに「復活の身体」に変貌するのよ? っていうディテールの問題。

意識するよね、そりゃ、近づいているんだから。。。

そういうディテールについては、聖書は、多少は言及しているんだけれど。。。

こんな感じだ。。。

主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」

わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」

そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。 わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」

 わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。 わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。 

主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」

わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。

エゼキエル書 37:3-8 新共同訳

まさにこの箇所を題材にしている黒人霊歌があって、その名も「枯れた骨」(ドライ・ボーンズ)って言うんだけれど。。。

これだ。日本では昭和の時代にデュークエイセスが歌っていたよね。。。

自分の骨も、こんな感じで、リズミカルに、たのしく、カタカタ言いながら組み立てられて、筋が付き、肉が付き、皮が付き、最後の仕上げに「いのちの息」が吹き込まれて、30歳ぐらいの身体に復活できるんなら *。。。

まあ、それも、悪くないよねー。。。

神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。
コリントの信徒への手紙一 6:14 新共同訳

註)
*  中世の神学者トマス・アクィナス(1225-1274)は『神学大全』第81問で、イエスが復活したのは30歳頃で、人間の身体はその年齢が完成形態であると考えられるから、われわれも30歳ぐらいの身体で復活するだろう、という議論をしている。つまり、幼くして死んだ者も、高齢で死んだ者も、復活したときには30歳の身体になる、ということになる。

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