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勘違い、懐かしさ、遊び。

ガイドの方がついてくださる旅を最後にしたのは、いつ頃だっただろうか。おぼろげな記憶をたどっても思い出せない…というくらい、自由気ままで、時間を忘れてしまうくらい、あてのない旅が私は好きです。

高木正勝さん(映像作家・音楽家)のエッセイ集『こといづ』を読んでいて高木さんがアフリカのエチオピアに撮影旅行をなさった時のことが書かれている。「ああ…そうなんだよなぁ…そうそうそう…」と、言葉の一つひとつが胸に響いて、なんだか涙腺がゆるんでしまいました。

はじめから終わりまで、ずっとガイドが共に行動してくれ、一人では辿り着けないような場所に連れていってくれたり、村に入った時に撮影しやすいように動いてくれたり。たくさんの幸運に恵まれて、一緒に旅ができてよかったと感謝しているのですが、ただひとつ、どうしても我慢できないことがありました。目にするもの、ひとつひとつに対して説明が入ってくるのです。「これは何年に建てられた建物で、こういう出来事があって」、一度はじまると止まらない説明がどしどし飛んでくる。最初のうちは、「ふむふむ、そうなのか」と真剣に聞いていたのですが、ほどなく、同行していた妻が「ああ、だまって!勘違いさせて!!!」と、こっそり僕に耳打ちしました。そうそう、旅の醍醐味は「勘違い」なのです。「勘違い」したい、させておくれ!

高木正勝『こといづ』 かんちがい

例えば、昔、王様が住んでいたお城の遺跡に行ったとして、僕が得たいものは「何年に何があった」という情報ではない。「この壁の染みが笑ってる人に見える」というつまらない発見だったりする。「聖者が悪魔を退治している絵ですよ」と説明を受けるより、「このやっつけられている可哀相な者こそ、素晴らしい何かだったんだろう」と妄想をふくらませたい。土産物屋で見つけた、現地の人にとってはスプーンを「素敵なかんざし」と勘違いして使ってみたり。市井の人が何気なく口ずさんだ歌に、空が歌い山が笑う奇跡を、勘違いでもいいから聞き取りたいのだ。

高木正勝『こといづ』 かんちがい

旅の醍醐味は「勘違い」にある。そうなんですよね、そうなんです。何度も何度も響いています。「壁の染みが笑っている人に見える」瞬間の高木さんの気持ちが、なんだか分かる気がするんです。

たとえば、神社や仏閣の柱や梁に浮かんでいる木目が、ふとした瞬間に川の流れのように見えて、その悠々とした川のイメージが、建物に積み重なってきた歴史、悠久の時の流れに深みを与えてくれるような気がしたり。それも勘違いかもしれません。

勘違いした時の気持ちというのは「驚き」や「懐かしさ」そして「遊び心」が混ざりあったような、温かみがありながつつスッキリと爽やかな、そんな気持ちです。

最近、ヨガをしていて、今まで意識が向いてなかった下腹部の内側に意識が向くようになりました。ヨガには「バンダ」という考え方があり、「丹田」の概念にも通じるようです。

バンダはハタヨガの呼吸法であるウジャイ呼吸で、体内に取り入れたプラーナをコントロールするために用いられるテクニックのことです。(中略)バンダを行う際は、お腹の下あたりにある丹田を意識し、喉の奥を引き締めながら深く呼吸します。このバンダや丹田、喉の奥で鳴り響く呼吸音を意識しながら行う呼吸にはリラックス効果や集中力を高める効果が期待できると言われているのです。

ZEN PLACE

位置的にはおへその下で、その場所の少し内側の部分。この部分がなぜだか自分でも分からないのですが、ヨガの後の屍のポーズ(シャヴァアーサナ)に取り組んでいるときに、ふと微弱な鼓動が感じられたのです。

緊張をほどくことで、微弱な感覚に気づくことができる。これは勘違いにも通じるように思います。懐かしさや遊び心を感じられる時というのは、自分の身体と心がほどけている。

そういう時に、目にしたり、聴こえてきたり、香ったり、味わったり、肌でふれたりしている世界の向こう側から、声なき声の語りかけが届いてくる。

日本の「お吸い物」のイメージが重なるのですが、お吸い物は飲み終える頃にほど良い味わいになるように作るそうです。舌が味に慣れていないところから出会いが始まり、少しずつ味を探ってゆく。その、じっくりと重なってゆく「時間」がお吸い物の味わいの奥深さにあるのですね。

と、今回のNoteも高木さんの言葉や、私の身近な経験を即興的にまぜあわせながら流れるままに書いているのですが、やっぱり懐かしさや遊びの感覚があります。「よし、これを書こう!」と思っても書けなくて、浮かんだままをただただ落とし込んだ「コラージュ」というか。そのような感じです。

コラージュ(仏: collage)とは絵画の技法の1つで、フランス語の「糊付け」を意味する言葉である。通常の描画法によってではなく、ありとあらゆる性質とロジックのばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせることで、例えば壁画のような造形作品を構成する芸術的な創作技法である。

Wikipedia

人類学者のクロード=レヴィ・ストロースが提唱した「ブリコラージュ」という概念があります。

「なんだか分からないけれど、何かの役に立ちそうな気がする」という直感に従って、道端で出会った物をひろって集めておく。そこには計画性は存在しないのですが、いざ実際に何かの局面が訪れた際に本来の用途とは関係なく、その場その場で即興的に当面の必要性に役立つ道具を作ってみる。

ブリコラージュしながらコラージュする。こうした言葉遊びも好きなんですよね。遊びの感覚を大切にしてゆきたい、今日この頃です。


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