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自分のことを棚に上げる人

 久しぶりの投稿の原動力は、結局”怒り”だった。

怒りなんてものは、無意味なものだと学んだはずなのに。
怒りで解決できることなんてないし、誰かの考えを変えることも
できないってわかっているのに、身体の内側から込み上げてくる
とてつもない強さの”怒り”が私の身体を震わせた。

同僚が言った。
「電話を出る人が偏っていて不公平なので、当番を決めたい。」
そしてその同僚の何倍も仕事をしている上司に対する不満も言ってのけた。

不公平さがあるのは事実だと思うし、方法は考えるべきである。
でもその時に沸き起こった”怒り”の原因は別にあった。

それは、提案をしたその同僚こそ電話に出ないからだった。
同じ電話を複数の人間と共有しているが、その同僚は上司に電話を取らせ
自分は手も出さない。そもそも電話に出る気がない。
それを何年も続けてきた。
今更なぜそんな人が、仕事をしている上司に対して文句を言って、
”誰かを想って提案できる気が遣える人”を装っているんだろうという気持ちがその納得のいかない原因だった。

しまいには、
「いつも〇〇さんばっかり出てくれて申し訳ないなーと思ってしまうんです。」なんて言った。

自分のことを棚に上げて他人を批判する類の人間に対して
怒りを抱いたって時間の無駄だとわかっている。
それでも怒りが込み上げてきてしまう。

何か良い考え方はないかとインターネットに助けを求めた。

そこでメンタリストDaigoさんの言葉に救われた。

「自分のことを棚に上げる人間は、仕事をしないで現実逃避をしている人。
自分ができないことを相手にギャーギャー言う人は、自分と向き合っていないから仕事ができない。
一方で、
自分にもそういうところがあるし自分には言う資格ないなと思える人がいる。言わないでいられるのは、自分と向き合えている人であるという証明。
真面目に仕事をしている人ほど、自分に何が足りなくてすべきことは何かがわかる。現実と向き合えば向き合うほど気づきもあるが辛いこともある。」


あの時、怒りを自分の中で処理することができた自分が報われた気がした。
変えられるのは自分と未来だけという言葉を耳にするが、
本当にそうだと思う。

今回”怒り”という負の感情ではあったがよい学びを得られた。
自分自身を成長させていくしかない。一つひとつが修行だなと思った。
良い考えに出会えたことへ感謝したい。

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