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飯嶌、ブレイクスルーするってよ! #17 ~次長の告白

野島次長が入った店は、こじんまりとしたワインバーだった。
でもお高いフレンチ的な店ではなく、気軽に入れる雰囲気の店だった。

「ここが次長のお気に入りの店なんですか?」

「うん、まぁな。飯嶌となら家の近所でも良かったけど」

「確かにー! じゃあ今度また是非近所のお気に入りの店に連れて行ってください!」

満面の笑みを浮かべてそう言うと、野島次長も呆れたような顔しながらも笑ってうなづいてくれた。

僕はワインも食べるものも、全部野島次長にお任せした。
乾杯はスパークリング、鴨とオレンジのサラダをアテに飲んだ。
どちらもめちゃくちゃ美味しかった。

「ふぇーっ、僕も大人になったなぁ。こういうものが美味しいって思えるんだから」

そう言うと野島次長は「お前はまだまだこれからだ」と笑った。

その後も赤ワインのボトルを頼み、チーズや野菜のグリルやお肉を頼んでくれた。どれも本当に美味しくてしびれた。

仕事のことや他愛もない話がしばらく続いた。

「飯嶌は兄弟はいるのか?」
「はい、姉がいます。もう結婚して家を出てますけど」
「そうか。仲良かったか?」
「はい、まぁ普通ですか …ね。でもどうしたんですか急に」

野島次長は逡巡するようにわずかに遠い目をした。

「うん…俺には弟がいるんだ」

「へぇ、知らなかった。何してる人なんですか?」

「よく言えばSEって感じかな」

「そうか。だから次長、システムのこと詳しかったりするんですか。なるほど、納得いきました」

「まぁ、弟は俺の理解を超えた難しい話をとうとうとしていたけどな。書籍もたくさんくれたり、少しは役に立ってるよ」

そう言って少し笑ったあと、表情が急に変わり、なんだか苦しそうな顔をした。

そして再び、衝撃的な言葉が飛び出した。

「俺の弟は障がい者なんだ」

「えっ…!?」

一瞬、野島次長はその続きを継ごうか迷ったように見えた。半分ほど残っているワイングラスを弄んでいた。やがて、言った。

「自閉スペクトラム症って言うんだ。アスペルガーって聞いたことないか?」

「何となく…でもよくはわからないです」

「端的に言うと弟の場合はコミュニケーション障害を持っている。人の気持ちを汲むことが出来ない。だから友達はほとんどいない。仕事もオンラインで、あまり顔を合わさずにやっている」

「そ、そうだったんですか…」

野島次長は残っていたワインを一気に流し込んだ。
慌てて僕はそのグラスに注いだ。

「親もそんな弟を煙たがっていた。弟は俺だけを頼ってくれていた」

「いいお兄さんでもあるんですね、次長は…」

そう言うと野島次長は
「どうかな」
と苦笑いした。

「アスペルガーっていうのは、遺伝の可能性があるんだ」

「遺伝…じゃあ…親御さんも…」

「多分母親がそうだ。診断されたわけではないけどな」

「そうでしたか…」

「俺は両親が大嫌いだ。大学進学で逃げるように家を出た。母親は自分の息子が同類なのに、弟に対する態度や言動は残酷だった。父親はそういう事にはいつもだんまりだった。それが許せなかった。
そして俺も遺伝の可能性があるってことだ。その親の血を継いでいるのだから」

「えっ…? でも次長は全然コミュ症とは思えません」
「それはないかもしれないんだけど」

昭和のマンガで怒りのあまりに目に炎が上がるシーンがあるが、今の野島次長はまさにそうだった。怒りや憎しみが、わかりやすいほど伝わった。

さすがに僕はその後に何と言っていいかわからず、しばらく黙り込んでしまった。次長も気を遣ったのか、優しい表情を浮かべた。

「すまん、つまらない話を」

「いえ…そんなこと全然ないんですが…どう言っていいかわからなくて」

「そうだよな」

そう言って野島次長はグラスのワインを飲み干した。僕は慌てて再びボトルを取って注いだ。

「弟は俺しかよりどころがなかったのに、俺は家を出た。酷い裏切りだろ」

「いや…その…何と言っていいか…」

「俺の場合は社会生活に大きな影響が出てないから障害とは診断されないが、やはり親子、兄弟ってことなんだろうな。普通じゃないなって思うことがある。時折強い支配欲が襲ったり、自分の事しか考えられなくなるんだ」

「そんなこと…ないです…」

僕は悲しくなった。

野島次長は誰よりも優しくて思いやりがあって、時には厳しくしてくれて、仲間意識が強くて部下も大事にしてるじゃないか。

あんなにみんなから信頼されているじゃないか。

「学生の頃は特に酷かった。急に切り捨てたりするんだ。それまで信頼してくれていた人たちを」

野島次長はすぐにグラスを空け、遠くを見るような目つきになった。

僕は再びワインを注ぐべきか迷った。

「ほんの些細なことをきっかけにプッツリ糸が切れるように突き放した。付き合ってた子でさえも」

「でも…」

僕は ”でも禁止“ を破った。

「俺、その子のこと、めちゃくちゃ好きだったんだ。それでも…怖くなったり、どうしたらいいかわからなくなって、突き放した。今でもあの時の俺は何を考えていたんだって疑問に思うことがある」

そう言って野島次長は再び遠い目をした。その目は幾分熱を含んでいたように見えた。

僕は信じられないと言うより、そうしなきゃいけない ”理由“ があったんだと思いたかった。

よく言うじゃないか。人のキャパシティは決まっているから、無限ではないから、時には何かを手放さなきゃいけないって。

それだよ。それなだけだよ。
野島次長はそんな冷酷な、非情な人なんかでは絶対にない。

僕は情けない顔をしていたんだろう。野島次長はそんな僕を見て悲しく笑った。

「俺は自分勝手な上に支配欲が強い。自分の思い通りに置きたい。要らない奴は突き放す。欲しい人は寄せる。そして自分の思い通りにする。俺が年齢の割に役職に就いたのも、そう言った執念があるからだ」

「僕は…それが悪いことに思えないです。次長の言い方はなんか怖いけど、僕も周りも、全くそんな風に思ってません。次長は周囲に強い、それも良い影響を与えていて、成果を出しているじゃないですか」

「俺はお前や周囲が思っているほど完璧な人間じゃない。相当不完全な人間だ。もし俺のことを完璧だと思っているなら、今すぐ考えを改めるんだな」

「どうして…そんなこと言うんですか…断ります」

僕は自分のグラスも煽った。野島次長が少し目を丸くする。

「お前、無理するなよ。家が近いからって介抱しないぞ」
「あ、そこ、冷たいかもやっぱり」

野島次長は苦笑いしながら、自分でグラスにワインを注いでいた。それで1本空いてしまった。

「僕は次長を尊敬しています。本気でそう思っています。根拠はやはり成果を出して今の役職に就いているからです。そして身近な周囲の人は誰もが、次長がいかに優秀なのか共通して認識しているからです」

「…」

「僕、きちんと根拠を示しましたよ」

野島次長はフッと笑った。

「でも次長…どうしてそんな話を僕にしてくれたんですか」

「どうしてだろうな…」

「みんな知ってるんですか、その話」

「いや」

グラスの中の赤をじっと睨むように見た野島次長が、小さな声で言った。

「妻にもここまで直接的には話したことないかもな」

「え…」

野島次長はまた遠い目をした。
でもさっきよりも穏やかな表情になっている気がした。

「酒のせいか、話が出来てなんかホッとしてるよ」

こちらを向いた野島次長の表情は、やはり穏やかだった。

「飯嶌だから話したくなったかな。俺にはお前みたいな屈託のない人間が必要なんだと思う。妻もそう言うタイプだし」

「それって…え、僕すごく信頼されてるってことですか? 奥さん並みに?」

「自分で言ってしまうのもお前らしいがな。奥さん並みではないが、まぁそう言うことだ。あとはお前がワインなんか飲ませるからな」

「酒のせいもあるのかー」

ちょっと悔しくて頭を掻きむしると、野島次長はそれを見て笑ってくれた。

ただ、僕はこの時ほど嬉しいと思ったことはない。

…一つ挙げるとすれば、美羽に告白しようとしたら逆告白されて、同じ気持ちだったんだ、とわかった時と近いかもしれない。

こう言うのも共感って言うのかな。いや、共鳴、かな…。

「あの、次長、ひとつお願いがあります」

「なんだ」

「次長は中澤のこと、名前で呼びますよね。良かったら僕のことも名前で呼んでください」

次長は笑って「いいよ」と言ってくれた。
そして「そうだよな…」と独り言のように呟いた。

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第18話へつづく



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