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実家を売った時に見つけた一冊から考える『花束みたいな恋をした』

二年ほど前、実家を売った。

売ったといっても持ち主は父なので、私が売ったワケではないのだが。

横浜市郊外にあったその実家は、一軒家で2000年頃に建てられたと記憶している。それまで借家暮らしだった我々家族にとって、その家はいわゆる「夢のマイホーム」で、家の隅々まで愛着があった。

その実家を売られることになったのは寂しくもあったが、これも時の流れ、と思いながら実家の片づけをしていた。

実家に置きっぱなしにしていた大量の本を処分していた時、その中に身に覚えのない本を見つけて、なぜこの本が私の本棚に?と思ったが、とりあえず写真を撮った。

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たくさんの付箋が張られたこの本は、私には分からない苦労を物語っていた。付箋の貼られているところをペラペラと読んでみたが、私にはイマイチ理解できず、そっと他の処分する本たちの間に挟んだ。

夫婦はきっと難しい。もともと他人同士なのだから当たり前だと思うのだが、どうやら私の想像以上に難しいもののようだ。

どんなに運命的な出会いをしたカップルですら、ずっと一緒にいられるとは限らない。ちょっとしたボタンの掛け違いから、どんどん離れていってしまうこともある。

そのことを考えさせてくれる映画が『花束みたいな恋をした』である。

終電を乗り過ごした駅のホームでたまたまであった二人の大学生。麦(菅田将暉)と絹(有村架純)は、好きな音楽や好きな本がほとんど同じで、あっという間に恋に落ちる。

就職活動もほどほどに、フリーターとして同性を始めた二人は、いつまでも一緒に楽しい時間を過ごしていけると思っていたのだが・・・。

(ここからネタバレがあるので、お気を付けください!)

この映画はタイトルに「した」とあるように、終わってしまった恋のお話である。

幸せの絶頂から二人が少しずつすれ違っていくのは、こんな素敵な恋をしたことがない人であっても、胸が痛くなるに違ない。

2015年~2020年を舞台にしていて、その間に実際に起きた出来事も具体的な固有名詞で登場するため「彼らは同時期に実在したのではないか?」と妙なリアリティを感じてしまうのも原因かもしれない。

この二人はどうすれば別れずに済んだのか。

映画を観た人とそのことを議論するのは面白そうだが、今回はせっかくなので我が家にあったこの本のアプローチを基に考えてみる。

本いわく「ズレはじめたポイント、すれ違いの深層の考察から、夫婦関係を再生させる」(amazon(「BOOK」データベースより))とのこと。

二人がずれ始めたのはそれぞれが就職をし始めたころからだ。それから少しずつ生活リズムが合わなくなって、共通の時間が減っていったと見える。でもそもそも仕事のとらえ方も二人では大きな差があった。いや、その原因はもっと前にあったのではないか・・・?

ズレはじめたポイントを考えていくと、逆説的な問いに行き着く。

「そもそもこの二人はもともと合っていたのだろうか?」

二人は共通の趣味、好きな本も、音楽も映画も、共通していた。ように見える。しかしそれがなぜ好きなのか、それのどこが好きなのかまで一緒であったようには思えない。

劇中で二人は天竺鼠のライブチケットを持っていたのに行かなかったのも、絹はご飯に誘われて行かず、麦はGoogleマップに映っていた自分にテンションがあがって忘れてしまっただけだった。

すれ違うもなにも、もともと合っていなかった、と考える方がしっくりくる。それと同時に、だからこそ表面的な共通項に惑わされず、互いの価値観を理解していくことが大事なのだと思う。

この本が麦の本棚にあったなら・・・きっと映画の結末は変わっていたことでしょう。

映画は絶賛公開中!
ひとりでも見ても、誰かと見ても、きっとポジティブになれる映画、だと思っているのでぜひ。


文:真央
編集:アカ ヨシロウ

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