20210320 ラテンの宴(エン) レコード紹介テーマ「虚無と絶望」

横浜元町の"Gallery + Sushi あまね"で毎月開催している音楽ラウンジ「ラテンの宴(エン)」
そこではDJの時間とは別に、テーマを決めて音楽紹介も実施。
今回のレコード紹介のテーマは「虚無と絶望」です。

といっても重苦しい音楽の紹介ではなくて、最近の(2018年以降位から)「面白いな」と思う音楽に共通して通奏低音のように感じられる「センス・バランス感覚の良さ/匿名的/不定型/諦観/夢遊病」的要素ナイマゼ感を自分なりの言葉に落としてみたものです。

最初は個人的な趣味で選んでるものがたまたま同じ系統なのかな?とか思ったのですが、どうやらそうでもなく、ジャンルやクリエイターの出身国に関わらずこのような傾向がみられるのでは?と。
面白いなと思う反面「ポジティブな夢を見る要素もないのか、現代は…」と少し心配したり。
虚無と絶望って言葉が重いのでウインドウズに標準で入っている"イケてないフォント"の代表格「HGP創英角ポップ体」でダサポップにしてみました。
点が丸とかになってて吐きそうな位にダサいです!(ニッコリ)


Enrique Rodriguez /「LO QUE ES」 (2017 Chill)

"Esperar No Es Fácil Dr."

今回のテーマのような感情を最初に感じた一枚。
「チリ出身の18歳が作っていてカセットテープ50本だけリリースして話題を呼んだ」なんて前情報をどこかで聞きかじっていて、その後にポロリとレコードを見つけて拾ってきた。(レコードも300枚限定みたいです)

過剰ともいえる洗練と匿名性の高さに「なんじゃこりゃ?18歳がこんな音作らんやろ!」と"チリの18歳が一人で"ってのは完全に嘘だと思っていた。

ヨーロッパの70年代のジャズファンクでPlaceboというグループがいるのだが、端正で無駄が無いところなんか随分似ている感じをうけるな?このアタリが好きなオッサンの覆面ユニットかな?と勘ぐっていたり。

でもやっぱり若い人みたいです。
才能はもちろんだけど「これでいい。これで完成」とする感性がすごいなと。サトっているのか?




somni /「HOME」(US 2020)


" Home"
イギリス生まれロサンゼルス育ちでクラシック一家で育った人のよう。
この人もいろいろな楽器を自分でやる人のようです。
オフィシャルのアニメでつくられたプロモ映像もすごくよい。
音と映像の世界感があっているというか、このプロモをみて頂けると「虚無と絶望」ってテーマにのを理解していただけるかなと。
これが最近の才能ある、若者の共通した気持ちを表しているのかな?って。

フードを被っている人物の顔に目が無い匿名感、声高に不満や欲望を叫ぶわけでもなし、落ち着いた色味のペコペコでプラスチックな絶望感だけがある…



JUCARA MARCAL & GUI AMABIS & RODRIGO CAMPOS「Sambas do absurdo」( 2017 / Brazil)

"Absurdo 08"

ジュサーラ・マルサル&ギ・アマビス&ホドリゴ・カンポス
ブラジルはサンパウロのインディー・シーンを支える3人とのこと。

透明な10inchのレコードを収めるそのジャケットはLPサイズでシングルジャケにも関わらず厚さが1cm位あるため折り曲げなどが困難、で紐を引いてレコードを出すというアホ仕様(褒めてます)
その仕様にやられて試聴したら頭の中に汗をかくような曲群で即購入を決定した一枚

(自分のレコード購入方法はほぼ中古のみで、知らない音源で¥1800以下ぐらいのモノを試聴して決定するという方法をほぼ20年くらい続けています。だからレコードは集めていますが物欲というより知識欲的なものの方が強いのだと思う)

購入後調べてみたらVo+Gt(カバギーニョ?)+サンプラーの3人でやっている。
伝統的なサンバの香りはもちろんするのだが、効果音的に使われるサンプラーの音、というか「この音、このバランスで良いのだ」と判断するセンスに何よりもゾクりとしてしまった。
ここにも「個性の発露・過剰な差別化」というより「諦観を多く含んだバランスの良さ」があるように感じられて。

ホドリゴ・カンポス、才人だと思う。



WOLF MÜLLER /「WOLF MÜLLER MEETS THE NILE PROJECT」 (2018 France?)


"MOSO RADIDO WUOD NDEGE (NYATITI)"
トロピカル専門レーベルSofritoの兄弟レーベルNouvelle Ambianceからリリース。ドイツ・デュッセルドルフでDJ&Musicanとして活動しているJAN SCHULTE(ヤン・シュルテ)という人の別名ユニットらしい。

アフリカ音楽の素材はナイル・プロジェクトという団体のミュージシャンのもののよう。(ナイル・プロジェクトってのは音楽のみならず国を超えて文化・経済の連携を目指すような結構お固い集団みたいです。少し調べたけどよくわからん…)

Nyatiti(ニヤティティー)というアフリカはケニアの弦楽器(8本)の音源をベースにしているようだが、控えめな電子音の重ね方や低音の音圧をやたらに上げないところなんかも今っぽいバランス感覚だなあと。控えめながらもオンビートジャストにいれられているリムショットような音は特にダンサーなんかには喜ばれる音ではないかと。


chancha via circuito /「BIENAVENTURANZA」 (2018 argentine)

"Los Pastores"

チャンチャ・ビア・シルクイート、アルゼンチンから出てきたフォルクローレmeetsクラブミュージックの俊英。

南米の伝統音楽の再評価をDJ的視点からみると「デジタル・クンビア」(2008~)がその口火をきったモノとおもうが、以後、伝統的・地域に根ざした、地場の民衆のための踊りの音楽をDJ経由の感性で再構築/再解釈が全世界的に進んでいるように見える。
日本でも「音頭+クンビア」や「里謡+アフロ」を指向しているバンドやユニットも複数でてきたり。

デジタルクンビアの元となったオールド・クンビアもリズム的には単純でそれゆえDJ系の音と親和性が高かったのかとおもう。(クンビアの近似音楽にガイタやポロというものもあるが音源だけきいても違いが全然判らんです)

そんな再評価視点の下地があってからだとおもうが、フォルクローレをアップデートしかたのような音も現れているようで、この系統の音は「オーガニック・テクノ」やら「スロウ・テクノ」やらという呼称でよばれているようです。

チャランゴ(小型のギターのような弦楽器)やボンボといった伝統的なフォルクローレに使われ楽器群をつかいつつ電子楽器で味付けして、ただし決して過剰にはせず、…そんな"チルい"かんじが現代的なんでしょうか?

(実際この音源は結構評判いいです。押し出し全然強くないのですがDJでプレイしていると問い合わせは多い)



CARWYN ELLIS & RIO 18 /「JOIA!」(UK 2018)


"Duwies Y Dre”

CARWYN ELLIS & RIO 18 カーウィン・エリス & リオ・デゾイトと読むらしいです。個人的には余りその方面には明るくないのですがプリテンダーズという有名なバンドに絡んでた人らしいです。

ブラジル音楽オタクで「ウェールズ語でブラジル音楽をやる!」という崇高(?)な動機にてつくられた一枚のようです。個人的な感想としては「ウェールズmeetsブラジル」とか感じられるか?と問われると正直全然わかりません。

そもそも予備知識なく中古レコを視聴して買うだけの人なので「イギリスmeetsブラジル?シェーパーズパイ+フェジョン?なのか?融合してるのか?ゾクゾクするゼ!」とか全く考えてないです。
ただ、ジョアン・ジルベルトの虚無的名曲「Undiu(ウンデュー)」をカバーしてるなという事と「Duwise Y Dre」って曲に惹かれて。

「Duwise Y Dre」って曲、これ完全に和モノ・ブラジリアンAORやん!昔¥300だったのに今¥3800ついてる音のヤツやん!という感想だけで回収してきました。ブレ○ド&バターが79年位にやってそうな感じです(断言)。

今回紹介のなかでは一番明るい盤ではありますが、シティポ臭にかくれたほのかな虚無臭が漂うと思うのですが……いかがでしょうか?



V.A 「Jazz Com Bossa」Japan 1993

SkipJack "Breathing"
「最近のものばかりアゲつらって"虚無"だの"絶望"だの言ってけど、昔の音楽はそんなに夢いっぱい溢れてたのかよ!ええっ!」とお怒りの現行若人の諸君、そのお怒りごもっともです。お気持ちわかります…
昔の音も虚無ってたモノあります。特に90年代初頭~中期ぐらいまでのクラブ系の音。虚無ってました!スカスカでした!

でもそのスカスカさに「青山!」「246!!」「西麻布!!!」「ジャズ!!!!」とか完全なる幻想を感じていたわけです、ある種のオジサン達は。

紹介する音源はSkipJackというユニットの一曲。多く音源が残っているユニットではないようです。
直接この曲をフロアで聴いた事がある人は少ないかもしれませんが、「90年代のクラブジャズ」の雰囲気まんまなので、その界隈で遊んでそうなオジサンたちに聞かせると「イエローっ!(西麻布)」「ブルーっ!!!(青山)」とか意味不明に戦隊ヒーローみたいに叫びだすやもしれません。そっとしておいて上げてください。本人達は楽しいはずですから…

90年代初頭~中盤って日本のDJが盛り上がってきた時期で、今聞くと「サンプル一発ループ!」みたいなトラックも多くて単純なんですが(機材の限界も多いに関係有り)今になって冷静な耳で聞くとシンプルながも結構良くできてるんじゃないか?って思うもの多くあるなあとここ最近思ってます。

「人類の知性の総量は時代によって殆ど変わらない。ただ偏在する場所が変わるだけだ」とかいってた人がいた気がしますが、90年代の初頭~中盤にはクラブ文化界隈にその偏在が有ったのではないかな?と思ったり。

2020年にその偏在は何処にあるのかな?Youtube?スマホのなか?

「何処にあったっていーじゃねーか!まんぼのおっさんの"Yoasobi"の昔語り"うっせーわ!"」と怒こられそうなので引っ込みます。
バイナラ


YOASOBI「夜に駆ける」

Ado うっせぇわ


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