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論理を希求するが、論理システムに絡めとられたくはないのです -マッチング-

今回、自分と老親の、終わらない話題から一旦離れます。
とはいえ、頭の片隅にはあり続けるし、電話も請求書も来るし。
できることしかできない、と分かっているが
葛藤の、底なし沼だから。
あるべき理想はありつづけ、現状は継続される。
ごめんなさい、簡単に言えば、utuです・・
まあまあのギリでも、青空見えないかなあ、
などと願いつつ、視点を変えようと、
note書いているわけでございます・・
さて、
寒くなりましたが、このところ、職場の薬局では、
客足はかなり落ち着いていて、ちょっと不思議な感じ。
いつもの秋の、息も絶え絶えの追われる日々、からすれば
よ・ゆ・う。
夏から秋のはじめに、波が来て、いつの間にか引いたような感じです。

昼間は、まだ暖かいが、日一日と夕暮れが早くなってきた。
駅前の街灯が点り、店前を足早に通り過ぎる人波を横目に、
がらんとした店内では、我々の手持無沙汰感が 自覚されやすくなる。
黙ってるのもアレやから、よもやま話が多くなる。
そんな職場で聞いた話が元ネタの男女間のそれ、なんですが
余計なお世話ですけど、興味深くて。
そこから、アルゴリズム問題へと、やや無理しながら持っていく所存であります。

・結婚したい女
大学時代の友人Kと久しぶりに食事をした同僚。
卒業してから、10年、kは病院薬剤師として
バリバリ仕事をし、それなりに偉くなってもいるそうで
働いている地方都市では、一人で酔っぱらって
飲み屋で管巻く、なんて無理なんだとか。
この度は 心許す旧友と地元で飲むということで、
お酒も相当入って、気が緩み、本音が出た。
「結婚したい。」
3時間弱の間に、少なくとも5回、彼女は繰り返したらしい。

Kは、同級生さんから見ても「美人」で、何事もそつなく、
ひとあしらいも上手いスキのない人で、いつだって男性の
視線をさらっていく人。勿論今も、とても綺麗な女性。
だから、
「結婚したい。」??
なら、すればいいんじゃあないの? ですよねー?

令和の今日、結婚したいが差し当たって適当な相手がいない男女は、
アプリをインストールし、プロフィールを記入し、通知を✓し、
選びたいだけ選んで、連絡したりされたり。マッチングとゆーやつです。
この場合どうしたって、見た目が最重要ですわ。
このシステムは、「見た目」から始まる。
従って、彼女には、ほっといても お付き合い希望がわんさか来る。
見るのがウットシイくらい来る。
だから、
デキル彼女は、効率的に自分にふさわしいヤツが引っかかるように
「医者」「初婚」etc、条件設定を細かくして
引っかかるのを選んでは、次から次とお会いしてきたそうだ。
ここで、おばちゃんの気持ちを述べる必要はないのだが、
悪いけど言わせて頂く。「もったいねー・・うらやましー」
更に言えば「結婚したいんだね。。」したくもないのかと思いきや。。

で、
今「結婚したい」ということは、相手がいない、のであって、
どいつもこいつも、お気に召さなかった。
ふーん。
「私の中身を見ようとしないから」「男が頼りなく見えてしまう」
「ほんとに初婚なのか、疑わしい」
なるほど。
で、
皆さま ご想像のように、
職場で話を聞いている妙齢のおばさんたちは、口々に
「彼女が間違ってる、勘違いしてる」
「そうやわ」「職業とか学歴とか、自分も条件で見てるやん。」
「そやなあ」「なんそれ」「あたし、その人ムリ!」(??)

先のことは、わかりません。予測も予言もできませんし、
ひょっとすると、来月にも、うまいこといって幸せな結婚をするかもしれません。もちろん「可能性」はあるから。で、
 ー可能性ー
数々の「男女が出会って結婚する」現象を要素分解して、遡っていけば、
偶然と思える出会いにも理由、と言うか必然、の様なものが見いだされ得る、らしい。この地点から可能性を最大化する、というのがアプリさんの仕事。

○ならば➡こーでしょう?●ならば、こうすればいいでしょう?
0ですか1ですか?次は、こちら→
そう、課題解決をアルゴリズムに収束する。

論理的である。
単純でキレイな考え、だと思える。だって効率的だもの。
解決したいならば、寧ろそれが当たり前、にさえ思える。

今や、自分がアカウントに入力したデータで、自身が
理路整然と規定されることに
違和感を持つ人は恐らく、いないわけです。
それは、"私”を要素分解するための、分類しやすくするための、
もっと言えば、目印による選り分け作業を一般化するため、
自ら枠に入る自主的作業に基づく。
ついでに言うと、要素さえわかれば、なんぼでも別の人に「なりすませる」
存在すらいらない。要素からPC上に「誰か」を作り出すことさえできる。

ここで、話を戻すと、
彼女Kは、何に不満があるのか、
おばさんたちは、何に違和感を感じるのか?を考えるとき

貴方は、誰か、「誰」でありたいのか。。
ということを考えないわけにはいかない。

ほんとによくある、気にも留めない感覚ですが。
考えもしない、ことを、ちょーっと考えなければならないのではないかと。。。面倒ですが続けます。

我々は、生きる時代、現代という「時代」のコモンに自らを添わせている、そしてそのことに気付いてもいない。生まれ、生きる世界は、もう決められているのだから
存在する世界の枠組みの中で、感じ、考え、否応なく順応して生きている。
フーコーのいうエピステーメ、ですが、それは、私達を規定しつつ
一方で、その「当たり前」自体は、どんどん変わっていく。
あらゆる変化が速い。。おばちゃんは、特にそう感じるのかもしれませんが。
西洋的「個」と東洋的思想での「己」は、違うらしいし、それぞれの感じ方
があるでしょうが、今の日本、我々の社会においても
「そういうもん」「普通は~」の強力な同調圧があるがゆえ
「普通でないもの」はかなり目立つ。異質、ということはニュースになる。

正常ではない、まともではないと分類され、排除される、ということは
歴史において、当たり前になったが、
フーコーによれば、近代以前において「狂気」は
神秘性を内在し、それを表現するものとされ、積極的排除は無かったという。神秘性は混沌としたものへの畏れでもあり、そしてそれは、我々にとって実は案外身近なものなのではないか。
天災、感染症。我が父の「まだらボケ」、一緒にしては申し訳ないが
「リア王」と付き従う道化のそれ。
しかし、混沌、つまりコントロール不能で理解不能の世界で、
「個」がそれぞれに望む「個」であるのは難しく、国家が国家として在る為には、混沌と日常は線引きされなくてはならないだろう。
論理的思考というものが、科学宜しく、絶大な信奉を集めるようになった
近代以降、「異質でない、常識的である」「個」にとって世界はシンプルでとらえやすくなった。
そう、「みんな大好き」根拠に基づく論理展開。
アルゴリズム。

自分が誰か、を考えるには「他者」の存在が必要で、何かと何かがどう違うか、その差異に着目し、それを体系化し、分類根拠とし、整然とさせるべき。そうしないと ごちゃごちゃするでしょ?
アルゴリズム、得意ですよ、それ。
誰かが「誰」なのか、は、他者とどう違うのか、で。
世界は、およそ、そのように差異を基準に規定される、と言えるだろうか。そのような「時代」に生きているように 思う。

しかし「私」はそんな風に、要素で分類され、A1とかB5だとかランキング
されることを望んでいないし、職場のおばちゃんたちも、そうなのだ。
どう見ても、整然性とはかけ離れている。出して眺めることは出来ないが、
自分の内面なんて、もう入力項目もク●もないよ。ごちゃごちゃ、なのだ。
全体として、なんとかこの世に適応しているけども。
しかし、他者を見るときは、整理し分類し評価したがるのだよ。

恋に落ちる、時を除いては。

簡単に言えば、自身の中に通常の勤労モードと祝祭モードがあって、
たまに、ごくたまにハメを外すが、又普段の日常を取り戻すことで、
「全体性」と「個」の在り方のバランスを保っている一般人が、
それぞれの望む「出会いの最適化」をどう扱うか、ですね。
可能性を、
神秘的なものとして捉えたい場合は、祝祭モードである必要があるし
理性的に論理的に、最適性を見極め、利点を享受したいならば、あくまで
冷静に通常モードでアルゴリズムを回す必要があるだろう。

だからね、彼女Kが、アルゴリズムを重視しつつ、自分らしく
丸ごと自分を評価してもらって、其のうえで
恋に落ちるって夢見ているとしたら、それは難しいと思われる。

まあ、わかりませんけどね!!そこは!

Kだけでなく、現代の妙齢の男女には、この難しさが
感じられないくらい、矛盾した状況が 当たり前になっているのではないか。

そして、わたしたち親世代においては、もはや、何をどうすればいいか
わからない。
論理的に考えたこともない事柄を、論理的に考えるべき。
そう言われてもね。
もっともらしい理論に異を唱えたくなる。
こういったことには、
ある意味、混沌が必要なんじゃあないかい?そういうもんなんじゃないの?
知らんけど。
どーか 希望が叶いますように。
混沌に向かって、上手くいきますように、と ひたすら祈るしかない。

結局分からないで終わるという、、、
すみません。
人間は(と言うか、私は)シンプルではない、と思う、というお話でした。

おさんぽでした。
お読みいただきありがとうございました。