発達障害×結婚
あくまで個人の経験・考えです。
全ての発達障害の人に当てはまる内容ではありません。
参考までに、今の自分の障害は、服薬していれば正職員として働くことができ独居も可能な状態です。
受けている診断名は自閉症スペクトラム(ASD)です。
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これが私のブログでの冒頭の定型文なのですが、「正社員として働くことができる」「独居も可能」というのは本当なんだろうか…と最近疑問が浮かびます。
自分の苦手なこと(できていないこと)を充分に自覚してこなかったなと思うからです。
研修に行くと、よく「ジョハリの窓」の話を聞きますが、「自分は知らないけれど他者は知っていること」が非常に多かったのでしょう。
日記をつけたりスキーマ療法のワークブックに取り組んだり、自分のことをたくさん考えてきたつもりですが、自分1人では気付けないことがたくさんあったようです。
心理士として発達支援の仕事をして、発達障害の方と日常的にかかわっていても、自分のこととなると客観的に捉えることは困難でした。
恥ずかしながら、自分はかなり定型発達に近いと思っていました。
何なら、「自分は本当は発達障害ではないかもしれない」とすら思っていました。
発達障害当事者の方のご家族からのお話をたくさん聞いてきましたが、自分と重ねて考えることは少なかったように思います。
そんな自分が、結婚をして夫と一緒に生活をすることで、自分の至らない点を指摘されるようになります。
始めは、夫がなぜ怒っているのかほとんど理解できませんでした。
脳の活動がストップするような感じです。
怒りながら言われると、「怒られた」ということしか頭に残りませんでした(これは発達障害に関連してよく言われることですね)。
ポリヴェーガル理論でいう「凍りつき」の状態だと思われます。
なので、「怒られようにしなきゃ」「怒らせないように、言われたことをやらなきゃ」で精一杯です。
これがまた相手を怒らせることにつながります。
「自分で考えて」「あなたはどうしたいの」という言葉はよく聞きますが、「凍りつき」の状態では無理です。
(これを書きながら、読んだ人から「そんなのは言い訳だ」と思われるのではないかと恐れています。
理由を話したら「言い訳だ」と言われることは多いです。)
「あれもできない、これもできない、じゃあどうしたらいいの」と言われます。
自分が希望するのは、お互いに落ち着いているときに、穏やかに説明してもらうことの積み重ねです。
安心して会話や質問ができる環境だと、なぜ怒られたのかを少しずつ理解していけます。
少しずつというのは、
苦手な分野や経験の少ないこと、想像力が必要なことについて、一度聞いただけでは全体像の把握が難しいからです。
私の場合は、自分の利用しているカウンセラーに一連の流れを伝え、状況の整理や夫の考えについて図を描いたりして説明をしてもらうこともあります。
自分は自分で思うよりも発達障害だったということが、結婚したことでわかりました。
今では発達障害当事者のご家族のお話(不満や怒り)を聞くと、まるで私に対して言われているみたいにグサグサ刺さります。
発達障害の方のご家族からはこのような言葉が聞かれます(フェイク入れています)
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「見通しを持って行動できるようになってほしい」
「体はこんなに大きくなったのに、いつまで声かけしないといけないのか」
「外面はそれなりにいいのに、家では別人」
「当たり前のことを自分からできるようになってほしい」
「他者を判断基準にしてしまう」
「何も考えてない」
「思春期でイライラしやすいとか知らん。自分のことはちゃんとやってほしい」
「いろいろな角度から伝えて、理解はしたようなのに、何かと理由をつけてやらない」
「◯◯が得意で△△が長所なのに、こんなことができないっておかしくないですか?」
「身だしなみを気にしてるってウソですよね?□□の仕方があんなにだらしないのに」
「机上ではわかってるんですね…実際は全くできていないのに」
「知識はあっても行動に表れないんですね。点と点がつながらない」
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こういったご家族の声が、以前よりも重く響きます。
どんな言動にも、原因があります。
周りの人が思うよりも、本人には悪気がないことも多いと思います。
そして、何故相手が怒っているのか、理解したくてもうまく理解できないことがあります。
「こんなこともわからないのか」と言いたくなる気持ちはわかりますが、それを言われても良い方向に行かないと思います。
自分の場合は、「責められてる」「怒られてる」と感じると、話の内容が頭に入ってこなくなったり、頭が回らなくなったりします。
お互いに落ち着いた状態で穏やかに話ができると大変助かります。
発達障害の方の中には、「わかってほしい」「理解してほしい」という気持ちを強く持つ方も一定数いると思います(定型発達の方でもいると思いますが)。
私は、自分の視点から自分の世界を理解してもらうことができたら、相手がイライラせずに済むと思っています。
よく、親から怒られている子どもが、説教が終わった瞬間にコロッといつも通りになりますが、家族にはいつも通り笑っていてほしいです。
(お前が元凶だろう、とツッコミが聞こえてきそうです)
カウンセリングを受けてきたこともあってか、周囲の方たちの理解あっての今の自分だということも少しずつ実感してきました。
私の口から言うのは大変恐れ多いのですが、発達支援のプロの方から「許さないけど、認める」という考え方を教わったことがあります。
「できなくてもいいよ」と積極的に許すわけではないけれど、「今はこうなんだ」「人は変えられない」と考えるということだと思います。
「自己理解」って、意外と難しいのだと思います。
幼少期から適切な支援をしっかり受けてきた子は、ある程度の段階になると自己理解が進み、困りごとがあっても対処方法を考えられるようになる印象です。
自分の苦手なことを上手に周囲へ説明できる方もいるのかもしれませんが、「自分でもなぜできないのかわからない」という状況もあります。
自分でさえよくわからないのに、家族という他人の障害を理解することも、すごく難しいことなのでしょうね。
まとまりのない文章になってしまいました。
発達障害当事者やそのご家族、支援者の方にとって何かヒントになれば幸いです。
ご質問があればコメントをください。
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