乙部のりえはなぜ失敗したか ~今更ガラスの仮面を語る~

大人になった今だからこそ語ってみたい、考えてみたい、解き明かしてみたい「ガラかめ」のあれやこれ。今日は単行本14巻~17巻に登場するガラかめ史上最大のヒール「乙部のりえ」にスポットを当てたいと思います。

このNoteを読んでくださってる方であればご承知の通り、彼女は卑怯な手で芸能界のアイドル女優となったマヤを陥れてその地位を奪い、その後亜弓に実力の差を舞台上でさんざんに見せつけられて馬脚を現した結果物語からフェイドアウトするキャラです。(彼女のその後はこちらで明らかになります)

実は私、この展開の中でどうしてもよくわからないことが一つありました。

1.演技がうまい≠人のまね

それは、ライバル、姫川亜弓がマヤの後釜についたのりえがいかなる実力の持ち主か、テレビ局で撮影の様子を観察した際にスタッフに話したこのセリフでした。

「演技の形がそっくりなだけで この人にぴったり重なってないのよ 浮いてしまっているわ」
「役を演じるには真似だけではだめなのよ そこに自分が入っていないと 自分という個性がもう一人別の人間の個性を演じる そこにその役者の魅力が出るのよ ただ演技がうまいだけではだめ」

お芝居の経験が一切ない私にはこの言葉の意味がなかなか入ってきませんでした。とりあえず一つ言えるのは、物語上でも言われていた通り「のりえの演技はマヤそっくり」ということ。そして、それの何がだめなのか?自分なりに考えてみた結果、「おそらくこういう事かも」という考察に至りました。

そもそも「個性」とは何かを考えた時、人はそれぞれの「性格」をまず真っ先に挙げることが多いと思います。しかし「個性」とはそれだけではなく、顔の系統、その人の無意識の仕草や元々持っている雰囲気、体のパーツの一つ一つのバランスまでもをひっくるめて考えると、かなり広範囲かつ複雑にして奥行きのあるものになってきます。

ここでざっくりとマヤとのりえを分析してみましょう。

顔や見た目の印象やバランスで判断すると、マヤはおそらく「かわいい系」に分類されます。作中でさんざん地味だの目立たないだの言われている彼女ですが、見方を変えれば「控え目」とも言えます。確かにマヤは背も小さく、顔も美人とは違うと思うものの、人によっては魅力がきちんとわかる外見なのでしょう。

一方のりえですが、かなりの美少女として描かれています。見た目だけなら亜弓には及ばずともいい線はいってるのかも。間違いなく「きれい系」ですね。

当時のマヤの持ち役を奪ってその座についたのりえですが、その演技はマヤにそっくりで一見そつなく演技出来ているように見えます。

そこであの亜弓のセリフです。

つまり、どういうことがそこで起きていたかというと、おそらく

かわいい系の女優が演じていた仕草や動きなどが、キレイ系の女優がそれをするとしっくりこない、どこか不自然、やらされてるように見える」という現象が起きていたのだと思います。

ものっすごく極端な例ですが、「逃げ恥」のみくる役をガッキーではなく、米倉涼子が演じていたらみくる役の造形がまるで変わりますよね。つまり、乙部のりえがやっていたことはこの例に例えると「米倉涼子がみくる役を演じるにあたって、自分の個性と役柄を掛け合わせることをせずにガッキーの演技をそのままトレースした」のです。

それだとやってることはもはや演技ではなく「ものまね」です。

ものまね芸人さんが誰かのまねをする時、対象の特徴を誇張しているやり方を取ることが多いですが、それは見ている側が「ものまねというショー」だと理解しているから「笑い」を取れるのであって、ものまねを「本物のつもり」で楽しむには無理があるのと同じなのです。

2.「飽きる」という感情の裏にあるもの

「今は注目を浴びているかもしれないけど この子 回を追うごとに視聴者に飽きられてくるわよ」 

すなわち、日常でもよく使う「それはあの人がやるから似合う」「はまる」という「なんかよくわかんないけど、この人だからアリなんだよね」というのはまさしくその人特有の「個性」の力であって、乙部のりえの演技は「そういうのは北島マヤが演るから、ハマるんだよなぁ」と後に視聴者から言われるようになったのは想像に難くありません。

私はここも実はよくわからなくて、「飽きられる」というのが視聴者のどういう感情に裏打ちされた結果なのかを考えてみたところ、おそらく「似合ってない」「鼻につく」「無理してる感」などといった「お前そういうキャラじゃなくね?」という違和感に付き合いきれなくなっていった事だと思われます。この漫画の当時の展開の中にネットがあったら「【悲報】天の輝き 沙都子 絶賛キャラ迷走中wwww」とか「乙部のりえの沙都子が痛すぎる件www」とかスレ乱立してたかもしれない。

まとめると、のりえは主演舞台「吸血鬼カーミラ」で殺る気まんまんの亜弓に、紙より薄いその実力を存分にさらされた結果、自らの価値はどん底に落ちて彼女の女優人生は実質そこで幕を閉じるのですが、亜弓が手を下すまでもなくのりえは自分自身が「マヤの劣化版」であることを知らずにいたために遅かれ早かれ彼女の道はついえたであろうことが示唆されていたのですね。ていうか、主演舞台なのにタイトルロールを演じないってどういうことだ。

それにしても不運なのは「吸血鬼カーミラ」以後、価値が大暴落した乙部のりえを使い続けなければならなかったMBAテレビの「天の輝き」スタッフでしょう。亜弓の予想通りのことがもし起きていて視聴率にもそれが反映されたとしたら、「なんかあれ序盤良かったけど後半失速したよね」とか「前はよかったけど何かつまんなくなってもう見てない」「てか不自然に乙部のりえの出番減ってね?」と視聴者にさんざんディスられ、大河ドラマの中でも凡作に成り下がった結果に終わったのでしょう。

そんな分不相応な成功と比例した堕ち方をした彼女ですが、これでも出身の熊本県では「天才少女」と折り紙つきだったのが意外です。とはいえ、熊本の演劇関係者が「劣化版マヤ」でしかない乙部のりえを天才と称してしまったことに関して、熊本県民が暗に地元をディスられたとして怒ってはいやしないか、私はいまだにそれが心配です。





 



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