マヤと亜弓と学校と ~今更ガラスの仮面を語る~

大人になった今だからこそ語ってみたい、考えてみたい、解き明かしてみたい「ガラかめ」のあれやこれ。今日は主人公が10代であるにも関わらず、作中ではあまりストーリー進行の舞台として登場しない「学校」にスポットを当ててみました。


1.「学校」以外に生きる場所を見つける少女たち

「ガラかめ」はかなり物語の展開が濃い上に起伏も激しいのですが、その理由に「物語の進行に必要ないものは一切描かれてない」ためだと思われます。焦点を当てているのはマヤの演劇道とそれに伴う事件や人間関係だけで、季節感や時代背景、周囲の環境すらも必要最小限の描写にとどめられています。

そのため、マヤは一応高校まで卒業したのですが、作中で学校という場所は18巻から20巻までの大事な山場だった「体育倉庫での一人芝居」からの「演劇部への客演」を通して描かれた、マヤの女優としての成長を促した舞台装置以外としての役割を求められていません。

亜弓に至ってはさらに徹底的に簡略化されており、学校生活の様子は20巻の亜弓の幼少期の時だけで、それ以後は一切なし。制服姿すら謎のままです。高校の卒業式を欠席したため、卒業証書や卒アルを受け取りに行っていますが、既に卒業しているので登校とは言えませんね。

主要人物2人が10代で、一応学生であるという立場なのに必要以上にばっさり削られている彼女たちの学生生活。

ていうか、そもそも彼女たちに「学校生活」は必要だったのでしょうか。

2.学校が必要だったマヤ 不必要だった亜弓

家出の結果、中学までは月影先生に援助してもらっていたマヤでしたが中3になってからは劇団もつぶれてまたも極貧状態になり、高校に行くつもりはありませんでした。本当は行きたいものの状況が許さなかったのです。 

そんなマヤに速水真澄はこう言いました。

「世の中はそんなに甘くはない 学歴はさておき少しでも余分な知識はあったほうがいい 演劇をやる上においても 高校生活は大事に考えたほうがいい」

結果、マヤは「紫のバラの人」の援助を受けて演劇が盛んで芸能活動にも理解がある高校に進学させてもらえました。

ちなみにマヤはおそらく高校1年生の間は通う時間はあったと思われますが、「奇跡の人」を経て芸能界デビューしたあとは学校へ行く時間も無理やり作りながら何とか通っていたようですが、多忙をますます極めるようになり、芸能界失脚事件があってからは推測するにまず半年以上は通ってないと思われます。色々あったのち立ち直って復学したのが高校3年になってから。学校中で文化祭の準備に取り掛かっていた時期なので、おそらく9月くらいでしょう。そう考えるとマヤが学校に通っていた期間はトータル1年半といったところでしょうか。

亜弓に至っては、ますますわからない。もうこの人の生態環境について考えたらどこまでツッコんだらいいかわからないので取り上げるのも野暮な気がしますが、いいやそれでも考えてやる。

亜弓は10代にして、売れっ子女優なわけです。マヤと違い商業的な世界での主演舞台だの主演ドラマだのと仕事が切れたことなさそうですし、その間にどこでどうスケジュールを調整したのか私的怨念を晴らすためだけの舞台にも親を使って権力を行使して出演してます。

で、そんな中でも「学業は常にトップクラス 日舞 バレエ ピアノなどお稽古事はプロ並の腕前」ってんですから、彼女だけ次元の外側で生きているのでしょう、きっと。

演劇の仕事以外でも続けている「お稽古事」の数々でプロレベルの腕って、ピアノだったら毎日7時間くらい練習してて、バレエなら毎日(略)いやマジで怒られますよその道の人たちに。

とにかく、無理!絶対無理!

3.これが私の生きる道

マヤも亜弓も、「将来やりたいこと」「仕事にしたいこと」「極めたいこと」が、10代にしてはっきりと明確になっている子です。

現代で言うならオリンピックに出たいとか、K-Popでアイドルになりたいとか、幼少期から子役として芸能活動をしているとか(これ亜弓か)、バレエの道に進むため留学を考えているような、一般の子が選ぶコースとは違う道を早々に見つけ出した子たちの存在と似ています。

そのような子たちが夢を追うにあたってぶち当たる壁が「進学問題」。いくらどれだけひたすらに努力をしても物になる保証はどこにもなく、路線変更を余儀なくされた場合にも道を見失うことが無いようにと高校だけは行くべきなのか、それとも進学を諦めて貴重な時間を夢に賭けるか。そんな岐路に立たされた子たちをすくいあげる方法に「高卒認定試験」がありますね。韓国アイドルになった日本人の子たちには中学卒業と同時に韓国にわたり、のちに高卒認定試験を取って書類上は「高卒」となった人も割といるようです。サナちゃんとかモモちゃんとか。

しかしこの試験が実施され始めたのは2005年。ガラかめの時代には大検しかありませんでしたから、是非はともかくとして真澄がマヤに強く高校へ通うことを進めたのは時代性もあってのことでしょう。

もしもガラかめが現代の設定だったら、この2人は進学という道を選んだのでしょうか。

亜弓なら…おそらく、高校へは行かず海外留学とかしてそうです。

イギリスあたりに行って、きれいなアクセントのイギリス英語を身に着けたりして、シェイクスピア劇とか学んできたり。本人も作中で興味ありそうだったしなぁ。留学の手続きとかそういうのもさっさと自分でやってそう。留学費用なんて心配ないだろうし、親の金で行くのが嫌と言ったところで、自分自身の今までの芸能活動で稼いだお金とかありそうだしね。

ぶっちゃけ、行くべきだったと思いますね、彼女は。親の七光りがいやだと言うなら猶更。日本の外に出てしまえば誰も親のことなんて知らないし、日本にいると亜弓は視野が狭いままになるので。実際、1巻の時点で「日本を代表する女優に 世界に通用する女優になりたい」って言ってんだから。

マヤの場合ですが、経済的ゆとりもなく母親とは没交渉という身の上なので現実的に考えたら働いたうえで高卒認定試験を…となるような気がしますが、マヤは学校という社会に身を置いたほうが正解ですね。普通高校でなくともいいんです、定時制でも夜間高校でも。

なぜならマヤは、大衆の中で演じ、大衆を魅了してこそ光るのです。「お芝居に興味がない」「怪訝そうな目で見ている」など、多種多様な観客を前にしても、マヤが演じた途端その場の空気が一変し、すべてが終わってみたらそこにあるのは熱狂の渦…という状況を作れてしまうのが彼女。

つまり、「マヤがその気になればどんな環境でも舞台にできる」、つまり、単行本で言うところの18巻から19巻の「体育倉庫の一人芝居」につながっていくわけです。そこが「演劇を見る」「天才少女姫川亜弓の演技を見る」と、前のめりの気持ちでいる観客だけを相手にしてきている亜弓との大きなアドバンテージです。

そういう意味でも、諦めていたマヤを高校に進学させた真澄はGJでした。

若いうちからグローバルな視野を手に入れて、海外を修行場に選んでしのぎを削りあうマヤと亜弓も見てみたかったような。

あぁ何か今気が付いた。

ガラかめは昭和の作品だから、今よりはるかに海外への意識が遠い時代なんだ。今読むとどこか小さい世界でまとまってるような気がするのは、今の時代は夢を叶えるための主戦場に海外を選ぶ子が普通にたくさんいるからなんだよなぁ…。

そんなことを書いていたら、「Nijiプロジェクト」で汗と涙を流しながら、夢に向かってひたむきに異国で努力を続ける彼女たちの姿に現代のマヤと亜弓の姿を見るようになった私でした。







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