姫川亜弓論 ~今更ガラスの仮面を考える~

さて昨日から書き始めている「ガラスの仮面」についての考察ですが、初めて手にした時からもはや数十年、素直に読めばよいものを中途半端に年を重ねてひねくれたのか、新たなツッコミを入れる作業に勤しむようになってしまいました。

もしかしたら、昔から漠然と感じていたかもですがそれを言語化する能力と自分なりの結論を持てずにいたことでスルーしていたものが今になって明瞭化してきたのかもしれません。

さて今回のテーマは「姫川亜弓」。

言わずと知れた主人公北島マヤの宿命のライバルであって生まれも育ちも全く真逆なもう一人の「天才少女」」です。

世界的な映画監督と大女優の間に生まれた美貌の一人娘であり、ありとあらゆる方面に才能を示し特に演技にかけては幼いころから天才の誉れ高い誇り高き女優、しかしその裏には自らに付きまとう「親の七光」を払拭せんがための血のにじむ努力が常にあるという、ライバルキャラでありつつも読者人気も高いキャラです。

正直私も、マヤよりも亜弓のほうが好きでした。

人生においてあらゆる点でアドバンテージを取っているにも関わらず、自らの力だけを信じる孤高の存在。少女漫画屈指のキャラと呼べるでしょう。

しかーし。

今こうして改めて彼女を冷静に観察してみると、どうもこの人努力は認めるのですが要所要所で詰めが甘い。もうやだなぁ大人になるとこうやって穿った目線で見るようになっちゃうよ。

1.姫川姓は手放さない矛盾

亜弓は事あるごとに「親の七光」を嫌う発言をするのですが、気持ちは大いに理解できるものの「じゃあなんで芸能活動の際に姫川姓を名乗るんだ」とツッコミたくなった。

現実にもそういう方はいらっしゃるように、出自の名が邪魔になると判断し芸名で努力を続け、地位を確立したところで生まれを明らかにするというほうが、よほど本人の言う「実力の世界」で勝負できるんじゃないのかしらん。それで周囲には「親の力じゃなく自分を評価してほしい」って、いやそりゃアンタ都合よすぎるっての。

そもそも亜弓は七光を否定する割に第1巻から舞台で母親と共演する有様。だからぁ、アンタは何がしたいの、親の影響受けたくないんでしょ?だったら親子共演一切NGくらいの強い姿勢をはっきり打ち出してくれ。

とまぁ、のっけから彼女の行動には矛盾が生じているのですが、後から分かったもののこの姫川家、一見親子関係の良い平和な演劇一家に見えるのですが、なかなかに闇が深い。

2.華やかな機能不全家族

単行本20巻で亜弓の過去が語られます。

亜弓がなぜああもストイックすぎるまでの実力至上主義者になったかが描かれているのですが、元をたどれば幼少時の亜弓があるコンテストに出場した際、自分よりも明らかに優勝にふさわしい人物がいたにもかかわらず親のネームバリューに目がくらんだ審査員の忖度で、納得のいかない優勝を押し付けられたことにひどく傷ついたことが始まりでした。

この時亜弓はふさぎ込んで両親にも言わず、「誰にも言わないで」とおねがいした上で不在がちな両親に代わって養育してくれている「ばあや」にだけ、怒りを込めて本音を打ち明けます。

『パパがえらいから ママが人気のある女優だから だから亜弓のこともほめてくれるんでしょ?!』

それに対してばあやはこう答えます。

『正直に申しますけどね 確かに中にはそんなお客様もいらっしゃるとは思いますが 亜弓さまはおきれいですよ これは本当です』

この時、亜弓の気持ちをまっすぐ受け止めたうえで真摯に自分の考えを述べたばあやさんの、亜弓に対する対応は間違っていないと思います。例え小さな子供であっても痛みにしっかり向き合う姿勢、さすがです。

ただここで今の私が見えてしまったもの。

この時亜弓がコンテストで知ってしまった自分に向けられたある種の「真実」で大いに傷ついたことを、両親が知らないってのはちょっとまずいと思う。

確かにばあやさんは「誰にも言わないで」と言われはしましたが、なんていうか…、この問題、親こそ知っとかないとだめな気がしてしょうがないんですよ。そして、当の亜弓が「実の親に言えなかった」というあたり。実はここが一番問題。

もうこの時点で亜弓にとって親は「甘えられる存在」ではなく、遠回しに「自分を傷つける存在」になってしまっているのです。そしてそのことを打ち明けられるのはばあやさん1人だけ。大丈夫か姫川家。忙しさのせいにして、ばあやに甘えて亜弓との心のつながりまで軽視しちゃいないか。

もしこのことを亜弓との約束を破ってでもばあやさんが姫川夫妻に伝えていたらどうなってただろう。もしかしたらその後の亜弓の人生が大きく変わっていた可能性があります。私自身の考えとしては親である以上この問題は家族でみっちり向き合うべきであり、娘の受けた傷を癒すのも親の役目ではなかったのかなぁと思うのですが…。

3.周囲は全て敵

亜弓のチートっぷりは恐ろしいものがあります。

演技だけでなく学業も優秀、しかもピアノ、バレエ、日舞、その他お稽古事は全てプロ級の腕を持っているとされています。…本人的には演技に一番比重を置いているものの、そんな人がピアノもバレエも日舞もプロ並みって、軽くあとの3つをディスってる気がしないでもないですがマンガなので忘れましょう。

親の名前なんて関係ない、私は自分の力ですべて勝ち取ってみせる」

その心意気や良しとします。その哀しいまでのひたむきさがあってこその亜弓というキャラでもあります。

が!

ここに姫川亜弓としての最大の落ち度があります。

それは「自分の力を周囲に認めさせたい」という思いが強すぎるあまり、彼女はもうダークサイドに堕ちているのです。序盤で既に。

実は亜弓、かなり性格がひねくれています。周囲から天才少女と持ち上げられすぎているのか誰に対しても謙虚さのかけらもなく、同世代の劇団員に対してもマウントを取るまでもなく下に見きっています。14巻では恋の演技ができていないと指摘された途端、端役の男性に色目を使ってさんざん夢中にさせた上でリアルな表情や態度を実地研修させてもらった挙句放り出すという、まったく擁護できない暴挙も平気で行う始末。

この時の亜弓はもはや鬼でした…

まぁそんな彼女も話が進むにつれマヤとの戦いで敗北感も知り、多少は角が取れるのですが、マヤと大喧嘩した際、マヤに「亜弓さんなんていつも高飛車で、取り巻き引き連れて…!」とののしられた際、

「勝手についてくるだけよ、ほんとの友達なんて一人もいないわ!私には取り巻きはいても仲間はいない…どれほどあなたがうらやましかったか…」と、初めて本音を口にします。

孤独な天才の哀しい胸の内…とも呼べるのですが見ようによっては自業自得とも言えますし、親ときちんと向き合った関係を幼少時より構築できなかったがゆえに起きた結果でもあります。

大体、「自分の力を認めさせたい」と思う気持ちと、「周囲は全て敵」と思う気持ちは似てるようで全く違うと私は思います。亜弓は別に作中のセリフで周りは敵などと言ってはいませんが、周囲に対する態度に思いやりなどがあまり感じられないのも事実です。

亜弓は自分の周りは取り巻きだらけと言いますが、もしかしたら一人くらいは彼女を理解し、仲良くなりたいと思っていた人がいたかもしれないのになぁと。近寄る人すべてが「親の七光」「有名人の子」としか思わない上っ面な人間に見えたとしたらそれは亜弓自身の落ち度であり、そのせいで孤独を抱えたとしたらそれこそ出自のせいにしてはいけないのではないかと。

そのため私はどうしてもこんな疑問を彼女に持ってしまうのです。

「あなた本当にお芝居好きなんですか?」と。

勿論好きだとは思います。誇りを感じてはいるでしょう。しかし、演じることがもはや本能で周囲からどう見られるかなんてまるで関係なく、自らの全てであるマヤと徹底的に違うのは、演じることにせよ何にせよ全てのことが亜弓にとっては「好きかどうか以前に自らのアイデンティティを確立するための手段」でしかないことです。

親の名前から抜け出す。

母親より上の女優になる。

そのために紅天女を演じる。

そのために人としての安らぎを幼いころに捨てた亜弓。

潔さに改めて敬服すると共に、そろそろ何かの救いを彼女に与えてあげて欲しいと思わずにいられません。ましてや視力まで取り上げるなんて、ね。




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