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3月15日 そうか、問題を認識することが嫌だったのか!

今日の眼から鱗。

今までは、問題を認識すると、認識する前よりも不幸になるイメージがあった。

問題は従来からあったとしても、それに気づかないと無いのと同じで、逆に気づかない時のほうが精神は安定しているわけで、問題を直視とまでいかなくとも、認識しただけで、「してしまった!」という感じとなり、ちょっとげんなりしてきた。

だが、見えていなくとも、問題は問題。この時点で認識できれば、いわゆる「今日が(これからの)人生で一番若い日」という考え方でいけば、問題がよりどうしようもない状況で爆誕するより、よっぽどいい、と思うことができるのだ。

身近なところでは、歯痛である。

基本虫歯がなく、なければ定期的な治療に行かない。引っ越しもあり、歯の定期的な掃除に行かなくなっていた。

いかねばなあというぼんやりした気持ちはあった。だが、なかなかスタートできないのだ。

そこで歯痛になり、どうしようもなくなり歯医者に飛び込むと、「この歯周病はやばい」といわれた。だがその対策をするのにも、これからの人生、今日が一番若いのだ。

ということで、一番初めのエネルギーが必要なSTEPを、歯痛により得られたことになる。これは考えてみると、悪いことではない。

とまあ、こういう感じだ。

問題を認識するのは損である。

そういう実感で今までの人生やってきたのだが、

問題を認識できれば、それへの対策が考えられて、うまく対応できればそれ以降の人生がより生きやすくなる。

そう考えていけば、それこそ「問題大好き」というマインドになることができそうだ。

(さすが勝間さんですね)






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