「知っている」から動けない不自由さ

「知っている」「わかっている」というところから動けない不自由さを持っている。

例えば水の中で生まれて育って死んでいく魚に、濡れていると「情報」や「知識」を伝えても乾く体験がない魚にとっては濡れている事なんでNo Ideaだ。

上司や部下に、「いい大学出ているのに仕事できないよね」なんて言われた日には、「お前に言われたくないよ」となるだろう。
どれだけ情報や知識を伝えられても、知らないことを知らないのだ。

自分が「仕事ができない」と体験するまでわからないだろう。

本当に知っている?解っている?

知らないかもしれない。というところに立ってみてほしい。
そこには新しい発展の可能がある。


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