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大切なのは自分の特性を知ること。

小さいころ、数字に色が付いているのは当たり前だと思っていた。

それが「共感覚」と言いえるほどのものだったかどうかはわからない。

共感覚
それを持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。

小学生のとき、たまたまそれを伝えたともだちも全く同じだったので、わたし以外のみんなもそうだとばかり思い込んでいたものだ。

その感覚に関係があるかどうかはわからないけれど、数字に限らず漢字や英単語や歴史の年号もなにかを覚えるときには意味を理解するというより「絵」として覚えていたような感覚がある。

運動も言葉で説明されても全くわからない。目の前で見本を見せてくれた方がその通りに動けるのだ。

つまり、眼球に形としてコピーはできるけど、意味を理解するのが苦手というのがわたしの特性だった。今もそうか。

どうやら私の妹の子供・・・つまり姪っ子(7歳)がそれと同じような感覚があるような気がする。

妹はある日、漢字を絵のように覚えている我が子を不思議に思ってわたしに相談をしてきた。とにかく書き順がめちゃくちゃ。意味を理解せずに書いている。ついイライラして怒ってしまうと。なにより意味を理解しないというのは気持ち悪くないのかしら?と。

妹よ・・・気持ち悪くないんだな。そういう覚え方が得意なのだよ。わかるわー!ソレおこっちゃいかん。そのやり方でやらせてあげるべし。(書き順の大切さは教えないとね)

などとと言うわたしの言葉でますます不思議がっていた妹。もう絵として入ってしまえばだいたいずっと残る。そして自分はその覚え方が得意なんだと気がついてから成績が飛躍的に伸びた記憶がある。

(目に焼き付ける方法なんて「学ぶ」という意味ではなんの役にも立ってないだろうな・・・。)

それでも勉強をする上で自分にあった覚え方や学び方を知るのは早ければ早いほど良いのではないか。それは自分の特性を知ることに繋がるから。

自分の特性を知ると勉強に限らず、自分に何かを落とし込む時に遠回りをしなくて済むようになる。(という表現が合っているのかどうかわからないけれど)

ところが、自分にあった勉強法なんて学校でも塾でも教えてくれない。親子でももちろん異なる上に自分で気がつくしかない。なんならそれがわかった時点で塾なんて不要だと思っている。

わたしはそこに気がつくのが遅くてちょっと苦労したからこそ、姪っ子の感覚を応援してあげたいと思ったのだ。親の感覚が決して正しいわけじゃない。否定すればするほど苦しむ場合だってある。

我が子の宿題はというと・・・やっぱり今はテストの点より、これから自分にあった勉強法を見つけらるかどうかが心配。かな?まぁ、まだまだゆったり構えて見守っていきたいと思う。

ちなみに今となっては数字に色がどーのこーのというのはほとんど忘れていたわたし。最近よく相談される姪っ子の宿題の件があってからいろいろと思い出した。

なんとなく残っている感覚で、わたしなりにあの頃かんじていた数字の色をサムネイルにしてみた。こんな色だったのよー。

そういえば・・・小学生のときにたまたま数字の色のことを伝えたともだちは、音に味?みたいなのがあると今も言ってたっけ・・・おしまい。

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