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映画『みんなの学校』 大阪市立大空小学校 初代校長 木村泰子さん

「すべての子どもの学習権を保障する」という理念のもと、不登校も特別支援学級もない、すべての子供たちが同じ教室で学ぶ。公立小学校の日常の教育実践が大きな反響を呼びました。この度、初代校長を務めた木村泰子先生にお話を伺いました。

木村泰子さんプロフィール
大阪市出身。
武庫川学院女子短期大学卒業。教育学部保健体育学科卒業。
「みんながつくる みんなの学校」を合い言葉に、子ども、保護者、地域住民、教職員一人ひとりがつくる大阪市立大空小学校の初代校長を9年間にわたり務めた。「すべての子どもの学習権を保障する」同校の取り組みを描いたドキュメンタリー映画『みんなの学校』が大きな反響を呼んだ。
2015年春に同校校長を退職。45年の教職生活を経て、現在は全国各地で講演、教職員研修、執筆を行う。
著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと—学び合いと育ち合いを見届けた3290日』(小学館)、『不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる21世紀を生きる力』(出口汪氏との共著・水王舎)など。

―全国を飛び回るお忙しい中、セミナー直前の貴重なお時間をいただきました。「みんなの学校」を共に創られた塚根洋子先生にもコメントをいただき、より深みのある時間となりました―

「今」を大切にできることが夢や理想に繋がる

Q.  木村先生はどんな夢や理想の未来を描いていますか?

木村泰子先生(以下、敬称略)わー!夢とか未来とかは全く自分の中にないんです!期待外れの答えだと思うんですけど、「今」をすごく大切にして生きている感じがします。「今」なんですよ!今、この瞬間をどう大切にスルーしないで生きていくかっていうことが、幸せな未来に必ず繋がる。それを大空小学校の9年間ですごく教えてもらいました。

子供たちには「夢を語ろうよ」とか言うんですよ。そしたら子供たちもいっぱい夢を語るんですよ。でも語る夢は、どう実現するかっていう過程がなかったらダメじゃないですか。夢をどう実現するかの一番の早道は、今をどう生きるかってことですね。

以前はいろんな夢を描いていた自分も確かにいたんですけど、今は夢や理想は?って聞かれたら「今を大切にできること」それが自分の夢や理想に繋がります。

記者:子供たちに教えてもらったっていうのは具体的にどんなことですか?

木村:いろんな事実が山ほどあります。私は校長というポジションで9年間いましたが、例えば、学校に行けない子がいっぱい入ってくる学校だったので、「前の学校は何で行けなかったの?前の学校との違いは何?」と聞いたら、子供たちは「空気が違う」と言うんですよね。「前の学校の空気はどんな空気?」って聞いたら「刑務所」って言います。これが現実なんです。

学校に行けないと世間は簡単に「不登校」と呼びますが、苦しんでいる子供たちが全国に山ほどいるんですよね。「教育を」と言えば言うほど、その教育現場の空気が吸えない子供たちが全部排除されていっているのが今の日本社会です。美しい時代にならない!

記者:その通りですね。

木村:この現実を、この子供たちの「今」をどうクリアにできるかっていうことです。子供たちは目の前の大人に憧れを持って信頼して、未来を信じて生きようとするんです。これがまさに教えてもらった「今」なんです。

子供が「刑務所」って言った時に、「あんた刑務所行ったことあるん?」って大人の私は聞くわけですよ。そしたら子供は私に驚いた顔をして「校長先生、バカやな。子供が刑務所なんか行くわけないやろ」って言うんです。これが目の前の子供の言葉です。
「刑務所を説明して」って言ったら、「動いたらあかんやろ。思いを伝えるのにしゃべったらあかんやろ。苦しいから外に逃げようと思っても逃げられへんやろ。これが学校や」って説明します。
本当に素直な子供の心が言葉に出てると思いませんか?でも世間の大人は、「校長先生にそんなこと言うたらあかん」とか「人にバカとか言ってはいけません」って教えますよね。この教えが美しい時代を汚すんですね。

すべての命が尊重されて、すべての命が守られること

Q.  次は「夢の実現のためにどんな計画を立てていますか?」という質問を準備していたのですが…

木村:いいですよ。計画は立てません。計画を立てると、大人は計画が正解になってしまいます。計画通りいかないことで自分を追い詰めたり、他者のせいにしたりするじゃないですか。計画を立てることが、さも大事なことのようにこれまでの日本社会では教えていたと思うんですが、今の社会のニーズはいかに想定外を生き抜くかですよね。

大人が計画的に物事を進めると、これからの未来を創る子供たちの命は守れない。美しい時代を創るために、大人は何を教訓にしてやり直すか。

「美しい時代」という言葉を今見せてもらって、自分の中に閃いたのは、「すべての命を守ることだ」って繋がるんですね。すべての命が尊重されてすべての命が守られること自体が、とても美しい時代を生きることになるんじゃないですか。

「計画=レールを引く=ゴールを創る=正解を持つ」この正解通りに自分が動けなかった時に、「どうして?この計画が間違ってたからこう動く」っていうのであればとてもいい。でもそれなら最初から計画はいらない。今を生きることが美しい時代を創ることに繋がります。

塚根洋子先生(以下、敬称略)校長先生は感性の人なんですよ。直観的な人だから、今必要なことを「今」する。私自身は昔は計画を立てるのが大好き人間だったんですけど、校長先生は「今、この子の表情からこれしよう」とされるんです。

これで子供たちがどんどん変わるのを見ているから、私の計画は自分の想定している子供たちの姿から立てた計画であって、目の前の子供の姿ではなかったっていうことをものすごく感じるわけです。そうすると、計画を立てることよりも「目の前の子を観る」という方が2歩前進できるんじゃないかなって思います。

記者:心と心が交流するっていうことですね

塚根:そうです。どんなにいい計画でも明日やったら通用しない。ハウツー本は通用しない。無計画ではなく、「今を観る計画」という眼力ですね。

記者:なるほど。自分のフィルターや正解を持って出会うのではなく、今、目の前の子供たちのありのままをいかに受け取れるのかということですね。

一人の大人が自分をちょっと変えれば、生きづらい社会は変わる

Q.  どのような実践をされていますか? また今、力を入れていることはどんなことですか?

木村:すべては「大人の自分が変わろうね」って、そこでしょうね。
子供たちを救うとか、不登校をなくすとか、教育を変えるとか、そういう視点で講演に来てほしいというお声をたくさん頂くんですが、そういうことを目的に自分が動いているのかなというとそうじゃないなって思います。

一人の大人が自分をちょっと変えれば、本当に生きづらい社会は変わる。まさに「美しい時代を創るポイントは何?どうしたらいいの?」っていうと、一人の大人の自分が自分を変えることです。

例えば、引きこもっている人が人の命を…という事件があったけれども、「現在の日本社会のこの課題を、どうしたら美しい時代に変えれるか」っていうことを考える一人の大人が「自分を少し変えること」そこからではないでしょうか。

じゃあ、今の社会で「自分をどう変える?」っていうのは、例えば、人を殺した犯人が「自分の子供じゃなくて良かった」って思った大人が山ほどいるでしょ。「あの人はこれまで引きこもっていたから、不登校やったからこういうことをした」ってそう思うでしょ。自分の子供が引きこもっていたら、「うちの子もやるんじゃないか」ってご自分の子供を殺しちゃった事件が起きたでしょ。そういう連鎖が今社会に起きている。

この連鎖が起きている大元は何か?というと、一人ひとりが「他人事を自分事として捉えない」社会の目ですよね。そこを変えない限り、連鎖は止まらない。じゃあどうやって変えるのかというと、力でもノウハウでもないんですよ。

「他人事を自分事として捉える」という自分に対する学び

木村:自分が他人事を自分事に変えれるか。でも他人のことだから、他人事を自分事には変えられないんですよ。ただ、これが自分の子だったらって考えてみる。もちろん罪は許されませんけど。

排除して批判して終わるだけの自分であれば、次々と同じような事件が起きますよね。あの相模原連続殺傷事件から一人の大人が自分をちょっと変えて、つまり自分事にしていたら、今回の事件(川崎登戸殺傷事件)は起きてないかもしれないですよね。

社会の目が、みんなと違うことをしている一人の弱者、未成熟な一人の子供をどう見るか。
みんなは「はい」って言うけど、この子は「先生嫌い」とか友達を殴ったりする。そんな子には幼少期から生きづらい社会があるわけですよ。その子の親に対して「何あれ?子供を躾けてないね」と周囲は批判する。ここから負の連鎖が続く。至ってはいつ自分に返ってくるかわからないのが今の時代だと思うんですね。こういう時代ってまったく美しくないじゃないですか。

「美しい時代」っていろんな表現があるけど、「他人事を自分事に捉えようとする一人の大人の姿」この姿があれば、子供はそんな大人に信頼を感じます。こんな大人になりたいなって思うからこそ、子供は未来に憧れを持つでしょ。

見えないところを観ようとする

木村:見えるところを見ていると、見えないところは見えないじゃないですか。

椅子に座って「はい」って言う子供の姿を先生が良しとして見ていたら、椅子に座って「はい」と言っている子供の姿をみて安心するでしょ。
でもこの子が心の中で「何でこんなことせんないけんねん。親に虐待されんねん。どうしよう」っていう見えないものを抱えていたとしても、先生は観ようとしないじゃないですか。

反対に、暴れる子とか教室を飛び出す子とか歩き回る子とか、こういう子って今の社会では排除されますけど、「椅子に座れない」というその子の姿は見えるでしょ。椅子に座れないその子が「なぜ歩き回っているのか?」っていうことは、観ようとしないと観えないでしょ。

この「見えないところを観ようとする」大人に変わって行けば、そういう大人を信頼する子供は、見えないものを観ようとするんです。
そうするとどんなに自分と違う他者でも、相手を尊重し合います。人が隣の人を尊重する。これって美しい時代を創るベースですよね。

Q.  木村先生の実践行動の原動力はどこから来るんですか?

木村:苦しんでる子がいるからやな。今の学校は苦しんでる子が見えてへんねん。
障害があるって診断されてる子は、じっと座って静かに黙っていることが難しいでしょ。そういう子を排除する社会の規則、規範、学習ルールみたいなのが驚くほどの勢いで今の日本社会に下りてきている。その規則を守れない子が続出する。じゃあ守れない子が悪いのか?
規則がなかったら「規則を守る」っていう正解がないんですよね。
正解があれば、守れる子が〇、守れない子は×されてしまう。
でも正解がなかったら「何であの子たちは座らへんのかな?」という見えないことを観ようとする疑問を持てる。

正解がある元で行われる営みと、正解がない元で問い続けることの営みとでは、目指すゴールは大きく違うでしょ。

いろんな事情があって学校に行かれない子がいる。でも学校に行けてる子が「あの子が学校に来るにはどうしたら来れるやろうな」って、いつもいつも考えて、何かのきっかけで来れた時に「よかった」って言ったら、来れた子は「俺はここにいていいねん」っていう空気を吸える。こんな簡単なことです。

学校でけんかして「嫌やねん」って言ってる子はそれを学びに変えることができるけど、学校に来れない子は学びすら保障できない。
「今誰が一番困っているのか?この困ってる子が困らないようにするためにはどうしたらいいのか?」これがずっと昔から私がやってきたベースです。

前の学校で1年生で欠席0だった子が、2年生になって始業式から3日間いじめを受けて学校に行けなくなった。そんな子が6年生の4月に大空小学校に来て変わってくるんです。
この子は男子便所でズボンとパンツ脱がされてみたいな、いじめを受けていた。でもその子はいじめを誰にも言わない。先生にも親にも言わない。抱えたまま、大空小学校の「たった1つの約束をみんな守ってる。約束を破ったらやり直しをするよ」というHPを見て、ここの学校やったら俺の居場所があるって、こんな子が来るんですよ。

だから、自分の行動の原動力は何なの?っていうと、やっぱり「こんな子をつくってたらあかんやろ」っていう思いです。 

未成熟な子供が「自分が悪い」と命を絶っていく。未成熟な子供が「自分が学校に行けないのは自分のせい」と責める。「自分のせいでお父さんとお母さんが離婚しました。僕が学校に行っていたらお父さんとお母さんはお別れしないで良かったんです」
そんな子供をつくったらあかんやろって。それは原動力にはなってますね。

Q.  いつも近くにいらっしゃる塚根先生から見て、木村先生はどのように映ってらっしゃいますか?

塚根:彼女が退職後、講演の要望がたくさんきて、最初の頃は「これでいいのかな?」とよく呟いていたんですよ。私から見たら、ええ話やったし、会場のみんなも元気な顔で泣き笑いしてるんですけど、本人は「落ち込むわー」ってよく言ってたんです。

でもある時、彼女が「学ぶものがあった」とものすごく満足して帰ってきたんですね。彼女が「学ぶ」という姿勢を持ったから、今がどんどん観えてきたんじゃないかなって思います。「学ぶ」ということは「変わる」ということです。同じ土俵でいろんな立場の人から学びを得るから、今の彼女が美しいなと思います。

木村:ええこと言うなー。自分では自分のことそんな風に思ったことないけど(笑)
でも始めの頃は「伝えなあかん」っていうのがあったと思います。『みんなの学校』をちょっとでも皆さんわかってねって。これは上から目線なんですよね。そこに気付いた時に『みんなの学校』に戻りました。

それまで1年半くらい、私が少々講演で話したところで、子供たちはどんどん亡くなってるし、学校に行けてない子もいっぱいいるし、お母さんたちは苦しんでるし、学校も変わらへんし…「もう意味がないな、やめようかな」って、ふっと思った時に気付いたんですよね。今の私の呟きを子供たちが見たら「校長先生ブレてんで」って言うやろうなって、子供たちの姿が見えました。

自分が一方的に与えて「あなたたちどうして変わらないの?」みたいなおごりを一瞬持っていたんでしょうね。だから自分が満足しないから、「こんな話でええんかな?もうちょっと言いたかったんやけどな」とずっと悶々と言ってたんですけど、「ああそうか。伝えるために私がいるわけじゃなく、私は自分が学ぶために行かせてもらっている」ってスイッチを切り替えてからは楽しいですね。
だから毎日毎日、話すことも表情も行動もきっと自分の中では更新されてます。更新されてるから、昨日何しゃべったかっていうのは残念ながら忘れてます(笑)

そういうことを『みんなの学校』では教えてもらったんですね。
だから美しい時代のキーワードは「学びは楽しい!」生涯、大人が自分をちょっと変える営みです。
学んでる人間は人を批判しません。学んでる人間はいろんな人に出会うと思うけど、出来の悪い自分をさらけ出して教えてもらってやり直せる。気付いたらやり直せばいいんですよ。これが学びの楽しさですよね。


一人の子供が苦しんでいて周りの子供が幸せになれるなんて、絶対にありえない!

Q.  木村先生は「すべての子どもの学習権を保障する」という理念や、美しい時代を「すべての命を守ること」だとおっしゃられたように、「すべて」ということを大切にされている、その背景には何があるんでしょうか?

木村:あのね、それは簡単なことですよ。一人の子供が苦しんでいて、周りの子供が幸せになれるなんてありえないから。絶対にありえない!

一人の苦しんでる子供のことを救うことは他人はできへんねん。救うことはできへんけど、「あいつどうやったら来れるかな?どうやったら安心して座れるやろな。あいつどうしたら教室におれるやろな」って、いつも周りの子供がその子のことを考えることは、周りが幸せになるんですよ。

そのことが立証されてるのが、今の日本社会の出来事でしょ。排除されて、引きこもる。そんな社会の結果です。

『みんなの学校』であの映画に出ていたセイシロウっておったでしょ。(3年生まで別の小学校の特別支援学級に通い、4年生で大空小学校へ転校してきた男子児童)
今彼は高校2年生になっているんですが、あのセイちゃんが東京大学のシンポジウムに登壇して、彼はハッキリ言いました。
「僕は1年から3年までいた前の小学校のままだったら、今の僕は誰ともしゃべらない人間になっていただろうし、家から一歩も出ない人間になっていたと思います」

その後で今回のような事件が起きたんですよね。
その彼も一人でも周りに信頼できる大人がいたら繋がったわけで、ここがないんですよね。

記者:他人事を自分事としてとらえられるかどうかは、ものすごく大切なことだと思ってます。
20年近く前に音羽マンション街の幼女殺害事件があり、自分の子供の幼稚園のお友達の幼稚園児を殺してしまったお母さんがいました。大問題ですよね。「何で殺したのか?人非人だ!」等と周囲は批判しました。
でも私は自分自身も当時子どもが小さい状況で、現代の子育て環境の中では子供を虐待するお母さんなんて当たり前に増える、殺人した母親と同じ生育環境で同じ条件に置かれたら、誰もが他人事じゃないと本当に思いました。むしろその当事者だけが問題ではなく、社会が生み出した事件だなと。時代の問題を象徴的に表現してくれたと感じていました。
ひとつの事件を、自分にとってどんな情報としてどんな気づきに変えるのか。その大人一人ひとりの変化からですよね!

木村:本当に私が行動している足元なんて、ものすごく当たり前のことなんですよ。力もお金もいりません。大人の自分が「この子が自分の子やったら」って思うだけで、その子を見る目が変わるでしょ。それは包み込むか、排除するか。その空気を瞬時に子供は感じます。

子供は親がなくても他人がいれば育つ。親が自分の子供を育てろよ、親を教育しろよ、なんていう時代ではないと思ってるんですね。
だから親に求めるのではなくて「一人の苦しんでいる子供が苦しまないようになるには、“地域の宝”にどう関わればいい?」って、他人が関わることで結果的に親も信頼できる。というようなことを『みんなの学校』は教えてくれたんです。すごい簡単なことなんですよ。人に求めることではない。全部自分の中にあるわけです。

記者:まずは自分事に変えることからですね。本当に本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

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▼映画『みんなの学校』公式サイト

 

【編集後記】
今回インタビューをさせていただいた塚﨑、松岡、田中です。
木村先生は本音で真っすぐ語って下さり、今この瞬間をごまかさずに生きてる方だと感じました。
よく取材や講演を受けられる中で、「本当に伝えたいことがなかなか伝わらないのよ」ともおっしゃられていました。
今回記事を書くにあたって、木村先生の言葉がビンビン胸に響いてきました。学校を、教育を、子供たちをではなく、木村先生が終始おっしゃってることは、まず自分を変えること。自分が変われば社会が変わる。では自分をどのように変えたらいいのかというと「他人事を自分事に変えること」からだと。
つまり、どこまでを自分と思うのか。自分という範囲、自分の認識を変えることをずっと伝え続けていらっしゃるのではないかと感じました。
自分がつくっている社会、みんなでつくるみんなの社会を考えるきっかけになれば幸いです。
長くなりましたが、本当にたくさんの気付きと学びをいただきました。ありがとうございました。

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こちらの記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。

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