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まだまだ終わらない大日本帝国の後始末

2023/9/1 newleader

ルーズベルトの「ピンボケ」が

 1964年7月に訪中した日本社会党左派の議員団(佐々木更三団長)に向かって毛沢東は「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国人民に政権を奪取させたのですから」と「感謝」の言葉を伝えたといいます。(原剛「運命を変えてしまった知られざる大作戦・一号作戦」)。

 日本が何か中国共産党に感謝される「何」をしたというのでしょうか。実は、このことに現在にもつながる東アジアの不安定と緊張を読み解く鍵がありそうです。

 78年前の9月2日、連合国への降伏文書に正式に調印し、日本にとっての第2次世界大戦は終了しました。その後、日本本土は冷戦の緊張も体験しない気楽な時代を迎えますが、実は「大日本帝国」という視点で見ると全く別な様相でした。

 1937年に始まった日中戦争は、いわば今行われているウクライナ戦争。国際社会内での日本の立場は今のロシアのそれと同様となり、国際的な包囲網で制裁を受け、最終的に第2次世界大戦へ絶望的な突入を行ってしまいます。対米戦は、開戦当初は威勢が良かったものの、戦線を急拡大したツケがその後廻ってきます。生産力の差で戦力は易々と逆転、1944年には、制海権を失い、本土と主力戦力が展開する南方が分断され敗勢濃厚です。

 さて、そもそもこの大戦争のきっかけとなった中国戦線はどうなっていたかというと、国民党軍は内部腐敗や無能力から全くといって大戦に関与できていませんでした。対中援助の命綱のビルマルートなど南方からの補給線が危機に陥っても、蒋介石は「無気力・無抵抗」で「……総統は、補給の流れを打ち切られない程度にしか、戦おうとしないだろう」とアメリカ陸軍の中国・ビルマ・インド戦域司令官のジョセフ・スティルウェル将軍に見られる始末(バーバラ・タックマン「失敗したアメリカの中国政策」)。

 しかし、これらの報告を受けてもルーズベルト大統領は「……蒋介石支持に代わる案が思いつかなかった。彼は日本敗北後の空白を恐れ、蒋だけが中国をひとつにまとめることができるとたびたび聞かされていたので、白地小切手の形で彼に援助を与えてきた」(同上)のですが、この問題を解決せずにいたことが、さらに大きな迷走の原因となります。

 ルーズベルトは中国を戦後世界の4大国の一角に位置づけるという構想の下、1943年11月のカイロ会談に蒋介石を招待します。

 これが日本を痛く刺激しました。中国への懲罰と南方との交通路の確保、中国で整備されれつつあったB29の基地の排除などを目的とした、華北からベトナムまでの大攻勢で帝国陸軍史上最大の作戦である「一号作戦」、いわゆる大陸打通作戦を翌44年4月から行い、45年1月には、なんと成功してしまいます。

 これで、国民党軍は事実上壊滅。「(航空隊の偵察報告によれば)彼らは敵の前から雲散霧消し……、潰走の後には隣接する山西から中共部隊が浸透してきた。西安にいた大使館のあるオブザーバーは、住民は日本軍が駆逐されれば中共の天下になるとみていると報告した」といいます(タックマン、同上書)。なるほど、毛沢東が感謝したくなるわけです。

アジアに「熱い」戦争の世紀を呼び込んだ

 この一号作戦が引き起こした事態のおかげで、戦後の中国についてアメリカはノー・アイデアに。

 中華民国は連合国に踏みとどまったものの、事実上、交戦国の実態を失ってしまいます。1945年のヤルタ、ポツダムの連合国首脳会談ではもはや中国は招待されません。アメリカは東アジアでの戦争の決着にソ連の参戦を求めます。

 ヨーロッパでの戦争終結の形は、西方連合軍とソ連軍がそれぞれドイツを打ち破り占領した勢力境界でそのままヨーロッパを2分割することになりました。

 そこに到る事前調整も行われました。しかし太平洋では、アメリカはほとんど単独で日本に勝ったにもかかわらず、戦勝後、大陸をどうするかについての準備の無さというのは、ほとんどシャレにならないレベルでした。例えば朝鮮半島の処分も考えておらず、38度線をソ連との占領地域の境界とする案は8月15日の数日前にエイヤで策定され、ソ連の同意を得た上で9月2日の正式な日本降伏に間に合わせるという、文字通りの泥縄でした。

 要するに、東アジアは、アメリカが戦勝により自ら抑えた部分と、戦後の準備が全くなかった部分の2つに分割されたわけです。日本の本土部分以外の地域にとっては、真空地帯の発生でした。

日本と東アジアのあまりに長い「戦後」

 戦後期は、ヨーロッパ中心史観で「冷戦期」と呼ばれます。東西両勢力の緊張関係で語られがちですが、東アジアでは「熱戦」、つまり戦争の世紀の継続です。日本の降伏直後の45年10月には中国で国共の軍事衝突が始まり、国共内戦、中華人民共和国の成立へ。続いて、50年には朝鮮戦争が勃発、さらに64年にはアメリカが介入してのベトナム戦争開始。75年のサイゴン陥落まで東西両陣営の「熱戦」が続きます。

 この構図は未だに続いています。習近平体制下で軍事的拡張政策を続ける中国、核ミサイル開発に勤しむ北朝鮮、ウクライナでの負けが込んで、再度危険国家化したロシア。これらの国が軍事的緊張と恫喝を日本に、そしてアメリカ、台湾、韓国に強烈に投げかけています。

 戦後、日本本土はドイツのように分割を受けませんでしたが、「大日本帝国」はアメリカのいい加減なやり方でバラされてしまいました。その分断線が38度線であり台湾海峡です。日本の代わりに分断国家となった国々にはお気の毒なことでしたが、「大日本帝国」の中途半端な解体の行き着いた先は、その後の不安定でゆがんだ世界となってしまいました。

 それが近年になってますます居丈高になっているならず者国家群を生み出し、国際社会の仁義や第2次世界大戦後の世界秩序を踏みにじる軍事的緊張の異様な高まっていることの原因となっているのはいうまでもありません。

 もしかしたら、先送りになっていた「大日本帝国」の最終的な後始末が近づいているのかもしれません。

 それゆえ、多くの日本人には不愉快なことかもしれませんが、今の事態は他人事ではないのです。


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