枠を知る

昨日お店でお話したこと。
この話はたまにします。
多くの人は、他人のことばかりとやかく言って、自分のことはわかろうとしない。
そら、究極的なところでは、認識するものを認識することはできないのだが。

でも、少なくとも、自分がどんな「枠組み」で、檻に入って生きているのかは、知る努力はしてもいいんじゃないかと思う。
それは、きっと自分自身の生きづらさに繋がるのだろうから。

あまり好きな人がいないのだけど、アルバート・エリスさんの、「論理療法」という心理療法がある。僕も、これを、人にやるのは僕もあまり好きでない。
アルバート・エリスさんは、有名なアルフレッド・アドラーさんの影響も受けている。

ある、事実があって、それを認識した結果、感情や行動がでる。
人は、その事実が、問題だというのだけど、事実と結果の間に、信念や固定観念が挟まっている。
それを認識しましょうというもの。

例えば、FBの書き込みで、ナンマンダブを多用している人がいる(事実)が、それに対して僕はなんか鬱陶しい、我田引水的なとこがあると感じる。(結果)
その真ん中に、僕のなんらかの(信念や固定観念)が挟まっているわけだ。
だから、ナンマンダブを多用する人が鬱陶しいわけではない。
僕の信念が鬱陶しいわけだ。
じゃあその鬱陶しい信念はどこから来るのか、を徹底的に考えてみる。

心理療法では、これを、カウンセラーとやるわけだけど、ある程度は自分でもできる。

そうやって、一つ枠が外れると、他の全く無関係な問題が解決することがある。

なので、他人をとやかく言う前に、自分のことがわかるように努めてみたらいかがかな、と言う話。

こんなこと言うから、嫌われるんだろうな。
自分のこともわからないくせに。
でも、嫌われる勇気は持っています。(笑)


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