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「幸せになってほしい」という呪い

30代の一時期、よく既婚の友人から「早くいい人を見つけて幸せになってほしい」というようなことを言われたけれど、いつも呪いにかけられたような気分になったものだった。

別に深い意味はなく、ただ単に、言葉通りに受け取るべきものなのだろうけれど、そうはわかりながらも、脳の配線に問題があって言葉の受け取り方が少々おかしい非定型発達の私には、「いい人を見つけて結婚しない限り、あなたはそのままでは幸せにはなれない」と言われているように聞こえて、「ううっ、また呪いをかけられてしまった」と思ったものだった。親や親戚からも結婚していないことでダメ人間の烙印を押されていたし。

40代も半ばを過ぎた今となっては、誰にも呪いをかけられることはなくなったし(それどころか、「結婚しなかったんだ」って勝手に過去形にされる)、幸せの定義は人によって違うとわかっている。

実際のところ、「結婚=幸せ」という図式は古すぎるし、そもそも成り立たない。「結婚=幸せ」ではなくて、「幸せな結婚=幸せ」「不幸な結婚=不幸」なのではないのか。結婚が幸せなものになるかどうかは当事者次第で、
結婚すれば無条件に幸せになれるわけではない。

昔、父親に「離婚してもいいから一度くらい結婚しろ」と言われたことがあった。

以前、工場のラインの仕事をしたことがある。業務用インクジェットプリンターのヘッドの最後の検査工程を担当していた。検査で落ちたヘッドは「NG品」となるのだけれど、ギリギリで検査に落ちてしまうものもあって、そういったヘッドを、技術者にもう一度測ってくれと頼まれることがあった。

確かに、何度も測れば一度くらいはギリギリ合格することもある。そうしたものを出荷していいのかというのは大いに疑問だけれど、出荷数が足りず、どうしても間に合わせたいらしい。一度出荷に出したものの、質が悪くて返品されてきたものは「出戻り品」と呼ばれていた。

「離婚してもいいから一度くらい結婚しろ」というのはそれと同じことかなという気がした。「NG品」より「出戻り品」の方がマシなのだろう。要は、娘の幸せより世間体が大事なのだ。

いわゆる「早くいい人見つけて幸せになってほしい」というのも、結婚という「世間並み」が幸せという考えに基づいてるのかもしれない。

面白いことに、当時、私に呪いをかけた友人たちは今ではほとんどが離婚している。「まだ結婚してないの」と言っていたいとこも、先日法事で数年ぶりに会ったら離婚していた。

若いうちは、「早くいい人見つけて」という言葉を投げかけられることも多いかもしれないけれど、そんな呪いはさっさと解いた方がいい。遅かろうが早かろうが、何が幸せかは自分で決めればいい。

離婚をせずに長く結婚生活を続けている友人は結婚生活は必ずしもいいことばかりではないことを重々承知したうえで結婚生活を続けているから、次のように言ってくれる。「独りでいるのも、またよいよね」と。

結婚といえば、御年105歳になる美術家の篠田桃紅さんは自分は結婚して家庭に入ってやっていける人間ではないと早々に己の性分を見極めて、得意だった書道で身を立てる決心をしたのだそう。

現在105歳といえば、大正生まれなのだから、あの時代に女性が嫁がずに自力で生きていく決意をしたというのは並大抵のことではない。「絶対に結婚すること」という父親の遺言(すごい遺言よね)にも従わず、独身を貫いてきた。

テレビでドキュメンタリーを観たことがあるけれど、しゃんとしていて、いかにも意志が強そうな人だという印象を受けたけれど、自伝の『桃紅百年』を読んでみたら、意外とのほほんとしていて、のんびりした感じだった。そのマイペースさが長生きの秘訣なのかもしれない。

天才というのは、己の性分を早々に見極められる人のことなのかも。天才には程遠い私は、なかなかにあきらめが悪いけれど、このあきらめの悪さも性分と思ってあきらめるしかないか。

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