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未だ映画化されていない傑作SF:ソラリスの何が凄いのか①

 「ソラリス」というSF小説をご存知だろうか。「ソラリスの陽のもとに」という旧訳版なら知っているという方もいるだろう。有名監督により2回映画化されているのだが、原作は全く異なる。(小野堅太郎)

 過去記事で「薔薇の名前」について解説したときに、翻訳に次ぐ翻訳により内容が変更されてしまうという問題が小説内に取り込まれている、という話をしました。言葉はそもそも曖昧であり、また、時代と共に意味が変わっていきます。外国語ともなれば、1対1で対応する単語などないので翻訳者の想像や解釈でその国の言葉に置き換えられて内容が変わる。「薔薇の名前」は、この翻訳問題を小説内のテーマ表現にむしろ適切なプロットとして組み込むことで、深みを増すことに成功したわけです。一方、この「ソラリス」は実際にリアル世界で、翻訳により内容が改変されて本来の小説の内容が改変され、原作とは全く異なる趣旨の物語として人々に知られている現代作品の代表です。

 ソラリスは1961年に発表されたスタニスワフ・レム(1921-2006)というポーランドの作家によるSF小説です。当時のポーランドは、旧ソ連の影響下でしたが、スターリンが亡くなったことにより比較的自由な創作活動ができる状態にありました。空想的な内容や科学風記述に関しては、ロシア語に翻訳される際にソ連検閲を恐れて削除されています。そのロシア語版を翻訳したのが初の日本語訳「ソラリスの陽のもとに」(飯田規和訳、1965年、早川書房)です。そこで、ポーランド語原典からの完全訳として2015年に「ソラリス」(沼野充義訳、ハヤカワ文庫)が出版されます。小野はこの新訳版を読んで感動してしまったわけです。翻訳者の沼野氏によると、ロシア語訳では7%もの内容が削除されており、他にも言葉の変換もあったようです。今ようやく、原文に近い日本語訳でソラリスを読める環境というのはありがたいです(100分de名著ソラリスより、NHKテキスト)。

 とにかくソラリスはSF小説という枠に収まらない多種多様なテーマを同時に描いた作品なので、解釈も多様です。ゆえに難解であるともいえます。旧ソ連の芸術映画監督アンドレイ・タルコフスキーが1972年に映画化します。彼は懐古主義思想の人で「昔は素晴らしかった!昔に戻れ!」と主張する人です。今見てもかなり前衛的な映画ばかりです。特に水を使った演出が芸術的で、とにかく絵がきれい。モノクロでもうっとりするような構図です。最も有名な日本の映画監督である黒澤明と仲が良かったようですが、娯楽エンターテイメントの要素は全くないため、映画自体は全然面白くありません。

 おそらくタルコフスキーがソラリスに興味を持ったのは、「海(水)」と「記憶(郷愁)」だったと思われます。懐古主義的な彼はむしろ「宇宙」や「テクノロジー」を批判的に捉えて解釈しました。ですので、映画「惑星ソラリス」は科学批判としてSFの舞台設定を用いて、川の流れや渦潮をイメージに多用しながら雨による芸術的演出で構成されていきます。レムの描いた原作ソラリスにある「科学進歩の不可避的受容」というテーマとは全く正反対の結論となっています。当然、レムはタルコフスキーと言い合いになり喧嘩に発展するわけです。出来上がった映画「惑星ソラリス」はタルコフスキーには珍しく「面白い」です。傑作です。多少間延びするところはありますが、ヒロインであるハリーの美しさと繊細さが描かれ、スナウトとの友情も盛り込まれていて、原作完無視というわけではありません。繰り返しますが、原作とは全く逆の結論となっていて、冒頭とラストは原作にはありません。

 さて、ソラリスはフランス語訳が出版されるのですが、レムによると「poor(英語:出来が悪いの意)」でした。それをタルコフスキーの映画公開前に合わせてか、1970年にアメリカで英語訳が出版されます。それが、ただでさえ出来の悪いフランス語訳を元に翻訳されるわけです。ヒロインのハリーですが、ダーティ・ハリーでも知られるようにハリーとは男性の名前ですのでレイアに変えられ、スナウトはわかりやすくスノーとなります。詳細は知りませんが、どうも主人公クリスとレイアとの恋愛ストーリーが中心となっているそうです。

 この英語翻訳版を元に、名監督スティーブン・ソダーバーグが2002年に映画化します。脚本・製作は超大御所大人気映画監督ジェームス・キャメロンです。映画が芸術として認知されていた時代のタルコフスキー版は受け入れられたようですが、エンタメとなった時代のソダーバーグ版は大ゴケしたようです。しかし、この記事を書くためにDVDを買って観てみましたが、意外に面白かったです。レイア(ハリー)とスノー(スナウト)の新解釈があったり、わかりやすいドンデン返しもあり、ちゃんとハリウッド映画になっていました。ただ、宇宙を舞台にした恋愛もの(悲哀)になっていて、原作やタルコフスキー版にあるような深い余韻を感じされるものではありませんでした。英語圏では、ちゃんとしたソラリス翻訳がないということで、日本と同じくポーランド語からの英語翻訳がなされており、2014年からアマゾンキンドルで読めるようになっています。

 というわけで、レムのソラリスを元とした映画は2本あるのですが、レムのソラリスはまだ1回も映画化されていません。

 そもそも原作が翻訳段階で時代の影響を受けてオリジナルではなかったわけです。レムは2006年に亡くなり、2010年代になってようやく海外に自分のソラリスがより正確に翻訳されるようになったわけです。小野にとっては古いけど、新しい小説です。何せ、最近注目された中国のSF小説「三体」を読んだ後に「ソラリス」を読んでますから。

 次の記事では、「じゃあ原作ソラリスはどんな話で、どんなふうにすごいの?」という話をします。

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