ひなまつりに思う。女に生まれて、女を愛して。

今日はひなまつり。
私は三姉妹の長女。
雛人形は、実家にある。

実家はいわゆる「汚実家」で、
物がめちゃくちゃたくさん溢れ、
めちゃくちゃ汚い。

雛人形は私が小学生の頃から、
ずっと、出されたままになっている。

かろうじてティッシュで顔を隠しているが、
あまりにかわいそうだ。

けど、しまう場所もないし、
そもそもその前に立ちはだかる色々な物で、
雛人形の移動は困難である。

雛人形を出しっぱなしにすると、
婚期が遅れると言われるが、
私は今年33になるが、未婚で、
あながち間違ってはいない。

けど、妹2人はもう嫁いでいるから、
まぁ雛人形のせいではないだろう。

私には今、恋人はいない。

かつて恋人がいたこともある。

相手が男性なこともあったが、
女性なこともあった。

バイセクシャルだとか、
同性愛だとかのくくりと言えばそうかもしれないが、
そこには違和感を感じる。

たまたま好きになった人が、
たまたま女性だったというだけで。

きっと彼女が男性だったとしても、
愛しただろうと思う。

彼女が男性であったら、
もしかしたら。

今の日本の法律では、
同性では結婚ができない。

そういった意味では、
きっと彼女が男性であれば、
結婚を考えたのかもしれないし、
結婚をしていたのかもしれない。

だけど、それはやっぱり違う。

同性愛だろうと、異性愛だろうと、
愛が生まれることもあれば、
愛が途切れることもある。

だから、今、私は一人なのだ。

もちろん雛人形のせいでもなく、
相手が女性であったからでもない。

女に生まれたら、
男と結婚をし、
子供を産み、
育てる、

それが人間の義務であると言われる、なら、
私はダメな人間である。

女に生まれて、
女を愛することが、
生産性がないなど言われる世の中。

私は今のところ生産性のない、非国民なんだろう。

だけど、
それでも生きていく。

生産性がないと咎めることより、
幸せな人を増やすことの方が大切で、
それでこそ生産性が上がるはず。

私はこのまま「生産すること」ができないままだとしても、
その分、誰かを助けられる人になりたい。

妹は17で子供を産んだ。

「子供が子供を産みやがって」
と、見知らぬ人にベビーカーを蹴られたことがあった。

子供が子供を産んでも、
親だけで育てるだけが子育てではないと私は思う。

家族で一緒に育てたその子は、
この春、中学2年生になる。

よくここまで育ってくれたと思うし、
「子供が子供を産みやがって」
なんて言ってきたあの人より、
ずっとずっと、立派に育ったと思う。

生産性とは何なのか。

子供を産んでいない私には語る資格がないのかもしれない。

それでも、

この子が幸せになるといいなと願い、
寄り添い、今を迎えられていることは、
生産を支えたことにカウントしてもらえないのだろうか。

子供が子供を産んでも、
親だけで育てられなくても、
みんなで育ててもいいんじゃないの?

人の価値を、生産性がなんちゃらと切り捨てることより、
よほど意味のあることだと自分では思う。

女に生まれて、
誰を愛そうが、
愛さまいが、

女に生まれてよかったと、
私に生まれてよかったと、

そう思いたい。

そう思える自分であれるように、
今日も生きている。

まなき

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