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【まなぶの学んだこと】怒りを無意味に無くすものではない

「怒っていてはダメだ!!」
「怒らないようにしないとな…。」
「クールに振る舞った方がカッコいいよな♪」

たしかにその通りです。
むやみやたらに怒りをあらわにすることは好ましくありません。怒りというものは、場の空気を乱し、人を遠ざけてしまいます。時と場合によっては、冷静に振る舞った方が、好感の持てる人物を演出できるものです。

だけど、『怒り』を完全になくしていいのでしょうか?
個人的に、『怒り=悪』という図式が出来上がっている気がしてなりません。そこまで怒りに対して批判的になる必要はないはずです。


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怒りは活力の源
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大体の人たちは『善良な人間』であろうとし、怒りという感情に耳を傾けないようにします。また、なにかをしようとする場合、いわゆる『美談』にして行動の動機をキレイに装飾します。ようは怒りという感情を否定し、強引に鎮めようとし、なかったことにしてしまうのです。

怒りは自分の心の叫びであり、大切な感情の一部であり、要求であり、願いです!
書いていて、なんだか自己啓発みたいになりましたが、怒りというものは行動の動機づけや理由として、十分すぎる感情なのです。自分がどうありたいのか、どの方向に向かいたいのかを教えてくれる、健全な活力の源なんです!


「怒ってはいけません…。あなたの幸福がにげますよ☆」
「怒りというものは…○△♨☆」

といった人たちがいますが、あくまで僕の主張からいいますと、活力を奪ってコントロールしようとしているのかな?って思っています。怒りがこみ上がらないようにして、上手に支配しようとしているのかと思っています。

「俺は、あんなのよりもっとすごい作品を作ってみせる!!」
「あのアイディアは私が考えたものなのに、ひどい!もっと立派なアイディアを発表するから!!」

このように、怒りというものは、より優れた作品を作り上げるための技術や知識を学ぶきっかけになります。そして、アイディアを盗まれ怒りに燃えることによって、より画期的なアイディアを練り上げる動機づけになっていくのです。

怒りは自分の思考を奪う悪魔ではなく、適切に活用すれば自分を導く天使になるのです。むしろ厄介なのが、怠惰や無関心です。これらはデメリット以外の何物でもないのです。
怒りを感じるということは、それに対して興味や関心がある証拠です。怒りは行動そのものではなく、行動の動機づけ、つまり『水先案内人』です!

この続きは、『怒り』を適切に活用する方法やより深い考察を書いております。有料にてご覧いただけますので、どうぞよろしくお願い致します。


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