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本当の瞑想とは?

『ラーダーラサスダーニディ4節の続き』(RRS4_170903)

“ブラフマー、シヴァ、シューカデーヴァ、ナーラダムニ、ビーシュマのような偉大な信者でさえ、主クリシュナに会うのは容易ではない
その至上者クリシュナでさえもいとも簡単に征服してしまう、無限の力を持つシュリーラーディカーの蓮華の御足の埃をいつも思い出す”

前回は、このシュリーラーディカーの蓮華の御足の埃は非常な力を持つ、そしてクリシュナですらもコントロールできると、そしてこの普通のブラフマー、シヴァ、シューカデーヴァ、ナーラダムニ、ビーシュマのような人たちはクリシュナに会うこともできない、そのクリシュナですらもラーダーの蓮華の御足の埃をいつも願っている
私はそのラーダーの蓮華の御足の埃をいつも思い出す、そういうお話だった

ラーダーの蓮華の御足の埃を思い出すとは、ラーダーとクリシュナのアシュタカーリヤリーラーのスマナランを意味しているとアナンタダーサババジマハラージは言っている

アシュタカーリヤスマナランは、1日を約3時間ごとなのだが、24時間を8つのパートに分ける
その時間ごとにラーダーとクリシュナが様々な遊戯をする

朝日が目覚める前に、ラーダーとクリシュナが二クンジャで眠っている
日が昇る4時半近くになると、目覚めなさい、と様々な鳥たちが合図をするが2人は目覚めない、でも起きなければまずいと言うことで猿のディボーティーが大きな声で「起きないとジャティラが怒るよ!」というようなことを言う
ジャティラとはラーダーラーニーが結婚して行った先がジャワットという、そのジャワットというところのアビマンニュという人がいわゆる夫なのだが、その母、つまりラーダーの義理のお母さんに値するのがジャティラ、クティラが義理の姉妹。
ジャティラは様々な形でラーダーとクリシュナが会うのを邪魔をするような役割、いわゆる意地悪お母さんのような役割
ですがそのジャティラがいないとラーダーとクリシュナのリーラーは盛り上がらないので、そのジャティラは非常に良い奉仕をしているといえばしている

そのような形でラーダーとクリシュナが急いで起きて、自分の家のベッドに潜り込む

その後、自分の家で朝の沐浴をして眠気まなこを擦る
そしてラーダーは沐浴の後、ナンディーシュワラ(クリシュナの家)に料理をしに行かなきゃいけない

料理をしに、今度はラーダーラーニーとマンジャリー、サキーがナンディーシュワラに行く

クリシュナは朝ベッドに入り、起きたら子牛のお世話をしたり、ナンダとヤショダに挨拶をしたり、様々な牛飼いの少年たちが来たりなど様々な朝の勤めをする

そしてラーダーラーニーが来て料理を食べた後、牛を放牧しに森に出かける

森に放牧しに出かけたら今度はしばらくすると牛飼いの少年たちは離れて、少し森を散歩すると言ってラーダーラーニーに会いに行く
それがラーダークンダで会って、ラーダークンダでお昼時の様々な遊戯をする
水遊びをしたり…様々な遊びをする

そうしてまた夜になると自分の家に戻って、よるの日常的な家族の営みをして、また2人でクンジャに出かけて、様々な遊戯をする

そのような一連のリーラー、ニッチャリーラーがある

いつも精神界では行われているリーラーがある、それを瞑想する

それをヴリンダーヴァンにいる聖者たちは、1日24時間に近い段階でそのようなリーラーを瞑想して、或いは聞いて唱えて味わっている

ここでラーガヌーガバクティ(自然な愛情からなされるバクティ)のメインな項目、奉仕が、このアシュタカーリヤスマナランと言っている

もし私たちがクリシュナのことを思い出さなかったらどうなるかというと、私たちは自然に俗的なものを思い出すしかない

その俗的なものというのは、死んだような、情欲と怒りが合わさったような、犬や、、、これはジャッカルと書いてあるのだが、そういう心、欲望と怒りに囚われた心によってコントロールされてしまう、そしてその後また輪廻転生という鎖の中で苦しみと喜び、生老病死を経験するということである

このラーダーとクリシュナの甘い遊戯を瞑想する、その大きな手助けとなるのがこの『ラーダーラサスターニディ』や、ルーパゴースワミの『ウトカトカーヴァラリー』、ラグナータダーサゴースワミの『ヴィラークスマンジャリー』であったりする

そのような偉大なアーチャーリャ達が掲示してくれたラーダークリシュナのリーラーを聞いて読んで唱えるということ

どうやってリーラー、スマナランをしたら良いのかというところで、アナンタダーサババジマハラージが歴史的なシュリークリシュナダースババジマハラージの話をしている

クリシュナダースババジは19世紀、1800年代の後半くらいに、ヴリンダーヴァンの特にゴーヴァルダンにいらっしゃった、シッダマハートマ、つまり自己を悟った方と言われている

シッダクリシュナダースババジマハラージはラーダーラーニーのダルシャンもしており、ラーダーラーニーから命令もされる

あなたは私のリーラーを書きなさい、という命令を受けて、シッダクリシュナダースババジマハラージが書いたリーラーの本も何冊かある

このシッダクリシュナダースババジマハラージのもとには多くのディボーティーが集まって、バジャンについて様々なヒントを頂いたり、実際のリアライゼーションのシェアをしていた

あるとき、あるディボーティーが泣きながらやってきた

ババジのことを愛を込めて“ババ”と呼ぶこともあるのだが、そのディボーティーが言った

「ババ、今日は私は瞑想することができませんでした」と言って泣いていた
一体どういうことかと聞くと、
「今日私はシュリーマティーラーダーラーニーの右手の指輪をつけようとしました。そしてラーダーラーニーの指、つま先、爪を見たらあまりにも美しすぎて囚われてしまい、そこから瞑想が何一つ進むことができませんでした」
と言った

通常は瞑想はこのように指輪を入れて、このようにラーダーラーニーを着飾らせて、そしてその後にラーダーラーニーがこのような行動をして、その後にラーダーラーニーに付いていって、このようなセーヴァをするという、一連のセーヴァがあるのだが、その人はラーダーラーニーのあまりの美しさに心が囚われてしまい、何もすることができなかったのだ
いわゆるちゃんとした順番通りの瞑想ができなくなった

それを聞いたババは逆に喜んだ

その瞑想で良い、と言った

つまり瞑想は、機械的に順番通りにするのが瞑想ではないのだ

自発的な愛によって瞑想する、でも兎角、機械的に次はこれ、次はこれ、と機械的にするのが本当の瞑想ではないということ

なので、あなたは今日、本当の瞑想をした、なぜならばラーダーラーニーの指の美しさに惹きつけられて、それに完全に魅了されてしまったからだ

つまり心が完全にアムスマナラ、心が完全にラーダーラーニーに没頭したということ
常に思い出していた、という状況なので

実はこれが私たちの瞑想の完成なのである
どうにかこうにかいつもラーダーラーニーのことを瞑想する、常に覚えている、常に忘れない、それをだんだんと繰り返していくと、瞑想がコンスタントにできるようになる

これの手助けになるのが、実はラーダーとクリシュナのリーラーを聞いて唱えること

聞いて唱えることでだんだんとその情景が思い描けるようになってだんだんとそのリーラーの中に入っていくことができる

そういうふうな瞑想ができるようになった時に、私たちも主の永遠のリーラーに入ることができる
これが最高の完成である

そしてこれは実はブラフマーやシヴァやシューカデーヴァやナーラダムニなどでも、その瞑想はなかなかできないということなので、逆にそれができる方々というのは非常に稀であり、崇拝の対象であるということ

ですからプラボーダナンダサラスワティは、逆に言うと、嘆いているのでる

私は、実はそれを見ることができない、私はラーダーの蓮華の御足の甘露に触れることもできない。いつ私がラーダーの蓮華の御足の埃に触れてそれを思い出すことができるのですか。どうかそれを私にください。

これがプラボーダナンダサラスワティ、シュリパーダの祈りでもある

ラーデーラーデー

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