わたしはバケモノだった⑩

10・インドアシュラムにて


 2022年12月22日から2月10日まで
わたしはインドケララ州にある
sivananda yogaのアシュラムで
勉強をしていました。


 アシュラムはヒンドゥー教のお寺と
ヨガという哲学を学ぶための道場が
合わさったような場所でした。
(ヨガは宗教ではなく、すべての神を同一視しているので、身近なヒンドゥー教でやっている)

 Sivanandaの施設には
アーユルヴェーダのクリニックもあり、
無料で診察を受けられるようになっています。

これは創設者であった
グルデヴ(swami sivananda)が
医者であったため、その想いを繋いでいます。

アシュラムは毎週金曜だけ
フリーデイで外に出られますが、
それ以外は外にはでれません。

アシュラムに行くと、
自分の内面を見つめる時間が
たくさんありました。
そもそもヨガ哲学を学び、
修行してスピリチュアリティを学ぶ場なので、
そうなるのはある意味必然でした。

〈デイリープログラム〉
5:20に全員起床
6:00-7:30 サットサンガ(瞑想、チャンティング、お話)
7:30 ティータイム(チャイ)
8:00アーサナクラス(日本で言うヨガ)
10:00 食事
11:00 カルマヨガ(奉仕のヨガで掃除など与えられた仕事をする)
12:30  アーサナコーチング
13:30  ティータイム(チャイとフルーツ)
14:00    ヨガについての座学
15:30  アーサナクラス
18:00  食事
19:00  お寺でお祈り(希望者)
20:00  サットサンガ(瞑想、チャンティング、お話)

全体のプログラムに加えて、
わたしは毎朝4:30に起きて、
鼻と口のクリヤ(浄化)、全身マッサージ、
太陽礼拝、シャワー浴びて、
お寺で瞑想をしていました。

 朝と夜に1時間半あるサットサンガで
行われる神の歌を歌うキールタンと、
はじまりのための儀式である
ガネーシャプジャーでのチャンティングを
聞いた瞬間にわたしは全身が震えました!


 儀式が終わるまで何時間も
神様の歌であるキールタンを
チャンティングしつつづける姿をみて、
わたしの歌はこれだと確信しました。

わたしが向いているのも、
歌いたかったのも、
祈りの歌なんだ!とわかった瞬間に
涙が込み上げて来ました。

わたしは毎日のサットサンガを楽しみました。

 わたしはもともと歌うのが好きで、
子どもの頃から家の裏の田んぼ畑に行っては
何時間も歌を歌っていました。
喉が強く枯れることはなく、
何時間でも歌っていられました。
でも、日本やアメリカの歌手のようでもなく、
合唱とも違う歌い方で、
わたしはなんで歌ってるんかな?と
思ったことも何度もありました。

しかし、この儀式で
歌を聴いた時にわかったのでした。

10-1 アーユルヴェーダウェルネスクラス

アーユルヴェーダのクラスが始まりました。
アーユルヴェーダの基礎と
アーユルヴェーダのクッキング、
マッサージのアヴィヤンガを学びました。

 自分自身も慣れない場所で
これだけ自分と見つめ合わされて、
毎日何かしら、もやもやとした感情が
でてきてはセルフコーチングをかけたり、
セルフトラウマセッションを
したりしていました。

その度に自分が
どんどんと統合されて
素直になっていきました。

クラスは日本人だけ10人ほどでした。

メンバーの半分はヨギーで、
わたしがこの後受けるTTCを受けている人も
何人もいました。
みんなスピリチュアリティに
触れている人生なのだと思ったら
すごいなと同時に
ちょっとした劣等感もありました。

 アーユルヴェーダのクラス中、
アーサナは夕方の一回だけでしたが、
自分だけまともにできていなくて
恥ずかしく感じていました。

なんでこんなに体が硬いんだろう、
ちゃんとポーズできないんだろう。

実際は何年もやっている人と
初めてやる人なんだから当たり前なのに、
わたしは恥じていました。


数日たつとクラスのみんなと
仲良くなってきました。

話してみると、
心や身体の問題、
どうにかしたいと思っていることを
それぞれ持っていて、
そのために、インドの自然治療を
学びに来たとわかって、安心しました。

 わたしは腕が傷だらけのこともあり、
いろんな人にどうしたのかと聞かれる度に、
自分で傷つけたのだと
自己開示をしていっていき、
みんなと腹を割って
話せるようになっていきました。

 友だちの話を聞いていて、
きっとこのワークやったら
気づきがあるだろうなと思うものは
やり方を伝えさせてもらいました。

みんながこの感情を感じたり、
思考を整理したりすることで
どんなことが起きるのかにも
興味がありましたし、
練習に付き合ってもらうように
やっていました。

12月31日。

仲良くなった友達のユミコと話していると、
彼女は自分のネガティブな感情を
感じないようにして、
他人におびえていました。

しかし、考えてみてもいつから
こういう感じ方をしているのかが
わからないようだったので、
トラウマセッションを
行うことになりました。

トラウマセッションというのは、自分の潜在意識の中に思い込みを作った実際の過去の出来事まで記憶を戻して、もう一度感情を感じ切り、書き直していくというセッションです。

彼女ははじめできるかなと
心配していましたが、
結果、自分と向き合って、
過去の自分を受け入れて、
思い込みの書き換えを行いました!


 このセッションはとても疲れるのですが、
彼女はやり切りました。

わたしはそれを見て、
彼女のがんばりに安心して
一緒に泣きました。

 そのあと、
彼女の男性性と女性性の書き換えと、
今後どうなっていきたいのかを描いて、
それを現実化するための
アファメーションを行いました。

もう、彼女のどうなっていたいかが
出てくる出てくる!!

こんなに出てくるなら
すぐに実現するわと思いました!

日本に帰ってきてから、
実際にアファメーションをしたことが
ニアミスだったけど
起きたのだと教えてもらいました。

うれしかった。

 自分が習ったことで、友達が
自分をほんの少しでも受け入れられる
きっかけができてうれしかったです。

そのうれしさは、
誰かの役に立ったこと、
自分が学んだことが正しかったこと、
持っているものを誰かに渡せたこと
から来るものでした。

その夜は年越しのイベントで、
夜に焚き火を行いました。

その火の周りをキールタンを歌いながら
ぐるぐると踊り、新年のケーキを食べました。 

なんて楽しい夜だったのかと思いながら、
寝ました。



その翌日、
猛烈な吐き気と腹痛に見舞われて起きました。

いやいや、うそでしょと思って
もう一度ベッドで寝ようにも眠れない!

トイレに行って、上から吐いて、
下から出しての繰り返しでぐったり。

 熱も出て、寒気で震えながら
何かを口にしては吐いてを繰り返して、
ドミトリーで寝ていました。

その状態であることを
翻訳の先生に伝えると、
アーユルヴェーダのドクターが
様子を見に来てくれて、
飲み薬を持って来てくれました。

とりあえずどうにか飲んで寝ていました。

ようやく身体が空っぽになり、
症状が落ち着いてくると、
今度は不安な気持ちに飲み込まれ始めました。


「わたしこんなところで、
なにをしてんだろ?
インドまできて、倒れて。
家族に会いたいなぁ。」

しかし、家族を自ら拒否して、
助けはいらないと啖呵きっておいて、
弱みなんて見せられなくて
連絡できませんでした。


1人で寂しいよとつぶやきながら泣きました。

そのあと、友達が
何人も様子を見に来てくれていました。
ありがたい。

(わたしは寝ていて気付かずでしたが)

 
翌日症状も治って復帰すると、
実は体調を起こした人が多くいました。

ドクターは
冬の日本から夏のインドに来たことで
身体ついていかない、そこに、
アーユルヴェーダのマッサージを
練習し合っていたことで、
毒素が一気に出たと言っていましたが、
休みの日に行ったカンニャクマリで
炎天下の中で
何時間も疲労困憊になるまで出かけたこと、
そして、重たい和食をみんなで作って食べて、 暑くても溶けないケーキを
夜中に食べたことも要因としては
大きいかなとわたしは思っています。

しかし、この大浄化のおかげで
わたしは一気に身体が軽くなって
瞑想もしやすくなりました。

 14日間たち、
アーユルヴェーダのクラスを無事に卒業して、
半分のメンバーが日本に帰ってきました。

中でも、仲のよかった友人が
コバラムビーチに泊まる友人と
出ていくことになり、
せっかくなのでとわたしもついていき、
帰りはひとりでタクシーに乗って
帰ることになりました。

 実はこの時、わたしは
英語に対してのコンプレックスを持っていて、
アシュラムの生活の中で
それはかなり募っていました。

もともとおしゃべりで、
伝えたいことがいっぱいあるのに、
話せない!
しかも、相手に気を使わせている瞬間が
何度もあって、ストレス!

 友達のユミコは英語が
そこまで流暢ではないのに、
アシュラムでたくさん友達を作っていたので、
どうしたらいいのかアドバイスを求めると、
日本語なまりでいいから、
ゆっくり落ち着いて話せば
相手も聞いてくれるよと言われました。

日本に帰る友人を見送り、
ビーチからの帰り、勇気を振り絞って
タクシーの運転手さんで実践してみました。

タクシーの運転手のお兄さんはとてもいい人で、わたしはたくさん質問をして会話をしました。

本当にみんないつもチャイを飲むのか?
髪の毛って毎日洗うの?
頭にココナッツいるを塗るのは本当?
みんなアーユルヴェーダの病院に行くの?

 あまりにもわたしが質問するので、
初めは後部座席にいましたが、
助手席に乗りなと言われて、
ゆっくり話させてくれました。

わからなくなってもスマホを使えばいいし、 わからないと相手が
もっと簡単な言葉に変換してくれました。

1時間あっという間に時間が過ぎました。

降りた瞬間うれしすぎて、
思わず叫びました!

やった!できた!

完璧にやらないといけない、
そうじゃないと恥ずかしい、
迷惑かかる、
もっといい発音でないとと
勝手に思い込んでいただけで、
そうじゃなくても伝わるということが
初めて腑に落ちた瞬間でした。

ユミコには感謝です!


10-2 Sivananda yoga
      Teacher Training couse



アーユルヴェーダクラスが終わってから、
7日間ほどで今度は
インストラクターのなるための
Teacher Training Course
通称TTCが始まりました。

TTCがはじまる前日のこと、
サイレントウォークという、
毎週水曜日にサットサンガの代わりに
行われる沈黙のウォーキングに
行ったときのこと。

(サイレントウォークは朝片道30分ほどの
道を呼吸に集中しながら歩き、
湖のほとりでサットサンガを行って、
また、アシュラムの歩いて戻る
というサーダナの一つ)


 わたしの目の前に、
日本で毎朝アファメーションで
思い描いていた男性が目の前に現れたのです!

それに加えて
朝日が当たった彼の姿は
神々しくも感じました。

わたしは思わず、帰りに、
彼に声をかけて話をしました。

彼はオランダ人で、
明日から一緒のクラスを受けることがわかり、
わたしは舞い上がりました!

この人が
わたしの運命のパートナーに違いない!

 彼はTTCのあとに
ヒマラヤでトレッキングをしに行くようで、
良かったら一緒に行かないかと誘われました。

わたしはここでも舞い上がります!
これはもう運命やと。

しかし、帰りの航空券を買っていたわたしは
その誘いを断りました。
「次回来たときに、
いつかヒマラヤに行きたいな」と言って。
心が少しモヤモヤしたのを無視しました。

TTCがスタートしました。

生徒は総勢84人で、10人ほどが
日本人で8割はインド人でした。

 わたしは日本人が来たときに
なぜか嫌な気持ちになりました。

みんなで不安になって、
ずっと日本人同士でいることが
とても無駄なことのように思ったからでした。

アーユルヴェーダクラスや
アシュラムに少し慣れてきたことで、
お前らと一緒にするなと
勝手に自分を先輩のように
思ってほしいという傲慢さがありました。

しかし、わたしは
このときそういった自分がいることに
まだ気が付いていませんでした。

わたしのカルマヨガは食事のサーブで、
日本人はわたしだけで
あとはインド人の子でした。

はじめあまりうまく英語が
話せないわたしは
だれとも会話ができませんでした。

 しかし、このままではダメだ思い、
思い切って、同じカルマヨガのメンバーに
「わたしは英語がみんなと話したい」と
伝えると、
「なんだ、maryも英語でコミュニケーションを取りたいのね!」と
受け入れてくれて、
それからはいつも仲間に
入れてもらえるようになって
みんなと楽しく話せるようになりました。

 メンバーはとてもやさしく、
わたしがいつも、
なんていうかわからなくて悩んでいると、
「とりあえず一回日本語で話してごらん。
そのほうがわかるから」
と言ってくれました。

言葉にとらわれず、
感情をまず伝えていいと
言われてほっとしました。

TTCの授業は座学とアーサナがありました。

座学では
ヨガ哲学、チャンティング、
バガヴァットギータ、解剖学の
クラスがありました。

わたしは解剖学以外の授業でよく泣きました。

よくわからないのですが、
胸が突然熱くなって
涙が止まらなくなるんです!

幸せな心地と帰ってきたような安心感が
あふれ出していました。

これは、朝のサットサンガや
夕方のお祈りの時もありました。

何かが体の中からあふれてきていました。

これが愛やアートマン、
ブラフマンなのだと感じました。

毎日の瞑想はとても心地よくて、
わたしはもう大丈夫なのだと思っていました。
わたしは、もう変わったのだと。

 安心感を覚えたわたしは
みんなの前で踊ったり、歌ったりを
普通にできるようになりました。

よりオープンになったわたしを
誇らしくも思いました。

しかし、そんな時に事件が起きました。

TTCの途中で世界中にある
シヴァナンダヨガの資格ではなく、
インドのみの資格になると
アナウンスがありました。

インドとそれ以外のシヴァナンダヨガで
揉めた結果でした。

 わたしははじめ
あまり気にしていませんでした。

大切なのは
今ここで実際に学んでいることであり、
資格ではないと思っていましたし、
みんなも同じように感じるのが
当たり前だと思っていました。

しかし、日本人以外の生徒たちは
火がついたようにクレームを言って、
抗議のための署名運動や
それ対しての話し合いを
休憩の度にしはじめたのです!

 今までの神聖な雰囲気から一転して、
ザワザワと騒ぎ、疑い、落胆、
憤怒と空気が悪くなっていきました。

 仲のいいカルマヨガのメンバーも
いつもその話をしていて、
はじめは呆れていたのですが、
長引いていくと段々と
不安な気持ちになりました。

その時ずっと頭には
この言葉がながれてきていました。

『あーまただ。突然、
どうしようもない大きなことが起きて、
みんな本質を見ないで混乱している。
誰もわたしと同じように
見ている人はいない。
わたしはひとりぼっちなのだ。』

あーまただあーまただと、
何度も何度も頭の中でループされ、
混乱して、感情を感じて、
トラウマセッションをやっても、
完全に不安が拭えずにいました。

そんな中、仲のいいスタッフのメンバーに
その話をすると、ピシャリと、
『考えない、自分に集中する!』
と言われました。

確かにそうなんだけど、
その時は受け入れてもらえなかったのが、
悲しすぎて、1人で泣きました。

数日後、希望者にだけ行われる
マントライニシエーションという、
自分のマントラを授けてもらう
儀式に参加しました。

その儀式の後に、
わたしの中で、
今までためた不安が
一気に吹き出しました。

突然、わたしの中が
ぐちゃぐちゃになっていったのです。

何もしたくない、何も覚えたくない。

すべてがいやで、いやで
自分ではどうしようもなくなりました。

 わたしは翻訳をしてくれている
先生のところにいって、素直に話しました。

先生はいくつかの解決策を
提案してくれましたが、それはすでに
わたしが試したことばかりであることを
伝えました。

すると、
先生が
「スピリチュアルネームをもらう予定?
それなら、その名前をもらったときに、
今までのmaryを手放して、
新たな自分になればいい。
これだけのことを
今までやってきたんだから、いいと思うよ。」

と言いました。

わたしはそれを聞いたときに、
パッと目がさえる心地がしました。

こんなにやった、
こんなにがんばったということに酔いしれ、
同時にそうでないと認められない
という自分がいて、
いつも葛藤していたわたし。

 わたしはそれをすべて
手放してもいいのかもしれないと思いました。 

受け入れていくことは確かに大切だし、
そのプロセスは必要です。
しかし、
それをずっと持っておく必要はなく、
手放してよかったんです。

ほっとしながらも、
その日は自分と向き合うために
授業もカルマヨガをすべて休み、
自分と話し合いました。

感情ワーク、トラウマセッション、
瞑想、マインドマップといろいろしましたが、わたしはただ泣きたかっただけでした。

言葉にすることは大切なんですが、
ただ感情をネガティブも
ポジティブも感じるだけの時が必要でした。

自分のその時の感情のまま泣いて、
たくさんだれに言いたいのか
わからない言葉を泣きながら
言うを繰り返しました。

どうしようもない気持ちになって、
わたしはコーチング同期のキエちゃんに
話を聞いてもらいたくて電話しました。

彼女と話せること自体がうれしくなりました。
 
こんなぐちゃぐちゃでも
わたしを受け入れてくれる人が
居ることにほっとしていました。

しかし、そこでもわたしは
彼女にマウントをとり、
彼女よりも優れているわたしで
ありたいと思って上から話していましたが。

わたしは翌日には落ち着き、
授業に出始めました。

カルマヨガの友達に心配されて
訳を話すと、多くの人が感情的になり、
今までにない思いをしていることを
知りました。

みんな同じようにヨガの哲学を学び、
実践している中で、
浄化されて、内観していたんです。

自分一人ではなく、
皆同じ仲間だったのだと
いうことにようやく気がつきました。

わたしだけが大変ではなく、
みんな同じ船に乗っていたんです。


 これはもちろん日本人の
メンバーにも言えました。

わたしの中で、
ヨガを長くやっているという人に対して
勝手に対抗心を燃やしていて、
ちょっとでも思った通りじゃないと
ほら、ダメだなと
揚げ足を取るような感覚をもっていました。

さぞかし精神性も高くて、
素晴らしい人格なんでしょうね?
という嫌味なわたしがいました。

しかし、これは劣等感と
うらやましさからくる嫉妬だったのです。
見苦しい!と思いました。

 マントライニシエーションのあと、
わたしの気持ちが少し軽くなっていて、
みんなと素直に話せるように
なってきたところで、
自分の自己開示をして、
みんなの悩みやなんで
ヨガを始めたのかを聞くようになりました。

みんなそれぞれのバックグラウンドや
悩みからヨガを初めていました。

ここにまさに修行しに来たわたしたちは
みな同じだと
やっと感じられるようになったわたしは
ようやく、
日本人のみんなと仲良くなっていきました。

マントラやスピリチュアネームを
もらう時に、自分が好きな神さまを
決めておくといいよと
言われていたのですが、
TTCの中では、
キールタンやギータの中で
名前は聞くものの、
ヒンドゥー教の神様の説明は
特にありませんでした。

いつもサットサンガやアーサナをやる
大きなホールには神さまの肖像画が
飾ってあり、名前だけは知っているものの
どうしたらいいのだろうかと悩んでいると、
ドミトリーでわたしの向かいのベッドに、
日本人のアリサが引っ越してきました。

彼女はインド入りしたときに
体調を崩していて
それに合わせてベッドの場所を
何度か変えていたのでした。

 はじめは日本人嫌だなと
思っていたのですが、
彼女はキールタンが好きで、
グルデヴ(創設者スワミ・シヴァナンダのこと)や
インドの神様が好きで
たくさんの知識を持っていました。

神さまについてどんな人か聞くと
彼女が知っている内容や神さまの話を
丁寧に教えてくれました。

神さまの話以外にも、
グルデヴのことや
授業で出た哲学的の話についても
二人で話し合うことができたことは
わたしにとって
とても有意義で楽しかったのでした。

もう一人、
グルデヴが好きな日本人のハナがいて
彼女がアシュラムの図書館で
グルデヴの本を借りたというのを聞いて
わたしも同じ本を
TTCの期間中に読み始めました。

哲学やギータの授業と
本はリンクしていて
授業で習ったら
その内容をもっと細かく本で学べました。
逆もありました。

哲学がどんどん自分の中で
深まるのをかんじました。

わたしはこの本を読んで
グルデヴの人柄、行動力、
謙虚さ、愛に感動しました!

会いたいと強く思うようになりました。
 
この本に書かれていた
シヴァナンダヨガアシュラムの
始まりの場所である
リシケシのDevine Life Societyに
行きたいなと強く思いました。

この本を教えてくれた彼女とも
わたしはよく話すようになりました。

グルデヴやヨガ、自分についての
内観の話をするのが心地よかったです。

わたしは彼女に
あこがれと嫉妬心も持っていました。

若くて、結婚していて、
このタイミングでインドにきていて、
アーサナがうまくて、
人に愛される穏やかな雰囲気、ピュアさ、
英語力、彼女がキラキラして見えました。



わたしたちは、授業中に
翻訳の先生の声が聞こえるように、
音声が流れてくるBOXに
イヤホンをつなげていました。


ある日の授業中に、日本人スタッフが
本来生徒が座るべき席になぜか座り、
今回の受講生のイヤホンを
授業中にずらさせるいうことが起きました。


本来、わたしがイヤホンを
抜けばいい場所にいたのですが、
スタッフが生徒の邪魔をするのは
あり得ないとおもっていたので、
スタッフのことをわたしが無視をすると、
本の彼女ともう一人の生徒が
スタッフのために
イヤホンの場所を変え始めました。

わたしはここ出来事に対して、
イライラとしました。

スタッフにもそうだし、
イヤホンを一度抜いて
場所を変えた二人にもです!

お前がはるばるインドまで
お金払って受けている授業を
途中で勝手に入ってきた
無神経なこいつに明け渡すなや!
と思ったのです。

(自分のことを自分で守れやあほが!』
ってなったのです。

二人にはわたしが
腹をたてていることは
わかるくらいにハァって顔しちゃいました。

なぜこんなにも腹が立っているのか、
自分の中を探ってみると、
これはいつも、母と妹といるときに
わたしがやる癖を
投影したものだとわかったのです!

自分がどうしたいかよりも
相手を優先して、
譲る、悪くもないのに謝る
のは
わたしに取っていつもの事でしたが、
その行為はわたしを苦しめました。


今回の彼女の行動を基に
トラウマセッションをして
自分の中で受け入れた後に、
彼女に正直に
なぜ怒ってしまったのか話しました。

すると、キラキラだと思っていた
彼女の中にも過去に起きた出来事から
思い込みがあることを知りました。

その時にわたしはコーチングや
カウンセリングでさんざん、
どんな人にも悩みはあると学んだのに
何をしているのかと自分を責めました。

自分と比較して、彼女を
うらやましがっていたわたしを恥じました。

わたしには
自分と比較する癖や
相手を見た目で判断する癖があることを
忘れていたことを思いださされました。

わたしがオープンマインドで行かない限り、
こういったことはずっと続きます。

わたしはその自分を
癒す必要がありましたが、
その時はまだそれを
どうすることもできませんでした。

最後のアーサナの授業のとき、
希望者にスピリチュアルネームが
与えられます。

わたしは前日に
ちょうど本を読んでいました。


その本の中でグルデヴが亡くなる
前の日に会った女性信者に言った言葉を
読んだ瞬間に震えました。

『忘れてはいけないよ。
お前は女神であることを、
クッティ(彼女の名前)ではないんだよ。』

まさに、今のわたしに
もらった言葉のようでした。

『忘れてはいけないよ。
お前は女神であることを、
maryではないんだよ。』

この世に存在するすべてが
神と呼ばれるものでできている
という考え方がこの頃のわたしは
しっくりきていました。

隣のベッドのアリサにわたしは
女神の名前が欲しいと話していました。

心の中では
必ず、女神の名前をもらうことになる
とも思っていました。

先生が1人ずつ名前を読んでいく中、
わたしの番が回って来ました。

わたしのスピリチュアルネームは
パールバティでした。
女神の名前です。

偉大なる母。
シヴァ神の最愛の妻。
始まりの神ガネーシャの母。

わたしはmaryではなく、
女神になりました。


10-3 運命がやって来た

TTCが終了して、多くの人が
アシュラムを去っていく中、
何人かはアシュラムでスタッフになり、
何人かはヨガヴァケーションで残りました。

わたしは2月10日に日本に帰るつもりでした。

しかし、たまたまアシュラムに
滞在していた日本人女性に、
いつかヒマラヤに行きたい。

運命だと思っている彼が気になってるけど、
今回は諦めるなどと
弱気なことを言っていたら、

『今ここで言わないでどうするの?
今すぐに言ってきなさい!』と
喝を入れられました。

そこで、目が覚めました。

13年務めていた会社を辞めて、
時間はたっぷりある、
退職上乗せ金でお金はたくさんある、
旦那も子どものペットもいない、介護もない。
何を悩んでいたんだわたし!!と!

 すぐに、彼のところに行きました。

『わたしも一緒に
あなたとリシケシに行きたい!』と
勇気をもって伝えると、
快く返事をしてもらえました。
やったーと浮かれました!
やればできるじゃん!
思い通りになるんや!

電車で行くか、飛行機で行くか、
2人でとか嬉しいーと思って
時間やお金を調べていたら、
彼が突然、やっぱりいかないと
言い始めました。

「ぼくはヨガティーチャーの勉強が
楽しくなったから、
もっと深く学ぶために
ここにいるから一緒にいけない。」と・・・。


OKと言いながら、
心中では悲鳴が上がったが、
彼と一緒にいることよりも
グルデヴを感じることができる
リシケシに行くのが
わたしの中では優先順位が上だった。

わたしの運命の彼は、
わたしをリシケシに導く使者だったのだと
無理やり納得させた。笑。

 この時のわたしはTTCで残った
インド人のメンバーと一緒に海にいったり、
カフェでお茶したりと
今まで以上に仲良くなっていたので、
そのことを友達に話すと、
リシケシやヴァラナシによく行くヴィプルが
わたしの旅のプランを
練ってくれることになった。

「maryが一人で行くのなら、
先にリシケシに行って、
ドミトリーで友達を作ってから、
ヴァラナシに行くのが安全だから
そうしたほうがいい。」

 そういって、ヴィプルは
リシケシとヴァラナシのホテルや
アシュラム、ごはん屋さん、
リクシャはいくらかかるかなどを
細かく教えてくれて、
わたしのグーグルマップに登録してくれた。

そのあと、みんながインドのSIMまで
一緒に買いに行ってくれることに!!

感謝しかなかった。

インドのSIMは1カ月500円と破格なのだ。


数日前までは帰るつもりで
友達とお土産を買ってスーツケースに
入れていたが、
リシケシに1人で行くのに
スーツケースは邪魔だし、
この際すべて手放そうと決めて、
バックパックに必要なものを詰め込んで、
お土産のお菓子、サプリ、洋服を
すべて人にあげることにしました。

するととても身体が軽くなった。

そうだ、それならと
坊主にすることにしました。

実はわたしはアシュラムにきてから、
どうしても坊主にしたかった。

しかし、彼といくのならば、
あの髪ではどうかしらと思って
悩んでいたので
彼がいない今ちょうどいい。

坊主にしている西洋人の女の子と、
アシュラムで知り合った日本人の友達に
手伝ってもらって、
今日アシュラムを出るという日に
意を決して髪の毛を坊主にした。

 そのあとはその日本人の友達と一緒に
買い物をした後にホテルを共有したり、
ホテルで仲良くなったインド人の家族が
車で空港まで送ってくれたり、
TTCの友達の家で朝食を食べたりと
過ごし、リシケシにバスで7時間揺られて、
友達におすすめされたホテルへ向かった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?