わたしはバケモノだった エピローグ


2024年になって、
わたしは37歳になりました。

わたしはバケモノではなくなりました。

自分を含めた大切なものすべてを
ぶっ壊さずにいられるし、
そんなことそもそもしていなかったと
わかるようになりました。

今は実家で両親とゆっくり過ごしながら、
キールタンやカレーのWSをして、
毎日、物語を描く日々です。

自分が自覚している
自傷癖のスタートが13歳から
かれこれ24年経ちました。

いまだに
指のささくれをむしりすぎたり、
多少食べ過ぎてしまったりはあります。

過食嘔吐や限界を超えても食べ続ける
と言うことは無くなりました。

前のように、
自分を責めて制御が効かなくて
必死で隠してと言うものではなく、
なんか違和感がある時の
サインのようなものだと思っています。

自分で認識できない不安とかを
気づかせてくれるので
むしろありがたい存在になりました。

自分のことをずっと
おかしくてダメなやつで、
普通のことができない社会不適合者
だと思ってきましたが、
すべて自分が望んでやっていたのだと
今は思っています。

少し前に妹と話をしていたら、
『maryは昔から変人に憧れていたから
そのまま変人になっちゃったんだよ。』
と言われました。

人と同じことが嫌で、
天才はみんな変人であると
思っていた子ども時代。

エジソンもピカソも、岡本太郎も
ダヴィンチもみんな風変わりな変人。

わたしの母方の祖父は
少し変わり者で、面白い人で
母はいつも、
あの人はアスペルガーだと言っていました。

いとこの兄ちゃんはADHDだしたが、
いとこの知識力と興味の幅。
なんか普通とは違うコミュ障具合。

なんかかっこいい!天才っぽい!と
思ったのを覚えています。

わたしはちゃんと目標を定めて、
"普通"と言う規格には到底入らない
人になりたくて
なっていたんだとハッとしました。

そうでもないと、
自分の思う通りに生きれないとも
思いこんでいたのです。

しかし、そんなことをせずとも
よかったんです!

わたしのいちばんの思い込みは
『わたしは誰にも愛されていない』
というものでした。

これが根底にあるので、
人と違う人間になりたかったわたしは
そのせいで誰にも愛されていないと
より、思い込みをこじらせていきました。

しかし、
今まで13話投稿してきている中で
両親や妹、親族や恩師、親友たちが
わたしのことを愛してない時も
受け入れていない時もありませんでした。

『どう表現したらいいかわからない
どう受け入れたらいいかわからない』
という戸惑いがあるくらいでした。

お互いに素直に、
『好き、愛している、大事、信じている』
と伝えずに自己流の方法で
伝えてきた結果、
壮大にすれちがって
こじれてしまっただけでした。

書きながら、
何やってんだよ、わたし!とも思いつつ、
そんなわたしのことを何やかんや言いながら
受け止めてくれていた人たちがいたことに
感謝しかありませんでした。

これに気がついた今でも、
後悔はありません。

わたしはきっと自分で自分を追い詰めて、
混乱して、苦しんでからしか
今みたいに家族に感謝できていなかったし、
今があることが幸せだと感じることは
できなかったと思っているからです。

今まで出会ったすべての人と、
おきたすべての出来事に感謝します。

それをやり切って今もここにいる
わたしのことをわたしは
やっと好きでいられることに感謝します。

ありがとうございました。

〈終わり〉









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