わたしはバケモノだった⑫

12・パンチャカルマとこじらせ


12-1 TTCの友達の家で寝込む

リシケシから、飛行機と列車で移動して、
コチにある友人の家に向かった。

TTCの時のカルマヨガが同じで
仲良くしてくれていたシュルティ。

情熱的で、明るく、いつもわたしが
話すのを待ってくれて、
遊びにも誘ってくれる子でした。

遊びにおいでと快く言ってもらえたので
アシュラムに帰る前に
5日ほど滞在させてもらうことに。

友達は旦那さんと
やんちゃ盛りの娘の3人暮らしをしていて
わたしが泊りに来るので、
旦那さんバイクで15分くらいの
実家に帰ってくれていた。

はじめのうちは体調も大丈夫かと思ったけれど、
重い食べ物を胃が受け付けず、
気が抜けたのか疲れもどっと、でてしまい、
ようやくシュルティにリシケシから
体調が悪いことを白状する。

「今すぐ寝て。病院に行くなら、明日いってもいいし。
 ところで、ちゃんと手を洗った?水道の水飲んでいないよね?
 マスクはしていた?
汚いんだから、それは絶対にしないと体調も悪くなるよ!」
と、シュルティはわたしを叱って、そのままベッドに寝かせてくれた。

そのあと、旦那さんが帰ってきて、
消化不良だろうからジンジャーティーを
飲んだらいいよと言われて飲んで寝ると、
翌日は体調がだいぶ良くなり、病院には行かなかった。
しかし、元気いっぱいなわけではなく、
わたしはほぼ寝たきりで2日間過ごすことになった。

その間、実はわたしは申し訳なくて、
掃除をしたり、洗濯をしようとしたが、
友達から休んでいるように叱られました。
そして、夫婦でわたしに優しく言うのです。
「気にしないでいいの。
あなたは自分の身体のことだけを考えて。
あなたが良くなることが一番大切なんだから。」

そう言ってもらってとても嬉しくて安心しました。
わたしはようやくその言葉を受け入れて
ただベッドで眠り続けました。

インドは迷惑かけて当たり前、
だからみんなに優しくしなさいと教えられると言う言葉と、自分が楽しかったらみんなも楽しくなるのだという言葉が頭の中に流れてきて、
ほんとだなぁと幸せな心地になりました。

そのあと、わたしは元気になって、 
彼女の家にTTCの同期がきて、歌を歌って、
ケーキを食べて、遊んで。
とても楽しい時間だった。

友達に何かお礼がしたくて、
アクセスバーズさせてもらった。
その夜に、友達はひとりで泣いていた。
こんなこといつもはないのに、
なんでこんな気持ちになるんだろう。
彼女は自分の愛が重くて、
いつもそれで苦しくなると話していた。

ただ彼女の背中をさすりながら、
彼女が泣いているのを見守っていた。

TTCの哲学のクラスで聞いた話。

愛はときより、執着になり、
その執着はわたしたちを恐怖させる。

相手を愛しすぎるから、離れるとき耐えられない。
相手を愛しすぎているから、違うことに耐えられない。

まさにそれなのだと思いながら聞いていた。

別の日、旦那さんの家族に紹介され、
旦那さんの実家でごはんを食べさせてもらった。

わたしが帰る日、
旦那さんに駅まで送ってもらい、
電車が来るまで一緒に待ってもらった。

その時にわたしがSIMの更新をするために
携帯ショップに行く話をすると、
旦那さんがオンラインで払ってくれることに。
はじめは断ったが
君はもう家族なんだからいいんだよと
言われて、感謝した。

12-2 散々だった誕生日

アシュラムについて、2週間のパンチャカルマが始まった。
友達の家で、回復した体は健康そのものでしたが、
デトックスが始まりました。

【わたしのパンチャカルマのルーティン】
04:30  起床 鼻と口のクリヤを行う
     軽くマッサージを自分でして、太陽礼拝
05:00  お寺で瞑想する
06:00  トリートメント(アヴィヤンガにプラスいろいろ)
07:40  煎じ薬飲む
10:00  食事 
11:00  バガヴァッドギータを読む
     本よんで、キールタンして、瞑想する
13:30  ティータイム (食べれるフルーツ食べる)
15:30  煎じ薬飲む
17:30  食事
18:00  診察
     夜の寺でのお祈り
夜のサットサンガに出たり、出なかったり。

毎日のオイルマッサージ、サトヴィックな食事。
ひたすらにTTCで習った哲学の勉強を繰り返し、
30分以上のお寺でのキールタンをして
どんどん頭がクリアになっていきました。

毎日、していた瞑想では
いつも地球と宇宙に意識を行ったり来たりしていたが、
ある日、地球が消えて自分はいつも宙を舞っていました。


パンチャカルマ中は安静にするためと冷たいシャワーを浴びては
いけないのでその設備が整ったドミトリーが他とは別に用意されていた。
しかし、同じタイミングでアーユルヴェーダのマッサージクラスが始まっていてその生徒たちもなぜかそのドミトリーに泊まっていた。

パンチャカルマを受けている最中に
わたしの誕生日がやってきました。

誕生日当日の朝、家族からおめでとうとメールが届きました。
しかし、わたしはなんで電話してこないんだろうと不服でした。
それに、コーチングのメンバーにも
気づいてもらえずに勝手に悲しくなっていました。
わたしのことなんか、誰も祝ってくれないと思いました。

この日はホーリーという踊るシヴァ神のお祭りの日でした!
カラフルな粉を身体に塗り付けて、
音楽に合わせて踊りまくります。
それはとても楽しそうで、異国感があり素敵でした。

わたしは前から興味があったのですが、
参加しませんでした。
添加物などを気にしている日本人の子から
「あんな何が入っているかわからない粉。危なくてやってられない」
と言われて、つい、かっこつけて同調してしまったからでした。
また、もやもやとしました。

アシュラムでは夜のサットサンガで、
誕生日の人を祝ってプレゼントがもらえます。

わたしは誕生日プレゼントをもらうことにドキドキして、
ずっと前から、何回も頭の中でシュミレーションをしていました。

夜のサットサンガの時間がきました!
緊張とワクワクで待っていましたが、
その日はTTC用の勉強の日で長引いていて、
わたしはだんだんと眠くなってきたのと、
長引いていることにいら立ってきてしまって
プレゼントをもらう前に部屋に戻ってしまいました。

もやもやした気持ちで眠れずにいると、
遠くからハッピーバースデーの大合唱が聞こえてきました。
ちゃんと待っていればお祝いしてもらえたのに!
でも、それも嫌でした。
自分がどうしたいかわからずに
もやもやは大きくなって寝付けませんでした。

ベッドで眠れずにいたら、
マッサージのクラスを受けに来ているインド人の子が
ドミトリーの中でテレビ電話をしていました。

ドミトリーの中は電話禁止でした。
もやもやもしているし、電話うるさいし、
わたしは誰とも話せないのに電話していることも
むかついて、彼女に注意しに行きました。
あと、3分と言われましたが、
なおさら、外で電話してほしいと伝えて
彼女は外に電話をしに行きました。

数分後、彼女は泣き始め、わたしのベッドまできて、
泣いて怒り始めました。
「ようやく家族と電話できたのに、今日はわたしの特別な日。誕生日でようやく、お父さんと電話ができたのに!あなたはそれなのに出て行けとわたしに言った!」
わたしは驚いて返しました。
「あなたの特別な日だと知らなかったの。それについてはごめんなさい。でも、ドミトリーでは電話は禁止よ。」
「知っているわ!外で電話していたけど、蚊がひどいから中に入ってきて、
あと数分って言ったのにあなたはそれを!!」
彼女がもう一度声を張り上げたところで、
同じようにパンチャカルマを受けていたフランス人のマダムがきて怒り始めました。
「ドミトリーで、大きな声を出さない!それのあなたいつも電話して、動画見ているでしょ!いい加減にして、ここはパンチャカルマの場所なの!」
わたしは「すべてわたしが悪かった、ごめんなさい」と言ってマダムをなだめてから、ドミトリーの外に出ました。

わたしはマダムが怒り始めた途端に怖くなっていました。
わたしがインド人の子に注意したから、こんなにみんなを巻き込んで混乱が起きてしまったんだと思いました。

やっと、一人になれる場所を見つけて、わたしは泣き始めました。

なんで、わたしばっかりいつもこうなるの?
わたしだって、今日は特別な日だよ!
お前がだけが特別だと思うばーか!
ルールやぶっていんじゃね!
ふざけんなよ、ばか!

怖いし、悲しいし、よくわからないしでぐちゃぐちゃでした。
せっかく、ここまできて、何やっているんだろうと思っていました。

その翌日、もやもやが止まらずにコーチのマリコさんに連絡をすると、特別な日なのに、っていうのになんかありそうだねと言われて、話してみました。
すると、わたしは自分のエゴに気が付きました。

わたしの特別な日なんだから、みんなわたしを優先して!
わたしをみて!今日のわたしは特別なんだからね。

それに気が付いて、寂しいという感情を感じ切って初めて、
ドミトリーの彼女はきれいな鏡として、
わたしの心を見せてくれていたのだとわかりました。

誕生日が同じで、家族に電話したのにしなかったわたし。

でも本当は、

ルールなんて免除、だって特別な日だから。
家族もみんなもわたしのことを
祝ってくれてハッピーよん♪

となりたかったんだ!

わたしはそんなわたしを今まで認められませんでした。
そんなこと主張したら、自己中心的だと言われるし、
周りに迷惑かかるし、結果、見捨てられると思っていました。

その恐怖と寂しさを感じ切った後に、
わたしはその「調子にのりまくりのわたし」を受け入れました。
どんなわたしでも無条件に愛されているとようやく統合できました。

わたしはすぐに行動に移すべく、すぐに母に電話をしました。
なんで電話くれなかったのか聞いたら、
インドの時差とかわからないし、
わたしがどんなプログラムで過ごしているかもわからないから
いつ電話していいのかわからなくてと言われました。

ほら、やっぱり!
わたしが嫌いとか、面倒とかなんかじゃなかった!

そんな理由であったことに安心して、母とゆっくり話せました。

その夜、フランス人マダムに迷惑をかけたと思ってわたしがよそよそしくしていると、マダムから声をかけてくれました。
「昨日は大丈夫だった?あんなの気にしなくていいのよ。あの子いつもあんななんだからね。」
わたしがあの後、悲しくて泣いたということを伝えると、マダムは少し嬉しそうにして、「日本人は自分の感情を出さないんだものね。」と言い思わず笑ってしまいました。

12-3 友達とためし行為

アシュラムに帰ってきたら、日本人が何人か来て自然と仲良くなりました。
その中でよく一緒にいたのがアキちゃんでした。
アキちゃんはわたしと同じで、修行をしたくてアシュラムに1か月滞在しに来ていました。
お互いに修行体質で、話していると、アキちゃんもアシュラムが少し、緩いと感じているようでした。
実はTTCのときに、先生からも、このアシュラムはヨガの幼稚園のような場所で、みんなに優しく開かれている場所だと聞かされていました。そういうことを意図して作っているからこれでいいと言っていたことをアキちゃんに伝えました。
そのあとに、もしかして、アキちゃんならわたしがやっていること一緒に出来るのではないかと思って思い切って誘ってみると、やりたいと言ってくれたので朝から一緒のルーティンをすることにしました。
自分がTTCで勉強したこと、グルデヴの本やスワミ サッチダナンダで学んだことを伝えることで自分もまた学びになり、より、知識が濃くなっていきました。
いままでの自分のルーティンに、コーチング、シヴァナンダヨガが加わってわたしは将来こういったことをしたいなと漠然と思いました。

アキちゃんはよくわからない、どうしよう、できないと言っていたので
わたしが知っている範囲のことは伝えていました。

しかし、ある日、アキちゃんは口で言っているだけで、意外となんでもできることに気が付きました。

一人で出かけるのが大変だ、不安だと言っていたので、パンチャカルマのドクターに聞いて外出許可をもらって、一緒に出掛けようと思っていたら、他の日本人の人に一緒に行ってもらうことになったと言われました。

こういったことが何度か続くうちに
わたしはアキちゃんに対してイライラが抑えられなくなっていきました。

「もう、一緒に朝から行動したくない。」とわたしはアキちゃんにはっきりと告げてわたしは彼女といるのをやめました。
しかし、もやもやはもっと大きくなっていき、
とうとう観念して、感情を感じることにしました。

わたしはこんなにあなたが好きなのに、
あなたがわたしのことを好きじゃないなんていやだ!
だったら、あなたに捨てられる前に、
わたしから嫌って捨ててやる!

と、怒りきった瞬間に、寂しさがあふれてきました。
大好きな人に見捨てられると思ったら怖くて、寂しくてたまらない。

でも、これって本当のことかと
自分に問うてみると、そうではありませんでした。
わたしは相手に確認していないのです。
勝手に、同じ行動をしながら、
嫌われたと思い込んでいるだけなのだと気が付きました。

わたしは怖さと寂しさの感情を感じ切って、
思い込みを書き換えて、行動に移すことにしました。

サイレントウォークの帰りに、
アキちゃんに謝りました。
そして、わたしがなんであんなことを言ったのかを
説明しました。

わたしが自分は人から愛されないと思っていたから、
勝手に寂しくなってもう一緒にいたくないって言ってしまったこと。
この人間関係を昔から繰り返してしまったこと。
なによりも、言わないといけなかったことも伝えました。
「アキちゃんが大好きでもっと一緒に過ごしたい」と素直に。
はずかしいし、理解されないかもしれないけど、
自分が考えうるすべてを伝えました。

アキちゃんはすべて聞いてくれて、
彼女も同じような人間関係に悩んでいることを話してくれました。

わたしたちはお互いに、そこから素直に話せるようになり、また行動を共にするようになりました。

その数日後に瞑想をしていた時に、
わたしが今回したこじらせが、
家族に対してのものだったと気が付きました!

わたしが家族が大好き。
でも、家族は条件付きでわたしを見てる。
それができないわたしがいらないらしい。
わたしは寂しくてたまらない!
さみしさを感じたくなくて、
家族が悪いと決めつける。
わたしは被害者面して
距離を取るようになって、疎遠になる。
より、関係が悪化する。


こじらせ倒してるやんけーーー!!
わたしの人間関係のこじらせベースここにありけり!

わたしは家族と話し合うことなく、
嫌われていると思って避けていたのです。
カウンセリング2年やって、
コーチング6か月やって、
インド3か月いてやっとここ!!

わたしは感情を改めて感じ切って、
「わたしは無条件に価値がある、愛されている」と
思い込みを包み込んで昇華しました。

それが終わって、すぐに母にテレビ電話をしました。
そこで、やっとわたしがこじらせていたことに気が付いたこと、
わたしは家族が大好きだったということを伝えました。
ちょうど、家に父もいたので、ふたりに大好きだと伝えると、
ふたりは照れていましたが、受け入れてくれました。

わたし、めちゃくちゃ愛されていたんです!

シュルティとアキちゃんのおかげで、
素直に自分の気持ちを両親に伝えることができました。
すべてがつながっていたのです。

わたしはチハルさんのコーチングが終わったときのような、
とてつもない安心感に包まれて泣きました。

自傷を始めたその日から、
もしくはその前から、
ずっと思っていた。

自分は愛されていない。
わたしなんか、いないほうがいい。
わたしがいると迷惑だ。
褒められていない。
がんばらないといけない。
無条件では価値がない。

これらがただの思い込みだったとはっきりと自覚できました。
ずっとわたしは家族から
親戚から、友達から、先生から、世界から
ちゃんと愛されてきていました。
今も、ずっと。

インドでの旅の中で、ようやく早く家に帰りたい、
家族に会いたいと思いました。
それまではインドから帰りたくないとずっと思っていたのにです!

わたしは幸せな心地で4月に実家に帰ることを決めました。






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