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わたしはバケモノだった③

3・性的行為への依存


わたしは大学時代に2年間アルバイトしていた百貨店に正社員として入社をしました。入った当時はバイヤーになっていろんな海外の商品を買い集めるんだと思ってキラキラとしていました。販売の経験が2年間あったこともあり、販売にまつわることは大体わかっていたので先輩にもあまり聞く必要のないと思っていましたし、アルバイトしていた時の売り場は花形の売り場だったので、今回、配属された部署をなめていた部分もありました。わたしのほうがセンスがいいし、先に言われずともできると思い込んでいたのです。

自分はすばらしいと思わないとやっていけませんでした。

しかし、そう思うわたしは実際はよく上司や先輩に注意を受けていました。正社員なのに、上司の言ったとおりに行動できず、空気や間を読めない、字が汚い、たくさんの商品を売れないし、顧客もなかなかできない。わたしはなんで周りの動機や先輩たちのようにうまくできないんだろうかと思いました。それでも、接客や顧客ができないのはわたしだけが原因じゃないとも思っていました。
だんだんと職場に慣れてきたころに、当時のマネージャーが何かを言ってきたことに対して気に入らずに、わたしは子どものような生意気な態度で返答をしました。すると、マネージャーが怒り始めて、「なんだお前、その態度は?!もうお前は仕事しなくていい、何もしなくていいから帰れ。」と言われました。わたしは慌ててマネージャーに対して泣いて、縋りつきました。「申し訳ありませんでした。どうか、やらせてください。働かせてください。申し訳ありませんでした。」「いや、もうお前にはやらせない、帰れ。」と応酬して、そのままマネージャーはその場からいなくなりました。そのまま、泣きじゃくって一度トイレに行って顔を洗いました。その翌日、普段話したことのない、隣のエリアのサブマネージャーがやってきました。あった瞬間い、「昨日泣いてたって本当?わー、泣いたんだ。女だからって泣かないほうがいいよ。」と言って、わたしのことを笑いました。わたしは自分のことが恥ずかしくなり、それからはマネージャーとなるべく話さないようにしました。わたしのような、すぐ調子に乗ってダメなことをするような人間が一緒に働いていてはよくないと思っていましたし、何より、また叱られると思うと怖かったです。

その次の年、わたしはその泣いたことを笑いに来たサブマネージャーの部下になりました。わたしのその人と相性が良くなく、いつも叱られていました。
「正社員なのにこんなこともできないの?正社員ならこれができて当たり前。女なのにこれができないの?あなたはこの仕事があっていないので、異動届を出したほうがいい。こんなことしているから私生活もダメなんだよ。」
そういわれてはサブマネージャーの前では、へらへらと笑っていました。自分のダメさと上司への怒りでいっぱいでした。

また、わたしの移動先のマネージャーは教育熱心で、よく教えてくれる方でした。朝礼などの発表の時にどう話すのかなど、いつもレクチャーされていました。そのレクチャー通りにできないときや、質問をされたときに、マネージャーが欲しい答えを返せないと「お前はダメだ」と言われていました。はじめのうちはなんだこの人はと思っていましたが、だんだんとわたしがおかしいのではないかと思うようになっていきました。
周りはみんなそのマネージャーの言いたいことを察し、その通りに答えて、その言われた通りのことをしているのです!
わたしはこれ以上自分がみんなより劣らないように、上司や先輩が何を言いたいのかを注意深く観察するようになっていきました。質問されたときに、相手が望んでいることを言うようになっていきました。

そうしているうちに、毎日、仕事中に蕁麻疹が出て、ずっと微熱が出るようになっていました。休憩中はカロリーメイトやビスコを一つ食べて、あとは保健室で寝ていました。わたしがダメだからこんなことになっている。もっと頑張らないといけないと必死でした。しかも、時間やスケジュールの間違いも頻発するようになっていきました。

上司たちに叱られたり、怒鳴られたりするときには、わたしが悪いからだと思っていました。しかし、心の奥底ではなんでいつもわたしばかりこんなことになるのだろうや、上司がおかしいんだと周りや環境のせいだとも思っていました。意地悪な上司のもとにいるからわたしはおかしくなってしまったのだと思って、自分は悪くないと思っていました。わたしに問題なんかあるはずないと思いたかった。わたしはこの両極端の思考を一日のうちで何度も繰り返していました。

私生活ではイライラしたり、苦しいことがあると、知らない人とSEXをして発散していました。
その人たちはわたしのことを否定しない、詮索もしない、ただ話を聞いて、同調してしてくれて、ただ今一緒にいるわたしをほめてくれて抱きしめてくれました。ある時は、いじめてほしいという男性によく会っていて、そこで暴言を吐き、踏みつけ、ひっぱたきと暴力によるストレス発散もよくしていました。暴力的な意味でも、相手が望んでいることが十分にできているわたしにも満足していました。
そのコミュニティの中では、普段会えない、職種や性格の人たちに会うこともあり、体さえ重ねればいろいろな人に無料で出会って情報が得られるのも楽しく、頻繁に人にあるようになっていきました。ここでは、ダメで使えない、無能なわたしではなく、相手が望んでいることを着実に実行できて、相手も喜ばせられる、能力のあるわたしに慣れたような心地がしていました。相手に対して、わたしは一切こびることなく、対等で話すことができました。わたしの中身がおかしくても、受けていてくれる人が居る。需要がある、喜んでくれる人が居ることがとてもうれしくてわたしがわたしでいられる唯一の場でした。

しかし、その時はそう思えますが、そういった付き合いを続ければ続けるほど、そんなわたしをひた隠しにしたいわたしもいました。なので、わたしはまるで少年や少女のような服装を好み、性的なことに関心がなく、むしろそういったものが苦手だという風に周りにふるまっていました。わたしは女性らしい服装をするときは一晩遊ぶときだけでした。

続けるほどに、わたしが自信が汚くて、おかしな、モラルのないダメ人間のように感じだれて、こんなわたしを知られたらみんなわたしを見放して、いなくなってしまうと思って怖くなりました。家族に知られたら、友達に知られたら?会社に知られたら、信用してもらえなくなる?恋人にはもってもほか。大学のころ、わたしがうつに追い込んだ小枝ちゃんはそれでわたしを信用できなくなったのだから。こんなわたしといると人が傷つくとどんどん思うようになりました。

周りに本当のことが言えないわたしは、もっとその人たちといる時間が増えていきました。仕事も毎日、限界になっていたある日、一回だけという約束であった人から、どうしてもあなたと付き合いたいと言われて、ためしにでもいいからと押し切られたまま付き合いことになりました。そもそも、わたしがこういうことをしていることも知っているし、そんなに懇願されることもなかったので悪い気もしなかったんです。いや、誰かに望まれることが誰であれうれしかったんです。

付き合うと決まればそれはそれで楽しくて、電話したり、デートしたりとしていました。しかし、結局こういったことであった関係なので信用も心の底ではしていないし、価値観の違いも感じていました。彼はいつもわたしのことを好きだという時に、「君が変だから好きだ」というのです。適当に受け流していたけれど、彼は普通ではなく、少し変わっている存在へのあこがれがありました。その延長として普通の出会いではない、変わった趣向の、変なわたしを収集したかっただけだったのだと思っていました。一見私を肯定しているようで、わたしの側を見ていることに気持ち悪さを感じつつ、それでもいいやと思っていましたが、わたしが精神的に限界を迎えて、診療内科で休職届を出したタイミングで、彼との縁は切れました。つらい会社にいっている間は、わたしのことを好きだと嘘でも言ってくれる人が必要だったのだと思います。

会社を休職したのは、不安障害と自律神経失調症からでした。
蕁麻疹や微熱でも会社に行っていましたが、ある日心臓がばくばくとして電車に乗れなくなりました。これは前に小枝ちゃんのことで不安障害を発生した時と同じでした。それでも、朝早く出て、どうにか電車に乗っていましたが、それも苦しくなってやっと休職をしました。

このとき、わたしが病気になったのは、上司が悪いのだと思いました。
わたしは一生懸命頑張っているのにあの人たちが悪い。それに一緒に働いている人にも疑心暗鬼になっていました。わたしが上司の不満を言うと翌日にはもうばれていてまたそれでまた怒られて、誰が話をもらしているのかわからないと思うと誰にも何も言わなくなり、助けも求めなくなりました。わたしに優しく接してくれる人もいましたが、わたしが嫌いな上司や先輩と仲良くしているのを見ると不安になって距離を置きました。

病院から正式な病名で、診断書をもらえたことで、会社だけでなく、両親にも後ろめたさがない休むことを告げられました。両親や家族は会社に対して、怒ってくれました。これも、診断書があってこそだと思いましたし、やはり病気になったら優しくしてくれるのだと思って安心しました。

はじめのうちはたくさん寝ていました。
徐々に、動けるようになってきて、家で料理をしたり、近所を散歩したりもしていました。近所の人も変だと思っているのだろうと思うと、誰にも会わないようにこそこそしていました。

わたしの家の裏に行くと、田んぼ畑が広がっています。そこにいってはゆっくりと過ごしていました。いつも息苦しかったですが、外に出るととても気持ちがよかったのです。

 3か月ほどたったころには大分落ち着いてきて、わたしは病院の先生と相談をして、出かける練習をしていきました。電車に乗ったり、一番体調と精神が崩れる夕方に出歩く電車をし始めました。また一か月たって、会社の付近に行ってみたり、大きな公園に夕方行ってみたりしました。
約6か月の休職を経て、わたしは会社に復帰しました。

復帰すると、一緒に働いていた人がみんな温かく迎えてくれました。大変そうだと気が付いていたのにつぶれるまで何もできなくてごめんねといろいろな人から言ってもらいました。わたしがおかしいと思っていたけれど、先輩たちもちょっとやりすぎていることには気が付いていたのだと思ってほっとした部分と、それでもみんなどうしようもない環境なんだなという落胆した気持ちも持ちました。

復帰した後も、安定剤を飲んでいたこともあり、ぼーっとしていたり、スケジュールの間違いもまだ続いているわたしは上司に、
「これは病気なのか、それともそもそものお前がそうなのかどっちなんだ?」と怒られました。わたしは休む前と同じ不安を感じて「病気ではなく、そもそものわたしのせいです。」と答えました。わたしはずっとダメな人間のままなにも変わっていないのだと痛感しました。
わたしはまた、人恋しさから、不特定多数の人と遊び始めました。
相変わらず、固定の人をつくらずに毎回違う人に会っていました。しかし、それを心療内科で報告することはなく、順調に良くなっていると話していました。

わたしの会社は3年の新人期間を終えると、役職が変わり、大きな異動も可能になるシステムでした。
わたしは上司から、お前はこのまま本社で王道の道を行くのは難しいと思うと言われていました。わたしもわかっていることでしたが、上司から言われるとショックでした。当時の会社では、今の部署にいないことは、左遷、戦力外通告のようなものでした。
わたしは正式に、違う部署に配属が決まり、ショックは受けましたが、ようやくここから出れるのかと思うとすっきりしたような心地もありました。
後日、当時の上司と今後の配属先に一緒にあいさつをしに行くと、次の上司も職場もとてもやさしい人たちばかりでした。その後のわたしは次の部署にいくのが楽しみになったことと、戦力外通告を渡されたことでまた、気持ちがグラグラとしては不安になりました。

しかし、王道の仕事から外れた自分はダメなんだと思っていたのに、次の職場はとても快適でした!

わたしが顔色ばかりを窺って、相手が考えているであろうことばかり言っていると、新しい上司はいつもわたしに、「あなたが本当に思っていること、考えたことを話しなさい」と言ってくれました。わたしは上司やメンバーのおかげで、自分がどうしたいのかやどう考えているのかを徐々に話せすようになりました。もともと、自分の意見をはっきり持っているタイプだったので、それを受け入れてもらえたことで元の状態に戻っていきました。

上司も先輩も優しく、土日休みの規則正しい時間でも勤務、みんなでとる食事に、法人のお客様も自由な風土。
今まで会社の本流から外れてはいけないと思ていたのに、外から見たときにわたしがしがみついていたものは、なんてちっぽけなんだろうと思いました。
わたしは井の中の蛙だったのです。
見えないで騒いで、どこに向かって走っているかわからずに先頭の人のいうことだけ必死で聞いて。
でも、井戸の外では全然違う世界が広がって、多くの文明があったことに気が付いたような心地でした。わたしは心の底からこの部署に来てよかったと思いました。わからないことまで楽しい状態でした。
通販の仕事をし始めて会議中も何を言っているか意味が分かりませんでしたが、それでもとても楽しくて夢中になって覚えて働きました。大変な案件や仕事もありましたが、このメンバーやお客さんと働けるとすべてが学びになり、新鮮で楽しかったのです。

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