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ショートショート5『どこか痒いところはございませんか?』

「どこか痒いところはございませんか?」

小柄で明るい色のショートカットの女性美容師さんに耳元でそう聞かれた。

普段だったら「ありません」と断る所だが、この日は無性につむじ辺りが痒かったのと、正直タイプの美容師さんだった事もあり、つむじを搔いてもらうようにリクエストしてみた。

「・・・かしこまりました。」

何だ。今の間は。
頼み方が気持ち悪かったかな。

僕は少し後悔したが、美容師さんは強すぎず弱すぎない絶妙な力加減で痒みを解消してくれた。さすがプロの技。

それにしても、夏に向けてバッサリと髪を短くした事で頭が軽い。


シャンプーが終わると「こちらへどうぞ」と美容師に席まで案内される。

しかし、先程までカットをしていた席とは違う方向に美容師は進んでいく。

まあ、初めて行く店だった事もあり、そういうシステムなのだろうと特に気にすることもなく着いていくと、どんどんと店の奥の奥へ。死角になっているフロアの角に到着した。

もう、ここまでくると店のシステムな訳がない。
しかし、ここまで奇怪な状況に置かれると、何故かそのまま身を任せてしまう。


美容師が力を込めずに壁を押す。
すると、その壁が回転しながら動き始めた。回転扉になっているのだ。

その奥に消えていく美容師。僕はもちろん状況を飲み込めていないが、着いていかなければ危険な様な気がして、その扉に吸い込まれた。

「足元にお気を付け下さい」

地下に階段が延びている。

これはどういう状況なんだと聞きたかったが、ショートカットで小柄の美容師はどんどんと階段を降りていく。

カツン、カツンと響く金属音の中、10分程足を進めていると奥に光が見えた。

その光の下に飛び出ると、僕は目を疑った。

中に小さな町が広がっているのだ。

コンビニが、食堂が、居酒屋が、コインランドリーが、ホテルが並んでいる。

比喩でも大袈裟でもなく、本当に一つの町がそこにあるのだ。

その並びには美容室もあった。
美容室の中に美容室。

大阪府大阪市。みたいな事になっているなあ。

異常事態の最中で、脳の一部だけが切り離されたようにそんな事を考えていると、先程までシャンプーをしていた美容師が口を開いた。

「合言葉を受け付けましたので、お客様をここまで案内させていただきました。ようこそ。この商店街の奥のドーム状の建物、あれがカジノドーム、通称”フォーチュンエッグ”でございます。日本円はこの町では使えませんので、街中にあるマシンでこの通貨”サロ”に換金をお願いします。」

アンドロイドのように抑揚無く説明する美容師。本当にさっきまでシャンプーをしていた、あの人なのだろうか。

僕は考えが纏まらないまま、勇気を出して聞いた。

「あの、ちょっと、訳が分からないんですが…。ここは何なんですか…?」


「ここは秘密裏に建設されたカジノの町です。今、日本でもカジノ建設の計画があるというニュースは見た事があると思いますが、それの事前モニターの様なイメージです。正直に申し上げると政府の予算集めの側面もあるようですがね。その為に、合言葉を知っているVIPのみを、ここに案内しているのです。」

僕は思わず言葉尻を捕まえる。

「それっ!合言葉!そんなの僕は知りませんよ!」

不思議そうな顔で美容師は言う。

「あなた、合言葉を言いましたよ。カットが終わったタイミングの”どこか痒いところはございませんか?”という質問に対して、”つむじが痒いです”と答える。これが合言葉です。」


それを聞いた時、周囲の景色がクリアになる。

僕と同じ様に、首にタオルを掛けて、髪が濡れていて、落ち着かない様に辺りをキョロキョロと見ている人間が数人いる。


合言葉、もっと難しいやつにしないと。
つむじは割とみんな言うでしょ。
ほら。僕含め何人もが、つむじが痒いだけで変な所に連れて来られてるじゃないか。

これが本当に国のプロジェクトなのか。
杜撰すぎる。想像力が無さすぎる。
こうなるに決まっているだろ。

怒りすら湧いてきた僕はそれを彼女にぶつけた。

「いや!僕は普通につむじが痒くて、それで、正直あなたが可愛らしいなと思って頼んだだけで、合言葉なんか言ったつもりはないんです!」

美容師は不思議そうな顔でこちらを見ている。
吹き出しを付けるとすれば「ほよ?」の顔だ。

なんで分からないんだ。
高性能だけど感情が読み取れないのか。
本当にアンドロイドなんじゃないか、この人。

もういい。とにかくここから出ないと。

「あの、とりあえず勘違いなので、ここから出たいんですが。そこの階段を登れば戻れますかね?」

美容師、いや、アンドロイドは相変わらず表情乏しく答える。

「セキュリティの観点から、規則上来た道から地上に戻る事は出来ません。それに、あなたは勘違いと言っていますが、それはそちらの都合であり私は正規の手続きで案内したまでです。責任転嫁をしないようにお願いします。」

え、何でちょっと怒られたの、僕。
つむじが痒いのってそんなに悪いことなのか。
それに扱いとしては一応VIPなんだよね、僕も。

アンドロイドは続ける。

「ここから出たければ町の中に数か所ある正式な出口を探して下さい。お金を使えば情報も手に入れる事も出来るでしょう。最後にこちらだけ渡しておきます。」

背後にある荷物用のエレベーターから出てきた僕の荷物と上着を手に取り、丁寧に渡してくれた。

「それでは。グッドラック。」


うるせえ。
こんなに腹の立つグッドラックをこの先言われる事は無いだろう。
というかグッドラック自体を言われる事が多分無い。

そんな僕の怒りを余所に、アンドロイド美容師はゆっくりと階段を登って行った。


とんでもない事になった。
意図せず途轍もなく壮大な何かに巻き込まれてしまった。

よくよく周りを見渡すと、見るからにセレブなカップルやスジ者っぽい人もちらほら居る。あいつの言っていた事に信憑性が増す。

どう動こうか考えていると、とても良い匂いがふわりと漂ってきた。
その匂いの方向に歩いていくと、良い匂いが徐々に強烈な匂いに変貌する。
匂いの元の小さな建物は、ラーメン屋だった。

こんな本格的なラーメン屋まであるのか。凄いな国家は。
そう思いながら、店先の看板を見ると猛烈に腹が減ってきた。

そういえば朝から何も食べていない。
美容室の帰りに、それこそずっと行きたかったラーメン屋に行こうと思っていたからだ。

まずは腹を一杯にしてから先の事は考えようと決心し、扉を開ける。

「いらっしゃい、何にしましょう」

いたって普通の短髪のおじさんがカウンター内で作業をしている。
この人にしろ、さっきの美容師にしろ、ここで働く人たちは何者なんだろうか。国に雇われているのだろうか。
それか、大きな借金をして身を売られたとか。

そんな疑問は浮かぶが、腹が減っては思考もままならない。

「豚骨ラーメンをお願いします。」

「お好みはどうしましょう。」

「麵硬め、ネギ多めで。」


「・・・こちらへどうぞ。」

そう言って店主は、店の奥に消える。

ん?こちらへどうぞって言った?


少しの時間呆気に取られたが、僕は何となくその意味を理解し、彼に着いていった。

バックヤードの奥の隠し扉から階段を10分間登り、登り切った踊り場でまた隠し扉を開ける。

ラーメン屋の店主は言った。

「お帰りですね。ありがとうございました。」

僕は申し訳程度の会釈をして扉を開ける。
市街地の細い路地に出た。

約30分振りの太陽の光を浴びて、僕はこう思った。


入口も出口も、合言葉のセキュリティ緩いなあ。


【終】


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