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シャボンの中で息をする、そして、さようなら

自堕落な生活を送っている私だけれども、実はそれなりに仕事もこなしている。その自堕落な気分とキチンとしなきゃの気分がちょうど半分ずつになったとき、近所の銭湯に出かける。ちなみに昨日は酒を飲んで、さらに飲み足りず一人で飲んで、満足して帰って風呂も入らずにそのままグッスリ眠ってしまった…。身も心も汗だらけの私に熱いお湯をたっぷりと浴びせたい。今日はそんな日だった。他人と一緒に入る銭湯が嫌いという友人もいるけれど、私は子どもの頃から銭湯に慣れ親しんでいるし、むしろ銭湯に行くことが少しスペシャルなことのように思っていて、そして家の狭いお風呂ではどうにもこうにも満足できないときがある。今日なんかは本当にそう。だって大きい湯船にザブンと浸かって、頭がぼうっとしてくると、一瞬で極楽浄土に行けるのだ。

30歳の自分の身体をゴシゴシ大事に洗っているとき、隣のおばさまは私の100倍くらい自分の身体を大事に洗っていて、なるほど、歳を重ねるごとに自分を大切にできるのだと納得した。おばさまはブワアっと花が咲き乱れるようにシャボンを泡立てていて、丁寧にずっと自分の身体を洗っていた。豊かで柔らかそうで優しそうな身体だなぁ、と思ってその様子に見惚れていた。

おばさまの横で私は自分の頼りなくも逞しい少年のような、あるいは女性らしくなってきた身体を改めて眺めてみた。昔より二の腕がプニプニしているように感じるし、肌のターンオーバーは遅いし、シミとそばかすは増え続けるけど、なんだか、全部が完璧にアンバランスで、すげえイイ女のような気がしてきた。お風呂で鏡を見ると、普段の5倍増しくらい美しく見える。顔をじっと見つめたりしている。そんな風にナルシズムに浸ることも、今の私には幸福だ。

私が特に丁寧に洗うのは顔と首。洗顔フォームで泡立てて、スルスル顔を撫でているのが気持ち良い。かなり昔からそんな風に洗っているが、先日、男に私のほっぺをフニフニずっと触られていたとき、それは本当にしょうもなくてどうでもいい、ただのイチャイチャなのだが、それをニヤニヤ思い出しながら、スルスルと時間をかけて自分の手で撫でた。

湯気で充満している銭湯は、夢の中にいるみたいに感じる。シャボンに包まれた自分の身体や、流れて行く水や泡を眺めているとき、自分がその一部みたいに感じる。現実世界なのに、夢みたいな生活を送っているような気がしてくる。

ジェットバスに身を委ねて浮遊しているとき、私は生きている感じがする。嘘みたいな上っ面だけの生活と、私はやっと、さようならしたかもしれない。

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