見出し画像

५✍こんばんわ

こんばんわちゃんまおです🌙*.。★*゚

今日はすごく暖かくてもう春もスグそこですね
寒くなったり暖かくなったり寒暖差が激しいので
体調管理頑張っていきましょう( ˶˙º˙˶ )୨
そして沢山のスキの反応ありがとうございます
とても嬉しいです~頑張りますꉂꉂ📣

今日は子育てと学校と友達を
お話していこうと思います🏫🎒🎓📔

昨日お話した様に私は小学生になりそれと同時に
下の子が家に来た事で今までの生活とは全然
違うルーティンをこなさないといけなくなりました
自分の勉強の時間を確保しつつ小さな命を守る
すごくプレッシャーでしたがやっぱり赤ちゃんは
可愛くて可愛くて小さいながらに接する事の
喜びを感じていました👶🏻🍼💞

幸いにも夜泣きがほぼ無かったので夜の睡眠は
確保出来ていて尚且つ沐浴をしていたので
自分もお風呂に入る事が出来ていました
しかし困る事も多々あって…母が帰って来ないので
赤ちゃん用品を買いに行く事が困りました😯💭
自転車に乗れるようになっていたので行動範囲は
広がり何処へでも自転車で出掛けて行けるの
ですがこんな小さな赤ちゃんを家に残して行くのは
すごく気が引けました、悩んだ末に私は
抱っこ紐を活用しよう!と思いおばあちゃんに
お願いをして抱っこ紐の付け方を教わりました
ただ、首が座るまでは怖かったのもあり
(首がとにかく不安定で怖かった)
それまでの間は抱っこをして徒歩でとにかく
歩きミルク缶などをリュックに入れるの
繰り返しで何とか凌いでいました
おかげで方向音痴ではありますが情景でその場所
までのルートを記憶する特技が増えました!

ここで気になってくるのがお金についてだと
思うのですが母は長期間出ていく時必ず
まとまった現金を机の上に置いていなくなります
なのでその現金がいくらあるのかまず計算をして
その他の支出を大まかに計算しておくと
スムーズに長い間生きていく事が出来ました
おばあちゃんが常に一緒に計算をしたり
行く先々の店員さんが計算を教えてくれたり
お財布を新調して貰ってたり…と色々大人の手を
借りる事で私と赤ちゃんとの2人生活が
何とか成り立っていましたが初めはお金の使い方が
分からずただただ小銭が増えて計算も曖昧だった
為に1ヶ月持たない…なんて事も多かったです
聞く勇気がすごく大切だと痛感した事と
とにかく失敗をして体験しないと分からないタイプ
だったので体当たりで日々生きていました

そして年齢を重ねた今母に感謝している事があります
電気ガス水道が1度も止まらなかった事です
当時はガス水道電気を支払う概念がほぼ無いので
無限に湧き出ていると思っていましたが
家賃は直接大家さんへ払いに行くか
母が何ヶ月分かを前倒しで支払いしていたのか
催促が来る事は無く同じ様に光熱費も母が支払いを
済ませていてくれたおかげで
母が居ない間は支払い用紙が
届く事は無く今思えば母は支払いを自分で
済ませていてくれたのかな…と思うと確かに酷い
家庭環境ではありましたが生きていく上で必須な事を
傍にはいませんでしたがやってくれていた事
本当に感謝しかありません
色々な虐待をテーマにした映画やドラマ小説を
見ますがどれもまず支払いが滞り次に食べ物に困る
と言う流れが
多い印象なので私はその点は本当に恵まれていたと
思います、母なりに何か思う所があったのかも
知れませんね母ありがとう。

そして次に困ったのが私の登校についてです
赤ちゃんが居るので学校へどう通えば良いか分からず
悶々としていた時に担任の先生から提案がありました
「別の教室で赤ちゃんと共に登校しないか?」
私はビックリしました私のイメージ上そんな事が
許される環境じゃないと思っていたので私だけ
そんな風ではクラスメイトに何か思われますます
通いづらくなるのでは…?と思っていましたが
当時仲の良かった子達の提案でもあったみたいです
(この話は後ほど転校する事になった時に聞きました)
クラスメイト皆で私がどうしたら学校へ通えるか
話してくれていたみたいでした
(イメージでは「となりのトトロ」のサツキちゃんが
メイちゃんと同じ教室で授業を受けると言う
シーンに近いものがあるかな?と思います)
皆のおかげで私は別の教室で授業では無く
赤ちゃんを保健室へ預け授業を受ける事になりました
母が帰ってくるまでの間私は
周りの大人やクラスメイトの手を借りながら
学校へ通い授業を受けられる環境が出来ていました
下校時は仲良しの子達で寄り道をしながら帰り
石が好きな子がいて絵を描いた可愛い形の石を
プレゼントしてくれたり私はお礼に押し花でしおり
を作ってプレゼントしたり…- ̗̀🎁 ̖́-

この頃から同じアパートに住む近所の子達とも
交流を持ち始め親さんとも仲良くなっていき
もっともっと兄弟を育てやすくなりました

小さな時私は自分で全てを何とかしなければ
いけないと思っていたので狭いアパートの中で
母と2人誰にも知られる事無く虐待に耐える日々
1人泣く事しか出来ず何年も母から虐待を受ける毎日
なのに外から聞こえるきっと同い年ぐらいの子どもの笑い声やその家族に憎しみを覚えるぐらい
強く強く普通の家庭に憧れていました
でも私は小学生に上がりその価値観が変わりました
自分だけでは到底何ともならない問題である事
誰かに助けを求める事そして学ぶ事
私はこの家庭環境だからこそこんなに
沢山の人達に囲まれている助けてもらえる事
それが如何に大切か知りました
声を上げるは1番のSOSかも知れません
泣く事が減り母に虐待を受けていても私は
1人じゃないんだと思えると学校へ通えず軟禁状態で
あってもただひたすらに明日はきっと通えると
小さいながらに明日への希望を抱き歯を食いしばり日々を耐える事が出来ました

今も見渡せば沢山の子ども達が歯を食いしばり
目の前の恐怖や不安心配事に立ち向かっている
そう思うと私に出来る事は何か…日々考えさせられます小さな声のSOSを拾う何かの架け橋になれれば…と
思いながらいつも過去を振り返っています

とても辛く長い険しい道のりを歩いている皆へ
耐えるだけが生きる事では無い事
そんな逆境の中でも小さな希望がどこかに
落ちているかもしれない事大人が皆敵では無い事
少しずつ小さな光がさしますように…
私はいつもそう願っています

ここまで話を聞いてくれてありがとう🌷.*
明日は近所の人達との関係だったり
母が帰って来た時の事を話そうかな…५✍

いつも本当にありがとう、今日もお疲れ様𓂃 ☕️𓈒𓏸
ゆっくり寝て明日も頑張ろう!お休みなさい🌙*゚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?