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第9話 調子悪くて、当たり前

  ボタンを押せば、印刷が始まる。印刷がスタートすれば、本なんてすぐに作れるさ……と安易に思っていました。でも、悲しいかな、自分の印刷機は、スタートボタンを押すと同時に、原因不明のエラーメッセージと共に「クーーン」と音を立てて止まってしまったのです。まだ、何も刷っちゃいないのに、まだ何も始まっちゃいないのに。

プロフェッショナルへ修理依頼

 幾つかの機械を分解しては壊し、いじっては潰し、またさまざまな情報を手に入れた今となっては、「それ、別に大したエラーじゃないんだよ」と過去の自分の肩を叩いてあげたくなるわけですが、そのころにはまだ何も分かってないドのつく素人、もうエラーが出ただけで、この世の終わりのような気分になったもの。そして再び呟くのです、「なんでこんなこと始めちゃったんだろう」と。

 多くの人も多分「リソグラフって業務用じゃなくって民生機なわけだから、ボタン押したら誰でも印刷できるんじゃないの?」って思ってるかもしれません。それは確かにその通り。でも、学校で、公民館で、一度でも使った人は知ってますよね。あの「しょっちゅう紙が詰まる、手が汚れまくる、アレ」だということを。また、この機械は、基本的に1色で、ハイスピード/ローコストで文字を印刷することを前提に作られたものであり、アート作品や大量のページ印刷のことを考えて開発されたわけではない、ということ。また時々のメンテナンスによって、この「ちゃんと動く」状態が維持されているわけです。そして、この部分をどう乗り越えるかをこの後、延々と語っていきますが、基本「調子悪くて、当たり前〜」(©近田春夫)なシロモノなのです。

 ま、そんなこととは関係なく、2014年の自分は、エラーメッセージの前にただ立ち尽くすだけでした。もう一方の黒のドラムだけだったら印刷ができるわけだから、完全に壊れているんじゃないのは分かってる。でも、でもね、黒で印刷するんだったらコピー機でいいわけじゃないですか。それを2色、赤とか他の色で印刷するためにこのでかい図体の輩を手に入れたわけでさ。もう、これはプロの力を借りるしかない。自分は申し訳ないが資本の手に身を委ねるぞ。正直、中古で手に入れたものをメーカーさんが対応してくれるかは分からねど、ネットに情報のひとつもアップされていなかった(というか、日本国内では今もほぼないですが)当時、方法はそれしかなかったのです。

理想科学に初めてのお電話

 卑屈なほどに丁寧に電話。
「すいません、そちらで購入したわけではないんですが、リソグラフにエラーメッセージが出てしまいまして。もしよろしければ、この先の保守管理も含めてご相談できればうれしいです」
「了解しました。ご挨拶がてら、明日うかがってもいいですか?」
「え、そんな簡単に修理や点検やってもらえるんですか?」
「状況が分かりませんのでなんとも言えませんが、保守の人間とともにうかがいますので、何卒よろしくおねがいします!」
「あ、はい。ありがとうございます!」

 な、なんと丁寧な対応。正直、あれから10年近く経った今でも、本当にこの時にちゃんと扱ってもらえたことに感謝しています。本来ならばメーカーさんがこのような中古機器に対応する必然はないし、部署によっては断られることもあったかもしれません。その後サービスマンの方に聞いたのですが、当時の渋谷・目黒という小さい区域の担当だけで、何千台というリソグラフを管理しているとのこと。また保守管理期間が過ぎた機種に対しては、対応できないこともあるので、担当さんの特別な計らいによってお付き合いできたと思います。別のメーカーの印刷関連機器を中古購入した際は、「販売価格の半額を支払っていただければ修理可能です」と断られたことがあります。このようなものは民生機ではないので、仕方ないかもしれないけれど、定価の半額はちょっと高すぎやしないかと思うのです。

 結局、このときは、リソグラフ本体に問題が起きたのではなく、ブライトレッドのドラムがおかしくなっていたようで、すぐに修理に出させてもらいました。また、営業担当の方が教えてくれたのだけれど、基本、リソグラフにはそれぞれ個体番号が記されていて、以前どこで使用されていたのか分かるそう。調べていただくと、どうやらこちらのリソグラフは、静岡の公的機関で長期間メンテも行われながら丁寧に使われていたご様子。なんだか、保護犬の素性を引き取ったあとに知ったかのような、それ以前の人生にもいろいろ苦労があったんだろうな、そうだよなぁ、まったく……なんて風に思わせるような、そんな不思議な気持ちになる。少し涙ぐむ(嘘)。

 数日後、修理完了。「インクのオーバーフローでセンサーが汚れていたようです」とのこと。うーん、とにかく壊れてたんだけれど治ったんですね。一応、所定の修理費を支払ってちょっとほっとすることに……と当時は何がなんだか分からなかったんだけれど、今なら何をしてくれたのか、はっきりと分かります。ちょっと専門的な話になってくるけれど、本著は、体験談の体で印刷関係のノウハウ/Tips集を目指しているので、「インクのオーバーフロー」について説明してみましょう。

インクのオーバーフローとは?

 リソグラフの印刷の仕組みの中で、最も重要なものが、そのドラム自体の形状とインクの供給システムである。簡単に説明すれば、以下の通り。

[インクの供給システム]
1 インクが、ドラムに差し込んだインクボトル(①)から、インクを吸引するドラムポンプ(②)を経由。

② インクを押し出すポンプ

2 複雑な構造のインクライン(③)を経て、4個所あるインク供給孔から、ローラー(④)へとインクを供給。

③ インクを4箇所の孔から分配するインクライン(汚いけれど、本当に取り出したものだから)

3 4個所の孔から流れてきたインクは、2つのローラーによって、ほぼ均等に撹拌され、インクプレート(⑤)の内側に塗布される。

 これが、リソグラフのインク供給システムの基本構造ですが、それらのインクの量をどのようにして決定するかは、リソグラフ本体とこのドラム内にあるICチップによって決められている模様。そして、こちらのチップの流量決定のために2つのセンサーが用意されています。

ドラム内にあるチップに用意されたセンサー

 正直、ハードウェアに関してはまったくの素人ゆえに分からないけれど、このチップに付いている2本の細い針金(センサー)は、この針金が濡れたり汚れたりと問題が生じた場合に、エラーメッセージが送られるようなシステムとなっています。つまり、インクの流量が過剰に行なわれてしまったり、インクラインの孔のどれかが詰まった等の不具合、もしくは何かしらの不確定要素によってインクドラム内にインクがあふれた場合に、エラーメッセージを送り機械を停止させるのです。

 今回のエラーは、このセンサーが感知して、印刷の動きを止めただけのこと。つまりドラムを一旦分解して、過剰に供給されたインクを拭き取りって中を洗浄、組み立て直せば基本修理は完了します。実はリソグラフのエラーの中でも最も頻繁に起きる出来事のひとつであり、個人でもプラス・ドライバーとビニールテープくらいあればで簡単に直せる程度の故障です。しかしそんなシンプルなエラーでさえも、このころはどうしたらいいのか分からなかったのです。とはいえ、そのころは五里霧中、サービスマンの方に頼るしかないわけで、ちょいとだけお金を支払って、こうして、ようやく使いたかったブライトレッドのドラムを起動することができたのでした。

 「保守管理のサービスに入っていただければ、これらの作業は無料で行なえます。ただ月に固定費(この価格は機種や契約内容によって異なります)をいただきますので、ご検討ください」

 の言葉を聞いて、少し悩むものの、機械の使い方、メンテナンスの手法を知る上で、この時点ではそれしか方法がないことも理解し、「お願いします」と保守契約を結んだのでした。今、新たにリソグラフを使ったり、スタジオを始めようとする方すべての人に「保守契約は入った方がいいですよ!」と言ってるのですが、壊れたときのことや何かしらのサポートを期待したりしているからではなく、機械の使い方を一番知っているのは、リソグラフのメンテナンスをやってくれるサービスマンの方であり、彼らは本当にプロフェッショナルで、かつ機械の細かな部分まで知っているのです。そんな彼らの重要な知識や情報を手に入れるためには、月々、6,000円程度の授業料を払うのは当たり前ではないか、と。
 だから、自分は修理をしていただくときは、本当に執拗に横にずっとついて、「今、何やってるんですか?」と面倒くさい客として質問するようにしています。本来ならば、それはもしかしてメーカーの機密情報だったりする部分もあるかもしれません。ほんとは教えちゃだめなこともきっとあろうかと思います。ただ、この機械をブラックボックスにしてしまったら、この先、自分たちにとってやりたいことができなくなってしまう、ということ。で、印刷自体をブラックボックス化してしまうのだったら、印刷所に出すのとやってることは一緒じゃないか、という気持ちからです。

 

さぁ、初めての二色印刷

 ドラムの修理も終わり、ようやく
「よし、これで二色だ! はじめての二色印刷をするぞ!」

 とりあえずお試しに印刷を始めてみましょう。別に版とかどうでもいい。二色重なったところが見たいだけ。適当にそこらにある原稿をフラットベット・スキャナーに乗せてぇの、さぁ製版、そして印刷だ!

「(リソ様)クゥイーン、カッカッカッカッカッカッカッカ………」

 本体のディスプレイには「アイドリング中」と出てるのは、車のアイドリングにかけてるんだろうけれど、「アイドリング」って「動かず待機している状態」ってことじゃないの……なんてことを思いながらこの音を聞いている。そうだ、こないだサービスマンの方が教えてくれたのでした。この「カッカッカッカ……」っていう製版前に1分程度続く起動音っていうのは、インクをボトルからローラーへと送り込むために、インクポンプが吸い上げる音、とのこと。そう思うと、このカッカッカってのも心地良いものです。普段は見えないドラムの中に、インクが満たされていくことを頭の中にぼんやりと想起させてる。それはまるで、サウダージな海にゆっくりと潮が満ちていくかのようなイメージ。

 よし、製版できたー、そしてプリント、だ!

 あれ? 全然刷れてない。ほんの少しだけ印刷がされてるから、製版されてないってわけじゃないよなぁ。A3の紙に全然色すらついてない。マージかよ。このドラム修理したよね、ついこないだ。とりあえず、あと数枚刷ってみよう。「カヒョーン・カヒョーン・カヒョーン・カヒョーン・カヒョーン……」

 だんだん色が出てきてホッとする。 10枚くらい刷ったら結構普通に印刷できるなぁ。良かった良かった。若干端っこあたりがかすれてるけれど、まぁ、このくらいはオッケーにしておこう。とにかく、ちゃんと動いてよかったよかった……よかったの、か? いや、なんだか合格ラインがかなり下がってないかな。いやはや、こんなことで実際の印刷は大丈夫なのかしらん。

 2014年の夏、実を言えば、自分はまだこのリソグラフの魅力や可能性をまったく分かっていなかったのでした。そして、今から考えたら全然ダメダメなブライトレッドで描かれたかすれまくりの印刷物を目の前にして、ちょっとだけほっとしている自分がいたのです。

 

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