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【LGBTQ +】 性別や見た目で悩んでいる人へ


正しくありたい あれない 寂しさが
何を育んだでしょう

菅田将暉さん『まちがいさがし』歌詞から一部引用


本題


 セクシャリティ見た目のことで悩んでいる学生さんへ(また、当時の自分へ)


もし、あなたのセクシャリティ見た目「普通」とは違うことを理由にして、傷つけてきたりひどい言葉をかけてくる人がいるのであれば、そんな言葉に傷つく必要はないと伝えたいです。


なぜなら知識を積み上げて、経験も年齢も重ねていって自分が大人になってから振り返ると、人としてどちらが美しく、どちらが醜かったのか、そのことがちゃんと分かる日が来るからです。また、そういったことをちゃんと分かってくれる人が実は沢山いることにも気が付き、そして最終的にはそれが分かる自分で良かったなと思える日が来るはずだからです。


味方がいないように思えたり、周りのみんなが敵のように見えてしまったとしても、今はそこにいるからそう思うだけ。


大人になっていくにつれて色んな人に出会って、なかには「こういう人にはなりたくないな」という人だったり、逆に「こういう人になりたいな」と思える人だったり。本当に様々な人だったりに出会うはずです。



そのどれを見て、自分はなにを思うのか。
そのどれを見て、自分はどう行動するのか。

そのどれを見て、自分は「美しい」と感じるのか。



たとえ傷つけられても、自分は裏切りたくない。たとえ嫌われても、自分は愛する心を持っていたい。たとえひどい言葉をかけられても、自分は素敵な言葉を紡ぎたい。

だから、いまあなたの周りにいる、その狭いコミュニティのなかで生息する学校のそういう人たちだけが「みんな」だと思わないで。

目の前にいる人を「みんな」だと思わないで。
嫌なことを言ってくる人を信じないで。
そんな人より、誰よりも自分で自分を信じてあげてね。



時代の変化

 10年以上前、私が学生(生徒)だったときは多様性LGBTQ +といった言葉はいまほど知られていませんでした。いまでこそ少しずつ「多様性を尊重しよう」という社会の全体的な流れが存在していますが、ほとんどの学生がまだガラケーを使っていたあの頃、私の周りではまだそんな流れはあまり感じられませんでした。



それぞれの学校環境や交友関係にもよるけれど、どうしても狭いコミュニティになってしまう学校では色々としんどく感じることが多い。髪型や制服はあらかじめ性別に基づいて決められているし、複雑な友人関係のなかで、ときにはセクシャリティを隠したりぼやかしたりしながら自分を守った方が良い場合があったりする。


団体行動が強制させられる学校ではプールや着替えなど性別を目の当たりにしなければならない機会が多く、また周りの視線だったり思春期特有の身体にまつわる話題から逃れられなかったりして、嫌な思いをしてしまうこともいっぱいあると思います。私も沢山そんな経験がありました。


小中学校では学年が上がっていくにつれて、どんどんと自分の身体が変化していき、それまではあまり気にしていなかったことに嫌悪を抱いてしまうこともあると思います。私は中学生の頃はいわゆる「女の子らしい」下着を着けていていましたが、なぜかそれがとっても嫌で、でもその嫌な気持ちがなぜ沸き起こるのかハッキリとは分からなくて罪のない下着を引っ張って破いてしまったこともありました。



さらには、学校の健康診断やプールの授業などで一斉にみんなで着替えるとき、同性であっても身体を見たくもないし見られたくもないしと、ギュッと目を瞑って教室の隅っこで一気に着替えるようなこともしていました。


まだ狭いコミュニティである「学校」という場では、逃れられない様々な状況に直面してしまうことが沢山あると思います。さらには、そういったことに対する「なぜか分からないけれど、なんか嫌だ」という自分の気持ちは分かってもらいづらいことが多い。自分が知っていること、知識も少ないからどうして良いのか、どのように説明して良いのかが分からないことが多い。


でも、もう少し時間が経って歳を重ねて、生きる環境が変わっていって色んな人と出会って、少しずつ広い環境へと身を置くことができるようになっていったら、そんなことは我慢しなくて良いようになってきて、ギュッと縮こませていた背中の翼の羽をどんどんと伸ばすように、自分の思うままに羽ばたくことが出来ます。



だから、いま学校やら何かの狭いコミュニティで悩んでしまっている人は、もう少し時間が経って大人になっていったら、そんなことを気にしなくていいコミュニティや環境に身を置くことができるようになることもあるので、今はあまり悩みすぎないようにしてください、と言葉をかけたいです。



正直、あの頃の自分にも言ってあげたい。



情報も知識も手に入りにくかった当時

 10代の頃。当時の私は性別や見た目のことで悩んで、自分でも自分のことがよく分からなくて、周りに似たような人も見受けられなくて。あまりに少数派すぎると感じて「自分だけが変なのかな」「自分は間違っているんだろうか」「どうしてこんな気持ちになるんだろう」と答えの出ない問いを永遠に自問していました。



当時いくら考え込んでも「答え」は全く出ませんでした。


好きなスポーツや遊び、髪型や服装をしているだけなのに、小学生のときから「男女(おとこおんな)」と呼ばれたり、中学で男の子たちとサッカーをして遊んでいたら「複数の男子をたぶらかしている」といったように噂されたり。高校では「レズだ」とアウティングされたり。見た目がボーイッシュだからという理由だけで「おかしいんじゃない? 中身は男なの?」と面と向かって言われたことも。



まだまだ知識も理解も何もかもが追いついてなくて、私自身も分からず、周りから不躾な視線を受けたり様々な言葉を投げかけられていました。




当時はまだスマホはおろか自分用のパソコンなども持っておらず、インターネットで調べようにも学校や親のパソコンでは検索履歴が残ってしまうからと図書館に。でも、どんな図書館に行ってみてもセクシャリティの、さらにはLGBTQ+などのことを言及した本はまだ少なくて。仮に「性同一性障害」などという言葉タイトルが表紙に書かれた本を見つけたとしても、それを閲覧室で見る勇気もなくて、いつも図書の棚(たな)の間に一人でひっそりと隠れながら、人が来たら違う本で表紙をカモフラージュして読んでいました。



でもそれらを読んでいても、どうも自分には当てはまらなかったり、ときには同性愛に否定的な文章に出会って自己嫌悪に陥ってしまったりして。そんなときには同性愛の物語を読んでまた救われて。



そんなことを繰り返しながら自分は一体どれに当てはまるのだろうと、ずっと「答え」を探し続けていました。




少しずつ時代の進化とともにインターネットやSNSで自由に的確に調べることが出来るようになってきて、高校生になったあたりからはSNS上では自分と似たような気持ちを抱いている人を何人か見つけることができて、自分自身の理解が進むのとともに少しずつ安心もしていきました。


それはまるで、自分の周りでモヤモヤと渦巻いていた漠然とした気持ちや悩みや考えが、少しずつ手で掴めるようになって、そしたら今度は手で掴んでじっくりと見つめて観察できるようになって。そしたら「これかな、あれかな」とより的確に自分について知ることができるようになった、そんな感じでした。



そして年齢を重ねた先の社会人になってから、自分がこのセクシャリティだったからこそ出会えた人がいて、その人を好きになりました。

残念ながら、同性同士という現実とお互いの気持ち、タイミングなどの関係で結ばれることはありませんでした。そのこともずっと心のどこかで分かっていました。だって相手はヘテロセクシャルで結婚願望もあって将来的には子どもが欲しいなどと話していたから。


でも、その人が私に向かって「私たち、出会えて良かったね」と屈託のない笑顔で真っ直ぐにそう言ってくれたとき、このセクシャリティで良かったかも、と生まれて初めて少し思えたのです。

私が女性だったから出会えた人。そして同性が好きというセクシャリティだったからこそ好きになった人。

まちがいさがしの間違いの方に
生まれてきたような気でいたけど

まちがいさがしの正解の方じゃ
きっと出会えなかったと思う

(中略)

君の手が触れていた 指を重ね合わせ
間違いか正解かだなんてどうでもよかった

菅田将暉さん『まちがいさがし』歌詞から一部引用



だからまだ学生のあなたは深刻に悩みすぎずに、大人になっていって、もっと広い世界でどんどん羽を伸ばしてその美しい翼で羽ばたいてね。



あとがき

 この記事が学生さんに届くのか、はたまた現代の学生はもっと進んでいてそこまで悩んだりしていないのかも知れませんが(もしそうだったら、それが何よりです)、どこかの誰かの気持ちが少しでも軽くなったらいいなと思って書いてみました。


10年前と今で、やっぱり少し違う。ちゃんと進化してきている。昔は「どうしても許されなかった理不尽なこと」が、やっぱり今よりも沢山あった。


ジェンダーレスとか、LGBTQ+とか、多様性とか、そんな言葉だけ独り歩きし始めたのかなと勝手に冷めて半ば諦めたように思っていたけれど、少しずつではあるけれどちょっとずつ変わってきていると思う。もちろん、まだまだだけど、でも着実に新しい時代が来る予感がする。信じている。

こんなふうに少しずつでも良い変化があるのは、やっぱり色んな人の発信のおかげだなと思う。ありがたいなと思う。


かなりマイペースですが、私も少しずつ記事を更新していきます。

「スキ」や「フォロー」もありがとうございます。
自分は一人では決してないのだと、励みになります。

読んでくださる方にも、私の文章を通して共感や励みや勇気など何かプラスのものが少しでも届きますように。

それではみなさま、どうぞ良いお年をお迎えください!!

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