「光る君へ」16話感想

光る君へ16話「華の影」視聴しました。
今週も見どころが多い!!

1.香炉峰の雪


序盤は一条天皇と定子のサロンのシーン。
藤原斉信は越前の鏡を定子に、藤原行成は古今和歌集の写しを一条帝に献上します。
「麗しい文字」と感動する定子。
それはそうでしょう、あの行成殿の御手ですからね!

一条帝に「今日は何をして遊びましょうか」と問う定子。
「定子にまかせる」と返す一条帝。
この日は雪が積もっていました。
定子は雪遊びを提案します。
そして…

「小納言よ、香炉峰の雪はいかがであろうか」
と定子。
…き、きたーーー!全古典オタク待望の、「香炉峰の雪」のくだりがついに映像化!!

少し考える清少納言。何かを思いついたように「御簾を」といい、自らも巻き上げます。
白楽天の漢詩、
「香炉峰の雪は御簾を掲げて看る」が元ネタですね。

「香炉峰?は?」とならず、アドリブ力の高い対応ができるのは、清少納言と定子の深い教養があってこそ。

このシーンが絵としてとても美しく、そのまま古典の教科書に載せてほしいくらいです。

2.華やかなサロンの裏

雪遊びの後、藤原公任、藤原斉信、藤原行成が話しています。
「ばかばかしい」
「あの家の人たち(中関白家)はいい気になっている」
「伊周殿のあの直衣は許し難い」


こ、こわい…。あんなに雪遊びを楽しんでいるように見えましたのに。そういえば、はしゃぎ声がどこかぎこちなかったような気もします。役者さんってすごい。

少々ネタバレになりますが、道隆一家はこの後崖を転げ落ちるような激動の展開を迎えます。

小4くらいの時に「枕草子」に触れ、清少納言の筆によって記された定子様に魅せられた筆者は、どうしてこんなに凋落してしまうのか、今一つ腑に落ちなかったんですよね。

美しく知的で、快活な定子
文化に優れ、酒好きだがユーモアのセンスもある道隆
やや生意気なところがあるものの、顔もスペックも良い伊周
「くらげの骨」のくだりで清少納言とおもろい会話をした隆家

これだけ素晴らしい人たちが揃っているのなら、道隆が欠けたくらいでここまで没落しなさそうだし、味方をしてくれる人も出てきそうです。
それなのに、時の運と他の貴族たちは、道長たちの味方をした。

もしかしたら、このドラマのようにあからさまな身内びいきや前例を無視する強引さにみな辟易としていたのかもしれませんね。

そしてそれに対して説得力を持たせてしまう、道隆の「おぼっちゃま」感。彼はまっさらな道しか知らないから、根回しをしたり、清濁を合わせ飲んだりすることができない。

兼家が光の道と影の道を分けたことが、ここに来て軋みをもたらすとは。

3.藤原伊周、顔はいいのに 


鎌倉殿の源仲章に続く、「顔はいいのに、不遜でイラっとする」枠の誕生ですね。
今週もやらかしてくれました。

・妹の夫とはいえ、一条天皇の前で直衣を着る
(分かりやすい例えをXで見つけたので引用すると、みんながモーニングスーツを着ている中で、普通の背広を着ているようなものだそうです)

・皇太后(円融院崩御後、女院)の詮子に対し、「新しい後宮」のあり方を宣う。

・「疫病についてどう思う」と叔父の道兼に問われた時に、「我々には関係ない」というような返答をする。

ダメだあ…もう失脚するビジョンしか見えない。
いや、伊周は顔も頭も良いのですよ。
ただ、溺愛されて育ったためか傲慢なところがあり、致命的に人望がない。これは味方も居なくなりますね…つらい。

3.隆家登場


伊周の話をしたら、次は隆家でしょう。
本役の竜星涼さんが登場されました。
「香炉峰の雪」のくだりに「なんなの?」と呟いたり、「つまらん」とぼそっと言ったり。

相次ぐ御所の火事に「放火の犯人は女院じゃないかなあ。そうじゃないなら、父上を恨んでいる人ですよ」とズバズバ言う隆家。
喧嘩っ早いところがありそうです。
これは!後々刀伊の入寇にも立ち向かえる強さがある!
隆家はまあまあ長生き?しますし、それなりに働くので、活躍が楽しみです。

4.道兼、更生


第1話でまひろ母の命を奪い、「やべーやつ」となった道兼。身分の低いものは虫ケラだと平然と言ってのけていました。
それでも父に認められたくて汚れ仕事さえ引き受けた。

そこまでしても、父は認めてくれなかった。父の死後、道兼はグレてしまいます。
酒と道楽に溺れ、公任の家に居座り、烏帽子にも気を使わない(平安時代において、烏帽子をつけないのは全裸に匹敵する)。

しかし弟の道長によって救われます。
「私は兄上に、この世で幸せになってもらいたい」
「父上はもうおられないのです」
「この道長が、お支えいたします」

この道長、世界一かっこいい。
道兼は大粒の涙をこぼし、生き直すことを決めました。この場面の道兼は、完全に場を支配していましたね。玉置さん、名演技です。
(ここまでが前回までの道兼ェ)

都での疫病の蔓延に対し、関白の道隆に意見を求めるものの、「それより度重なる内裏の火事の方が問題だ」と一蹴されてしまいます。
やっぱりこの道隆、悪い人ではなさそうだけど、クリーンなお育ちすぎて下々の者のお気持ちがわからない…。

「関白に話してもどうにもならないので、私が悲田院(病院みたいなところ)を見て来ます」と道長。
それを制し、「汚れ仕事は俺の役目だ」と自ら悲田院乗り込みを決める道兼。

えーーーっ!!ここに来て道兼の好感度が上がってしまう!!
堕落から復活した人は強いですよ…。目つきも変わっていました。棘が抜けたようで、でも芯の強さがある。

あの…長生きして(フラグ)。
大石先生、やっぱり鎌倉殿ご覧になっていますよね。この好感度のあげ方、既視感が。

5.倫子、知ってる


まひろが文字を教えていた女の子・たねは病で亡くなり、その後も悲田院に止まって看病を続けていたまひろも倒れてしまいます。

偶然、視察で居合わせた道長。彼女の自宅へ連れ帰り、一晩中看病します。
まひろの容態が落ち着き、土御門邸に帰る道長。
安心したのか表情が柔らかい。

倫子に仕える赤染衛門は、「昨夜は高松殿(明子女王)でしたか」と呟くものの、女の勘が鋭い倫子は「殿のお心には、私ではない、明子さまでもない、もう1人の誰かがいるわ」と気づいてしまいます。

ご、ご明察にございます(震え)。
そしてこの心情、女三の宮が降嫁する時の紫の上の心情によく似ています。

三宮が降嫁するときに、紫の上は気づいてしまうのです。光源氏は、自分を通して別の誰かを見ていると。
そう、藤壺ですね。

そしてこの、「夫の心に別の人が住み続けている」感覚は、道長の娘・彰子も経験することになるのでしょう。

そのように考えると、源氏物語は道長・彰子サロンのPRのために書かれたというだけでなく、「物語」というオブラートに包むことで、
摂関政治(主に道長)を冷静な目で批判する作品でもあったのではないでしょうか?…これは考えすぎかもしれませんがね。

ただ、「源氏物語」を読む限り、紫式部という人は卓越した観察眼と心情描写力を持っていたように思います(「若菜」の巻が圧巻。別記事で語ります)。

そんな紫式部が、彰子の苦悩(夫の一条天皇は、定子を忘れられず、その面影を求め続けた。定子の死後、その妹の元に通ったこともある)を全く察しなかったとは思えません。

次回は道隆殿が。
さて、ここからは波乱の展開が続きますよ。
視聴者のみなさま、気張っていきましょう

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