惨敗 ○新一賞

あることも知らなかった賞に、無謀にも、生まれて初めて書き上げたショートショートで、応募してみました。もちろん、惨敗でしたが、せっかくなので(?)ここに恥を晒してみます(笑)。

アップアップ

「うわぁ、お母さんの、かわいいねぇ。マリノも、そんなのがいいなぁ」
「マリノのも、かわいいよ。ママ、この辺、大好きだよ」

娘のマリノが、私を覚えたての「お母さん」と呼ぶようになった頃、市役所からもらったメモリーオルゴールを初めて聞かせた。子どもの誕生を祝おうと、市が始めた新しいサービス。誕生とともに、思い出が音楽になっていくというオルゴールだ。私のは、もうだいぶ古い。そう自分に言い訳してずっと仕舞い込んでいた。マリノが友達から存在を聞いて、自分のも聞きたいというので、本人に渡すことにした。

「マリノの、すぐ終わっちゃう」
「まだ4つだからね、これからたくさん、いい音を繋いで、素敵な曲になるといいね」
「ママの、もっと聞きたい」
甘える時、とっさにママと呼ぶのは、子どもらしい。
「そうね、また今度。ママ、そろそろお買い物に行かなくちゃ。マリノも行く?お菓子買ってあげる」
そうごまかしてから、私のメモリーオルゴールはまた封印された。

 少子高齢化が進み続ける日本では、自治体ごとに、さまざまな子どもサービスが展開されてきた。子どもが生まれるとその場で耳たぶに小さな個人ナンバーの電子チップが埋め込まれ、住民台帳の代わりとされるようになってから、テクノロジーはさらにそのサービスの分野を広げることになった。生活の中の大抵のものに電子チップが反応して個人認証リモコン状態となって、生活の質そのものも大きく向上していた。メモリーオルゴールは、耳たぶから脳に電子信号が送られ、単なる体験的記憶だけでなく、感情的な記憶までを脳が処理したものを、チップを通して音に紡ぎ記録していく。いつ、どこで、何をというエピソード記憶が発達していない1歳半ごろまでの記憶は、母のお腹の中にいた時の胎動音の影響が残ると言われ、雄大なクラシックのような曲調になることが多いという。その頃までの音楽は、ほとんど親や親族のための祝いのそれに近しい。似た曲調でも、うちの子のはちょっと他とは違うだの、大物の音がするだの、勝手な解釈を加えて、その後の教育方針にまで関わってくるほどだ。少なからず他者との交流が活発になり、覚えた言葉を次々発し始める2歳ごろから、その子らしさがどんどん曲調に加わってくる。それでも3〜4歳ごろまでは活発な子ならアップテンポに、おっとりした子ならアダージョ気味にといった、活動がそのまま音になっていくことが多い。5歳ごろから徐々にその子の個性、才能、環境のようなものでそれぞれの音楽へと発達を遂げていく。この頃のマリノの音は、まだピンピンと飛び跳ねるような、無邪気なマリノそのままの音楽。
(ずっとこのままだったらいいのに。人生に思い出なんかいらない。こんなオルゴールなんか、何の役にも立たないのに)
そんなことを考えながら、久しぶりのメモリーオルゴールをキッチンの引き出しの奥深くに仕舞い込んだ。ここなら誰も、触らない。


「ねえ、お父さん。そういえばお母さんて、なんでメモリーオルゴール聞かせるの、嫌がるの? 何回言ってもなんとなくはぐらかされるんだよねぇ。昔、なんかあったの?」
「さぁ、どうだろうなぁ。でも、何回か聞かせてもらってたじゃないか」
「最近のとこだけだよ、いつも同じとこの繰り返し」
「まぁ、でもただの音楽だろう? 人のを聞いても面白くないんじゃないのか? お母さんが聞かせないんなら、大した曲になってないんだよ。そうだ、お父さんの、聞くか?お父さん、大学時代ラグビーで活躍したから、なかなか聞き応えのある音楽になってるぞ」
「いやいや、いい。いい。聞いたことあるし。いっつもそればっか。お父さんのはいいの」
そう言い放ってプイとリビングを出て行ったマリノは、もう中学に上がる年を迎えていた。

 マリノは、もう私には、メモリーオルゴールを聞かせて欲しいとは言わなくなっていた。多感な時期になって、何かを感じているのかもしれないし、自分のことで忙しいのかもしれない。年頃だから、とそれ以上深くは考えないようにしつつも、最近のマリノを見ていると、ふと自分が同じ年頃だった時のことを思い出しそうになる。

 振り切るように夕飯の買い物に出る。家を左に出て、少し行くと右に曲がる。まっすぐ行くと、この時期、大きな芙蓉の花が咲く川沿いを通ることになるから。そして、その先には緑深い、大きな神社。私はいつもその道を避けていた。遠回りをしてスーパーに行く。子どもたちの集まる公園があったので、言い訳はいくらでもできたし、華やかな花壇沿いの道を家族も喜んでつきあってくれた。
一度、ぐずるマリノに引きずられるうちに、川沿いを通る羽目になったことがあった。遅ればせに生まれた晩夏のセミの大合唱が汗を吹き出させる。大きいのにフワフワしたシフォンのような花びらの、アメリカ芙蓉の毒々しいピンクが、目を逸らしても後ろから襲ってくるようだ。芙蓉は、細やかに手入れのされた庭や綺麗な歩道沿いにはない。なぜかいつも荒々しい土手沿いの道や、手入れが行き届いたとはいえない雰囲気の庭に咲いていることが多い。ついマリノを抱えあげて足早になる。ぐずっていたマリノは、キョトンとして泣き止んでいた。


 中学でバレー部に入った私は、夏の合宿の帰り道、高校生のグループに追いかけられて、帰路とは逆走するように走っていた。なぜ私が目をつけられたのか、たまたま通りかかったからなのか、わからない。気づいたら追いかけられていて、私は必死に逃げていた。無我夢中にあまり通らない私道に入り込んでしまっていた。そこには庭先に燕脂がかったピンクの芙蓉が咲いていた。叫びたかったが声が出ず、だれかだれかと心の中で叫びながら走り続けた。細い私道を抜けたと思ったら、少し広い空き地があり、その先の暗く大きな木々の合間に追い込まれた。傷だらけになりながら、抵抗していたところに人が通りかかって、大事には至らなかったらしいが、それでも私はしばらくトラウマによる記憶喪失、解離性健忘とかいう状態となって、半年ほど精神科に通ったことがある。今でも1人に追いつかれて手首を掴まれ、大きな木の根本に倒れ込んでからのことはぼんやりとしていてよく覚えていない。というか、考えないようにしている。精神科に通っている頃は、メモリーオルゴールのその部分は無音になっていた。しばらくして学校に行った時、音楽室で、ショパンの「葬送行進曲」という曲を聞いた。それからは、その時期の音楽は、あの陰鬱なイントロが何度もリフレインするようになった。何度も。普通は、音楽が流れると一緒にその頃の映像が思い浮かぶが、ただぼんやりと暗いだけで、ほとんど見えないのが救いだった。

 母には、「傷モノにされたわけでもないんだから、堂々としていなさい」と言われたけれど、とてもそんな風には思えなかった。それでも、学校に戻ってからはクラスメートに腫れ物に触るような気の遣われ方をするのが嫌で、できるだけ明るく振る舞い、毎日ぐったりと疲れていた。詳細はまわりの大人たちが必死で隠してくれたが、何かのストレスで物忘れがあるらしいと聞くと、噂が好きな少女たちはいろいろと憶測した。本気で心配をしてくれたのか、意地悪なのか、メモリーオルゴールを聞いて向き合うよう言ってくる者もいたが、仲の良い友達数人がいつも遠ざけたり、庇ってくれた。

そんな風にして、中学、高校と学校生活はなんとかやり過ごしたが、大学生になっても、男性とはなかなか仲良くなれなかった。社会人になって最初の上司になったのが、今の夫だ。いろいろと面倒を見てくれたが、年が離れていたこともあり、男性というより親戚のおじさんというような印象だったから、やっと気を抜いて笑えるようになった。きっとこの人以外とは、結婚なんて考えなかっただろうと今でも思う。そしてマリノが生まれた。

結婚したことで、男性と付き合うことを意識しなくてよくなって初めて、私は同窓会にも参加できるようになった。久しぶりに集まる友人たちは、思い出を探り合うためにメモリーオルゴールを持って参加する者が少なからずいた。ふだん生活の中にメモリーオルゴールの存在が目につかないように暮らしている私には、全くない発想だった。黙って彼らの曲や思い出話を聞いていると、誰かがこんなことを言い出した。
「でも、正直なところさぁ、思い出って、必要?」
「え〜?! そんなこと言う? こうやって集まって何も音楽や話題がなかったら寂しいよ?」
「同窓会は特別だよ。でも日常生活の中に、思い出なんかいらないでしょ?! 」
「まぁ、確かに、毎日のことで精一杯で、ふだんはいちいち昔のこと思い出してる暇なんて、ないし、改めてメモリーオルゴールだって、同窓会でもないと聞かないかもね?」
横から誰かが口を挟む。
「でも、私はこの頃の、みんなとの思い出が詰まってるメロディ、好きなんだぁ! 辛いことあったり、寂しい時なんか、取り出して聞いちゃってる」
「お一人様だもんね、寂しいよね! 」
笑い声を遮って、また別の誰かが呟く。
「でもでも、思い出が1つもない相手とは、いつまで経っても腹割って付き合えないかも」
「そんなお堅いこと言ってっから、彼氏に浮気ばっかされちゃってたんだねえ、あんたは」
ひどぉいという返事とともにドッと沸いた笑い声は、どこか遠くのテーブルのことのようだった。

 帰り道、ぼんやりと結婚してからの家族の時間のことを振り返っていた。考えようとしたわけじゃない。なんとなく、マリノの笑顔が思い浮かんでは消え、また別のシーンが思い浮かんだ。そして、自分は記憶を消そう消そうとしてきたから、思い出なんかいらないと思い込んでいたけれど、結婚してから、子どもができてからの幸せな記憶は、家族への愛と夫への信頼を育んでいたのかもしれないな。そんなことを考えている自分に驚いていた。

それはたぶん、数日前に、近所のお爺さんが少しの間、行方不明になったせいもあったと思う。2軒先に住む老夫婦のお爺さんは、このところ少し認知症の傾向が出始めたとかで、家の中で何をしていたか、たまにわからなくなることがあると聞いていた。その日は、初めてお爺さんが1人で徘徊したらしく、玄関先を掃除していて血相を変えたお婆さんに、お爺さんの行方を尋ねられたのだった。結局、久しぶりに遊びに来ていた娘さんが愛犬を散歩に連れて行ってくれていたのを知らず、愛犬がいなくなったと勘違いをして探しに行っていたとのことだった。大事に至らずよかったですね、と声をかけた時に返ってきた一言がずっと頭の片隅に残っていた。

「忘れるだけならいい。自分が分からなくなるというのは、これからどうしていけばいいかも分からなくなる。切ないものですよ」
認知症を羨ましく思っていたのに、この時は、胸に小さな針が刺さるのを感じた。認知症の人たちにも、毎日の記録は音に紡がれていく。ただし、翌日になって音楽を聴いても、何も思い出せないし、情景は人ごとのようで、何も感じない。前に進めないのだそうだ。

 家に帰ると、リビングダイニングの灯りはついていたものの、誰もいなかった。マリノは中学に上がってから、夕食後はほとんど自分の部屋だ。夫は、玄関に靴があったから、ベッドルームかバスルームだろう。
 キッチンの引き出しから、そっとメモリーオルゴールを取り出して、20代後半ごろからの音色を聞いてみた。緩やかに、優しい調べが響く。(いい感じじゃない。)自分が思っていたより明るい曲調だったことに、少なからず幸せだったんだなと思えて、笑みが溢れた。
「おかえり」
ドアが開く音と同時に、夫の声がした。
「わ、びっくりした!」
「珍しいこと、してるね」
「…うん。同窓会にね、メモリーオルゴール持ってきている人が結構いて…話の流れで、思い出っているかって話になって」
「いらないんじゃなかった?」
「昔のはね。嫌な思い出は。今日と明日を生きていくのに思い出は、いらないのかもしれない。でも、幸せな思い出は…結婚してから、あなたとマリノとの時間は、信頼になってるし、これからの力にも、きっとなるんだなぁって」
ひと呼吸おいた夫が、
「それはいいことに気づいたね」と言った。

♪超狭いスクール 仲間内だけクール?
 頭スローな集団 言葉プアーで一軍
 キックが挨拶 でもクラスの取説
 人をグミみたく扱う 仲間テロみたく笑う   
クラスみんなついに捨て鉢
 そんなお前にいつかリベンジ♪

「え〜、なに何? マリノ、うまーい! 」
「しっ。蓉子たちに聞こえる!」
「ごめん」
「いっつも、みんなヤラレっぱなでムカつくから、きのう作ってやった。今晩、音もアレンジするつもり」
「マリノ、天才! できたらみんなにも聞かせよう」


「♪クラスみんなお前にバチバチ! そんなお前いつかボコボコ…
いや… ♪クラス中で、ついに怒り爆発、そんなお前、いつか…」

「マリノ、遊んでるなら夕飯の支度、手伝ってよ」
「遊んでない、いま忙しいの…♪クラス中で…」
首を伸ばしてリビングの方を覗き見る。マリノはメモリーオルゴールとスマホを持って、1人でブツブツ何か呟いている。歌ってる? 私は諦めて夕食を1人で作り続ける。

 半時間ほど経っただろうか。夕食の支度ができても、マリノは例の作業をやめようとはしなかった。私は近づいて、尋ねた。
「何? それ、ラップ?」
「そ。メモリーを上書きしてんの」
「どういうこと?」
「クラスにさ、いやらしい意地悪な子たちがいるわけよ! いろんな子が標的になっててムカつくし、せっかく仲良くなったクラスが変な空気になってるから、メモリーの曲調が嫌な感じになっちゃって。だから変えてやろうと思って」
「え?メモリーって、変えられるの?」
寝耳に水だ。そんなこと、できるんなら早く知りたかった! と思った。
「起こった出来事自体は変えられないけどさ、音をアレンジしたり、歌詞をつけたり、いろいろできるの。知らない?メモリーチェンジャー」
「どういうの?」
「だからー、スマホにアプリダウンロードして、メモリーを上書きアレンジするの! 」
「出来事が変わるわけじゃないのよね?」
「それは変えられないよ、でも曲調が変わったり歌詞がついたりすると、記憶の印象も全然変わるんだよね。嫌な気持ちで終わってたことも、少し笑えたり、許せたりね」
簡単に上書きしてしまおうという発想に、驚いていた。いいのか悪いのか。自分の過去が笑えるとは思えないが、そんなことができると知っただけで、少し心が軽くなるような気がした。
「笑えるのがさ、アップデート・アプリだから、みんなアップ・アップって呼んでんの。あっぷあっぷの思い出を変えるアプリがアップ・アップって…」
マリノはクククと小さく笑って、作業を続けている。

 テーブルの用意に戻りながら、過去もどんどん更新しながら前に進もうとする若さに、思わず口元が緩むのを感じていた。以前、何かの本で(脳は、実際の体験と作られたイメージの区別がつかない)と読んだことがあった。その時は意味がわからなかったが、消し去れない、忘れられないと思い込んでいたのは、私自身がその記憶に囚われていたせいかもしれないと急に思い至った。考えてみれば、詳細を考えないようにしてきた私にとって、あの日の記憶はもう「葬送行進曲」のイントロ以上の何ものでもないのだ。そう思えば、メロディを書き換えることは思ったほど難しくないかもしれない。

私も、もう前を向こう。そういう時期が来たのかもしれない。そう思える自信をくれた娘をもう一度振り返った。
「お腹すいちゃった、ご飯食べよ」

                               了

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