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おぼえていますか

「1周年のバッヂをあげます」

noteを開いたら、表示された。

今年元日にスタートして、160日くらいは連続でアウトプットしていた。

毎日投稿すると「おめでとうございます!○日連続投稿」といった表示が出て、まるでケツを叩かれているような気分になるのだが、100日くらい過ぎた頃から、そんなふうに褒められるより、単純にアウトプットしないと気持ち悪い、いわば生理現象に近い感覚になっていた。

実は、この「感覚」ってヤツ、日常の「学習」において最重要項目だ。

感覚」って、なかなか言語化しにくいが、普段誰もが味わっている。

「なんかピンと来ないな。」「鳥肌が立つな。」「モヤッとするな。」「胃に違和感を覚えるな。」「血の気が引くな。」なぜかわからないけど、体が勝手に反応するアノ感じ。

そもそも人間が行っている判断って「快」か「不快」かの二択しかしない。

実にシンプル。潜在意識の本音と直結していて、いわば生命を維持させるための機能でもある。

なので、「感覚」という機能を利用すると、学習効果を知る目安になる。

たとえば、映画館でSFアクションヒーローものを見ると、なんだか「負ける気がしない気分」になることがある。帰り道、「今の自分なら空だって飛べるんじゃないか」と思った経験ないだろうか。

でも、2~3日後、道で向こうから怖そうな人が歩いて来たら、思わず見ないふりをしてしまう。これは、潜在的な部分で「不快」の反応を示しているから、「負ける気がしない」というのは、感覚に落ちていないことになる。

一夜漬けで臨むテストもわかりやすい。脳のデスクトップに情報を並べておいてテストをしのぎ、そのあとはどっかに行ってしまう感じ。

人間は、「思考→感情→感覚」によって、自分の世界を創り出している。

思考は、自分で考えて表現できるもの。感情は、喜怒哀楽で表現できるもの。さらにその先にあるのが「感覚」だ。この領域まで落ちて、はじめて自分のものになる。

自転車は乗れるまでは大変だけど、一度感覚を掴むと、ずっと乗れる。いけないことだけど、酔っ払っても乗れちゃうという感じだ。

読書で、未知の知識と出会ったとき、その瞬間は「へぇ」と思うが、この段階では、思考レベルで理解しているに過ぎない。このステージでの学習効果は、ほぼ無い。まだ他人事(ひとごとと読む)で、インプットした情報が自分事になっていない。

書籍なら、繰り返し読むことで、理解が深まり「感情」に落ちていく。これは、自分の体験とリンクするなど共感を覚えることで、ようやく自分ごとになっていくステージ。

「なるほど!」と、感情が伴うことで、理解が深まる。このプロセスを繰り返すことでようやく、感覚に落ちていき、行動が伴い、やがて本当の学習効果が現れる。

巷には速読技術の本など増えているが、本当に自分の血肉にしたいのなら、やはり時間をかけて、感覚にまで落としこむ必要がある。(個人的には、速読はお勧めできない。)一度、感覚にまで落とし込めれば、そうそう簡単に元に戻らないからね。

自分が実践している読書法がある。初見で、へぇっと思ったところに付箋をつける。数日空けてから再読する。付箋をつけた箇所を見て、どうして付箋を付けたのか、理由が浮かんだら、それは思考レベルだから「まだ感覚に落ちていない」と考える。

反対に、どうして付箋を付けたんだろう?と感じたら、その情報はすでに自分ごとになり、感覚に落ちていると考えるようにしている。

1年間でアウトプットした自分の記事。読み返して、「そんなこと書いたっけ?」「そうなんだ」「へぇ」なんて思うことがないか、チェックしてみよう。最近は、自分で言っておいて、忘れていることって、増えているもんな… でも、今日は「笑ってはいけない…」を見ることにしよう。
そういやぁ、200回くらいケツを叩かれたら、尻の感覚ってなくなるんだろうな。

沖縄出身のお笑い芸人さんが命名してくれたペンネーム/テレビ番組の企画構成5000本以上/日本脚本家連盟所属/あなたの経験・知見がパワーの源です