見出し画像

きますか

「あるサイトを教えてあげるといいらしいです」

手段が目的になっていると覚えにくいことを思い出しました。

高校生の頃、定期試験で地理を翌日に控え、全く地図の名前を覚えることができませんでした。

地図にはいろいろな種類があります。グード図法、メルカトル図法、ランベルト正積方位図法といった横文字の名前がついています。

地球は球体なので、平面で表現しようとすると何かしら無理が生じるため、その無理を解消しようと先人たちは苦労したわけです。

地図を見るのは好きですが、地図の種類にまでは興味を持っていなかったので、いざ授業で名前を覚えろ言われてもピンときませんでした。

興味の食指が伸びないまま迎えた試験前夜。本当に覚えられないのです。「覚える」という目的のために記憶しようとすると脳の扉はどんどん硬く閉ざしていきます。

どうしたら記憶できるか、というもはや試験以前のレベルなので、体を動かして脳に刷り込ませるという荒業に出ました。「グード図法!」と叫びながら、両手両足を動かします。

お笑い芸人さんの一発ギャグのような姿です。それぞれの地図の名前ごとに動きを変えて動きに合わせて声に出します。

この方法で覚えたとしても、思い出すには同じ動きをしないと出てこないでしょう。試験中に「グード図法!」ってやる必要があります。

なんとかかんとか一夜漬けで記憶庫の隙間に押し込み、試験に臨みました。

すると出題されたのは「グード図法とメルカトル図法の相違について答えよ」でした。

「はぁ?」きのう苦労して覚えたのに「グード図法」は答えではなく、問題側で登場です。座っているのに膝から崩れ落ちそうになりました。

出題者にとって地図の名前なんてのは当たり前で、その先を問うてきたのです。

私は広い解答欄をなんとか埋めて天命を待ちました。

数日後の地理の授業。解答用紙が戻ってきました。周囲は自分の点数に一喜一憂する中、自分はなぜか最後に名前を呼ばれて返されました。

見ると、点数がついていません。???

目を下にずらすと「グード図法」の解答欄に先生のコメントが書いてあります。

「相違とは、違いのことです。二つの図の違いを述べましょう。」

私は「相違」という言葉を、「合っていること」と「違っていること」という意味と理解して二種類の地図の「同じ部分」と「違う部分」について解答していました。

そうです、問題文の「相違」という言葉の意味を理解していなかったのです。もはや地理以前の問題。

戻ってきた解答用紙を見て、一瞬まだ理解できず先生のところに行くと「相違」とは、と言葉の意味を諭されました。地理の先生から熟語の意味を教わりました。

腑に落ちたような落ちないような気分で心の中では「だったら、最初から『違い』って書けばいいじゃん」と思いつつ、その部分だけ再提出。興味ゼロは、どこまでいってもゼロなことを痛感しました。

ということは、逆に興味が湧けば想定外の熱が出ることもあります。

20代の頃、仕事でインドネシアに行ったときのこと。国内移動で飛行機を使う際、CAの人とコミュニケーションしたいという衝動に駆られました。

英語でも通じるでしょうが、せっかくだからインドネシア語で話した方が好感度高いだろうという不埒な思惑から、搭乗までの1時間、インドネシア語を勉強しました。

その結果、数字を一から百まで言えるようになり、「飲み物をください」「スナックをください」「ありがとう」といった基本的な会話文を覚えることができました。

もちろん搭乗してすぐに使ったところCAさんが笑顔で対応してくれました。「やればできるじゃん!」の成功体験です。

外国語は、そのもの習得を目的にしても進みは遅いです。しかし、別の目的があると1時間でも基礎会話ができるようになります。


シニア向けのパソコン教室では覚えの悪い男性を覚醒させる方法があるといいます。アダルトサイトを教えると、たちどころに使い方を習得するそうです。苦笑したあなた、祖先は同じ人類です。


習得に苦労すると言えば、去年から小学校での英語が必修化され、3年生から外国語活動が始まるカリキュラムになりました。早くから英語に触れておこう!という文科省の目論見です。しかし裏腹に現場では想定外の事態も起こっているそうです。

英語を嫌いになる児童が出ているといいます。理由は授業がつまらないから。日本語の授業なら先生たちも母国語だし知識知見をもとに授業の工夫ができます。

しかし、英語は日本語のほど知見がないため、そもそも授業の工夫ができないといいます。結果、児童の興味を惹くことができず英語嫌いを招くといいます。

子どもが英語に触れるための民間プログラム、サービスはいろいろあります。自分は小さい頃からラボパーティという英語に親しむコミュニティに入っていたので英語アレルギーにはなりませんでした。

しかし、中学で本格的?に英語の「座学授業」で受けたせいかそれまで蓄積した英語への興味は消費される一方になり、やがて立派な日本式英語教育の産物に仕上がりました。

ここ数年、文科省はギガスクール構想を進めていましたがコ ロナ禍で3年前倒しになり、去年パソコンやタブレットが公立学校に配布されました。しかし、教育現場の先生たちはデバイスの使い方を覚えるのに精一杯で、ソフト作りまで手が回っていません。

そこで最近、ある公立小学校で実証実験が始まりました。教室と世界各地をライブでつないで、児童たちが海外の人とコミュニケーションを取るというインタラクティブな授業です。

普段、YouTubeなどの録画コンテンツを見慣れている子どもたちが、画面の向こうの外国人から英語で話しかけてくるという体験をします。外国の人は、それぞれテーマを持って、たとえば特技を見せたり、屋外の様子を伝えたりといった異文化を見せてくれます。

この状態だと子どもたちの興味は外国で起こっていることや相手とのコミュニケーションです。英語は手段に過ぎません。相手に興味を持てば、話したいという動機からから自然に言葉を吸収することができます。1時間で数字を一から百まで言えるようになるかもしれません。

ベンチャー企業が始めたMimmyアドベンチャーというサービスですが英語への入口をちょっとズラしただけで子どもの興味を大きく変えるかもしれません。一般家庭でもスマホやタブレットで使えます。

子どもにしろ、シニアにしろ、大切なのは「興味」を持てるかどうか。興味の源泉は、好奇心。とはいえ、どちらも自然に湧いてこないというケースもあると思います。

その場合は、目にするものすべてに対して「なんでだろう」です。目にしたものに向けて「なぜ、そこにある?」「なぜ、その形をしているの?」「なぜ、その色をしているの?」と、いちいち疑問を呈することで自然と「興味喚起」できます。

「なんでだろう? なんでだろう? なんでだ、なんでだろう?」

まずは、赤と青のジャージを着るところからだな~

この記事が参加している募集

眠れない夜に

沖縄出身のお笑い芸人さんが命名してくれたペンネーム/テレビ番組の企画構成5000本以上/日本脚本家連盟所属/あなたの経験・知見がパワーの源です