やりたい理由、やらない理由。
今日は散歩がてら自宅から麻布近辺まで歩いてみた。だいたい6キロくらいかな。ジョギングしない日はせめてもの罪滅ぼしとして歩くことを自分に課しているのだけど、歩けば歩いたで早歩きだから汗もかくし、足だってまあまあ疲れる。
それに加えて長い時間歩くことの何がいいかって「色々な考え事ができる」ってことだよねって感じてる日曜の夕方、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
普段から独り言の多い私は、1人で歩いてなんかいるとほぼずーっと独り言を唱えている。独り言って唱えるものなのかな、分かんないけど、ブツブツなにかを言っていて、周りから見たら相当ヤバい人に見えてるのかもしれない。
けれど、そういう時間は「自分と向き合う時間」としてとても有効だし、noteに書き留めたいことを整理したり、アイディアが浮かんだりするのもそんな時が多い。
「人が何か行動を始めるときって、どんな時なんだろう」
歩きながらふとそんなことを考えていた。
健康のためにダイエットするとか、語学力向上のために英語を勉強し始めるとか、楽器、筋トレ、美文字、禁煙、禁酒なんでもいんだけどその日すぐに身についたり、やめられるものではなくコツコツ重ねてやがて達成する、みたいなもの。
直近の私で言えば「フルマラソン完走」だったわけだけど、始めるには「内的動機」「外的動機」の2つがあったように思う。
例えば…
・内的動機…自分自身が変わりたい、自己肯定感を高めたい、達成感を味わいたい、無職期間の暇つぶしが欲しい、など。
・外的動機…友達に誘われたから、太っていることを指摘されたから(されてないです、例えです)など。
みたいなことになるのかな。
一方で「始めない(やらない)理由」は、山ほど見つけることができる。理由がその辺にあるのではなく、あえて見つけることができるわけ。
例えば「寒いから」「暑いから」「暗いから」「日焼けするから」「疲れるから」「足が太くなるから(イメージ)」「心臓に悪そうだから」「経験がないから」「走る場所がないから」「走る時間がないから」「靴を買わないといけないから」「からからから」…とにかく、やらない、やりたくないとなったらいくらでも理由を見つけることができるんだよね、不思議。
この始めない理由、やらない理由のほとんどが「外的動機」該当するもの。
つまり、裏を返すと人っていうのは何か行動を始める時に「外的動機はさほど影響しない」ということが言えるように思う。
いくら外的動機があったとしても、自分自身の内側から湧き出す「内的動機」がないと結局、始めないんだと思う。
本当に心から痩せたい、とか心から英語を上達させたいとか。病気になっちゃったから禁煙しなきゃ、とか。
自分が本当に危機に陥った時や、本当にやりたい!と思った時にしか行動に移さないんだなーと改めて思った(自分自身に言ってます)
他人の趣味嗜好にあまり興味がないとはいえ、自分が熱烈にオススメしたものに共感が得られないと虚しかったり悲しい思いをすることもある。けど「外的動機」で人がなにか行動するはずもないよねってのんびり構えてたほうが傷も深くならなくていいのかな。そんなことを思ったわけ。
みなさんが何か始める時、どんな言葉で背中を押されますか?
他人と過去は変えられないとか言いながらそれでも外的な動機になりうる何かを探す私です。
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