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「読書」は好きだけど「読書感想文」は嫌い

夏休みも半分ほど過ぎて、今週末からはお盆やすみ、というかたも多いかと思います。

このくらいの時期になると、夏休みの宿題は、ほぼほぼ終えた、という子と、全く手を付けてないやばい。っていう子が分かれてきますよね。私は宿題はさっさと片付ける派だったので、この時期は「夏休みの思い出」とか「読書感想文」が残っているだけでした。

私はこの読書感想文というやつが大嫌いで、こればっかりは「めんどい…」と後回しにしがちでした。

おとなになってからこういう話になると「ものすごい本読んでるんだから、簡単なんじゃない?」とか「文章書くの得意じゃないの?」と非常にしばしば言われます。確かに、幼いときから本は読んでいましたし、文章を書くことも苦手ではありませんでした。

ただ「読書感想文」というものの存在が、いまいち理解できなかったんですよね。なぜなら私にとって読書とは「ひたすら娯楽」なだけであって、そこに「感想」とか「評価」とか「思想」とか、どうでもいい、というかむしろ、挟み込みたくない。本を読んでいる瞬間、現実とはかけ離れた「別世界」に没入したいだけなのであって、それを現実世界に戻ってから、あーだこーだというのが、どうもしっくりこなかったのです。読んでいる本もファンタジーとかSFとか推理小説で、感想の書きやすいものでもなかったですしね。

毎年出てくる「課題本」は、どれもおもしろいとは思えませんでした。どうも「教育臭」みたいなのを感じてしまって、うっとおしかった。

あと、私はものすごくおとなの期待を感じ取るのがうまかったので、「こういう感じでこういうことを書けばおとな(というか先生)は喜ぶし、賞もとれるんだよね」っていうのもなんとなくわかっていて(一度だけどうしても時間がなくて、そういうのを書いたら案の定、評価が高くて、げっそりしたことがある)そのとおりに行動するのが癪だったのだと思います。

と、おとなになってから、なんとなくそう分析したのであって、こどものころはひたすら嫌なだけでした。

おとなになってからは、読書会なんてものも主催して、そこで課題本をえらんで、参加者の皆さんと、感想を言い合ったりもしています。ほかのひとの感想をきくのは、とてもおもしろいし、その本に対していろんな感じ方や見方をすることができてたのしい。ただ、そういう場の雰囲気が好きなだけであって、他人の感想や批評を読んだり、自分がそれを文章にしようという気はあまり起こらないのです。

そういえば高校生のころに、友人が「読書感想文の課題本が決められない!」と嘆いていたので、「これなんかどう?」と勧めた本で、彼女が結構な賞をとっていたな、ってことを思い出しました。あれが私にとって初めての課題本えらびだったかもしれません。なにかしら片鱗ってあるもんだな。と今になって思います。

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