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7歳女子の「あたしの世界」

我が家は、9歳男子、7歳女子の二人の小学生とわたし、という三人暮らし。

今日は二人の会話を備忘録。
冬休みで登校もなく、余裕たっぷりの朝ごはんタイム。トーストに何をどう塗るのが一番好きなのか、という話をしていたとき。

妹「あたしはねー、うーん、先にバターを塗って、お砂糖をかけて焼くのが最高」

兄「ぼくは、カリカリに焼いて、ミルクジャムをぬるのが一番美味しいと思う」

妹「へー、にーに界ではそれが一番なんだね!」

兄「うん、妹界では違うんだねー」

わたし(え?にーに界と妹界ってなに?初耳)

エッセンスはMinecraftとどうぶつの森から

その後も会話を聞いていると二人の中では、人は一つずつ「世界」を持っているという認識のようだ。意見が違う、価値観が違うときにはこのワードが登場し、「そちらもよいですなぁ、うちもなかなかですよ」みたいな流れになる。

なぜ二人はこんな風に考えるようになったんだろう? と考えてみた。おそらく、二人が大好きなゲーム「どうぶつの森」と「Minecraft」に影響を受けているんじゃないかと思う。

どうぶつの森は、村に育つ果物も一つずつ種類が違うし、村の形状も、住人の動物も違う。
その村の村長(プレイヤー)がお魚釣りが好きなのか、発掘が好きなのか、家づくりに力を注いでるのか? 村での時間をどう過ごしているかによって、村の様子もガラリと変わる。うちの兄と妹も互いの村に遊びに行くことはできるけれど、家をいじったりはできないし、村長にしかできないこともたくさんある。

Minecraftも自由度が高くて、わたしも大好きなゲームの一つなのだけれど、これも我が家は一人一つずつ世界を持っている。
建築に注力している妹の世界は、コンビニや友達のおうち、お店。実際の建物を再現した建造物でいっぱい。
回路を組み立てるのが好きな兄の世界は、自動で牛がステーキになる機械や、作物に水を自動でやる機械、そういうものに溢れている。

お互いの世界に遊びに行くこともあるが、そのときは相手が壊して欲しくないもの、作っている最中のものには触らない。

家族、だけど一人。

相手が思うような反応をしないとき、例えば、喜んでくれそうな話をしたのに思ったよりも反応が薄かったり、綺麗だと思ったものに同意してもらえなかったり。
子どもと暮らす前の私は「なんで、この人はわかってくれないんだろう」「わたしとこの人、合わないのかな」って考えが浮かぶような思考回路だった。
だから余計に、この「にーに界と、妹界」という考え方は新鮮で、とても好ましいな、と思った。

この考え方を知っていたら、子ども時代、学生時代、もうちょっと肩の力を抜いて生きられたんじゃないかなぁ。

家族でも、恋人でも、友達でも、親子でもそれぞれの世界を持っていて、全部同じ考えなんてことはない。

自分の村にはない果物を相手の村から分けてもらったら超高く売れる、どうぶつの森と同じ。
自分の世界にないからこそ、相手と関わり交わり、なにかを受け取る意味がある。その「違い」を受け入れることこそが自分の世界を耕してくれる。

意見が違う人と話せること、一緒にいられることはラッキーなんだね、と思った備忘録でした。

おーしーまい。


#平日の備忘録 #エッセイ #子ども #子育て









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