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恥ずかしげもなく愛について語ろう〜第60回『愛とためらいの哲学』岸見一郎



キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

久々に来ました!私好みの名著が!!!

今日取り上げる本は、
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」に
感銘を受けた方には、
気に入っていただけそうな一冊です。

おそらく今まで60回の間にご紹介して来た本の中でも
Top of the topでしょう!

「愛とは何か?結婚とは何か?」

そのような問いを自分の中に抱えてしまう
恋に恋する若い女性たちには、
一度読んでいただきたい本です。

さすが岸見先生は、深い・・・
バイカル湖くらい深い・・・。

愛とは正気と情熱の合体である

実際「愛とは何か」というのは、
考えてみてもすぐには答えが出てくるような
問いではありません。
しかし、答えることが難しい問いだからといって、
そのような問いを立てるのと立てないのとでは
大きな違いがあります。

誰かを愛するとき、
愛とは何かを知っていなければならないかといえば
そんなことはないでしょう。
気がついたら誰かのことが頭から離れず寝ても覚めても
その人のことを思い続けているということは、
確かによくあります。

しかし愛がそうした自然的なものであるとみている限り、
愛の感情は自分ではどうすることもできないものである
ということになってしまいます。

愛を自然的なものと見れば、
関係がうまくいかなかったとき、
その責任は自分にはないことにできます。

何しろ、自分ではどうすることもできなかった
ということができるからです。

しかしその代わりに、自分で関係を立て直すことも、
よくすることもできないということになってしまいます。


今回の本には、非常に多くの引用したい、
ご紹介したいところがあるのですが
私が愛というものを一言で表現するといったときに
これが近いのかな?と
一番気に入ったタイトルでした。

え?なになに?と
もっと深く知りたくなっていくわけですが
そこに、このような説明が出てくるわけです。

プラトンの「パイドロス」には
正気(ソープロシュネー)と情熱(エロース)
の合体こそが哲学的精神そのものだという話が出て来ます。

哲学(Philosophia)の語源は愛知
「知(sophia)」を「愛する(philo)」こと。
その意味で、哲学の本質は愛だといえます。

その愛は正気と情熱の合体であり、
またその情熱は狂気と言い換えられています。

知れば知るほど、
無知な自分が浮き彫りになって来ます。
まだまだ深堀って行きたいことが
どんどん見つかっていくのです。

まさに、自分の知的好奇心が
刺激されていっている感覚です。


私たちは今、これからの人生をいかに生きていくかを
考えさせられている時期なのだと思います。

それが1人であっても、誰かと一緒でも…。

この本を読み進めながら、
知らないことを少しづつ理解し、
自分の知る世界を広げていくことの楽しさを感じつつ


そして


誰かと共に生きる本当の喜びは、
まだ未知の経験の中に隠されている
ように思いました。

ここに愛の本質と共通点を感じながら。

この本は、常に持ち歩いていく本になるだろうと確信しています。


それでは今宵はこの辺で失礼致します。


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